OSHOヒューマニバーシティ・ジャパン -8ページ目

ヒュマニバーシティのセラピーのテクニック その1

感情に対する気づきと、4つの基本的な感情、恐れ、怒り、痛み、愛を表現する能力は、心の健康のために不可欠です。感情のワークはプログラムの大きな部分 を占めます。よく用いられるテクニックは、ビレッシュによって導入された”フラッシング”です。それはつながりの原理、原初の叫び、自由連想法とシェアリ ングの要素が組合わされたものです。カタルシス―抑圧された感情を解放することは、今ここでの明晰性と強さを生み出します。感情の防衛機能に対する洞察 は、あなたの人生にポジティブで、永続的な変化をもたらします。そしてあなたは、4つの感情の中で最も深く、愛を経験することができるようになるでしょ う。




ポエテイックコンセプト

私は愛すべき存在だ

私は今まで多くのセラピストとワークをし
そしてそれらの理論をすべて抱合する姿勢を貫いてきた。
そしてこれが、私があなた方に分かち合うことのできる
最もシンプルなセオリーだ

どんな時も、私はGoodだ、ということを、主張しなさい!

あなたは愚かな振る舞いをするかもしれないし
愚かな考え方をするかもしれない
馬鹿なように感じる時があるかもしれない
けれど、けして自分を貶めないでいなさい。
あなたはヒューマンで
誰かがそれを好きだろうと好きでなかろうと
それがあなたを偉大で、そして愛に値する存在にしている。

自分はダメだということを信じ込んだ瞬間
あなたは妥協する、そしてそれは、自分を殺してしまうのとことだ。

あなたは愚かな振る舞いをするかもしれない―
だから何だというんだ?
愚かな考え方をするかもしれない
馬鹿なように感じる時があるかもしれない
あなたは、他の誰もが得たいような風には光明を得ていない―
だから何だというんだ?
けして誰にも、あなたを貶めさせてはいけない。

あなたは、ただそのままで、愛されるべき存在だ。
もし誰かが、愛されるべき人間でいるという
あなたの生まれながらの権利を攻撃していると感じることがあったら
立ち上がって、自分の生のために闘おうと、意図していなさい。
誰にも、あなたがダメだと言わせてはならない。
人間として、どうしてあなたがバッドでありえるだろう?
あなたはビューティフルで、愛すべき存在なのだ。
けして誰にも、あなたからその権利を奪わせてはいけない。
誰にも、あなたがダメだと言わせてはならない。ビレッシュ






今 ホームページにあるビレッシュのポエティックコンセプトを冊子にしよう製作中。
何度も作り直して、何度も読み直してます。読めば読むほど良いです。すばらしい。VIJAY


進化

私にとって、進化はらせん状に進む。

そして進化は、絶え間のない成長と発展だ。

人 生は、永遠と較べるととても短い。

生はとても貴重で、私たちには可能な限りトータルに生きる責任がある。

死ぬ時に何が起こるのかはわからない。

だが、もし 私が人生を愛と感謝をもって生きることができるなら、

そんなことは問題ではない。生きている間に、

この生にもう少しの平和と愛を、もたらそうじゃないか。ビレッシュ



ビレッシュ プーナへ。

他者を鏡に使う

ヒューマニバーシティを象徴する瞑想プログラムであり、ビレッシュが世界にもたらした最も大きな贈り物は、7つのソ-シャル・メディテ-ションの開発です。

ソーシャル・メディテーションを使って、私たちは、他の人を鏡に、自分自身を知る上でより深い気づきを得るため、そして、瞑想という文脈の中で、よりよい世界を創造できるやり方でどのようにしたら人と関わることができるかについて、より深い理解を育むことができます。 

ダイナミック瞑想やクンダリーニ瞑想といったOshoアクティブ・メディテーションが、現代人のために私たち自身の内なるサイレンスに飛び込んでゆくテクニックとしてデザインされているとしたら、ソーシャル・メディテーションは、他の瞑想者たちと向き合い、エネルギーを分かち合って、お互いをサポートするための方法です。

もし他の人たちから学べること、分かち合えることがあるのなら、なぜ今、瞑想の中で目を開き、他の人々に出会い、つかまることなしに様々な感情を探求し、パターン化した自分の振る舞い方に気づくことをしないでいられるでしょう?

一般的に、瞑想とは、目を閉じ、あなた自身の内なるセンターへの気づきを深めるものですが、ソ-シャル・メディテーションでは、瞑想中に目を開け、言葉を発し、感情を表現し、行為を表します。

そのプロセスは、日常生活が瞑想になりえるという一瞥を垣間見せるものです。

それを、瞑想の完成禅の「十牛図」の最後の絵、瞑想者が酒瓶を片手に居酒屋に出かけ、友達と楽しく時を過ごし、彼らと人生を分かち合う質にたとえることができます。

それは、多くの私たちにとって、独りで沈黙の中に座っているよりも、さらに進んだチャレンジになりえるでしょう。

光明を待つのをやめ、今の瞬間を満ち足りたすべてに変容するです。