OSHOヒューマニバーシティ・ジャパン -9ページ目

ビレッシュのユニークな虐待への提案




極端な例です。ある男性が私のグループに来たことが思い出されます。

彼は、自分の子どもを肉体的に虐待してしまう、とシェアしました。

私は、自分 が、何てことだ!この男は未来の怪物を作っているんだ!と思ったのを覚えています。

非行少年や、犯罪者、未来に起こるであろう危機・・・このばかげた振る 舞いのせいで、自分の子どもに対して感情を行動で表して、虐待してしまうせいで。

私は彼に、次に子どもを殴りつけたいと思ったら、まずブロック塀を殴るという約束をしてくれるよう頼みました。

彼からそのコミットメントを引き出 しました。

彼がそう言ってくれるのが聞きたかったのです。

自分が何をしているのかということに、意識的になって欲しかったのです。ビレッシュ

大切なものをあげる

イタリアにいる私の友人が癌だということを聞きました。

私はひどく気落ちし、自分を無力に感じました。

周りを見渡して、「笑うブッダ」、“布袋”の小さな 像を目に留めました。

OSHOが私にくれたものです。

一瞬、これをあげてしまうのは嫌だ、という風に感じました。

本当に大切なものだったのです。


しかしと にかく、私はそれを彼女にあげました。

気持ちが落ち込んだ時、その布袋像を見て欲しい。

そうしたら、彼が元気付けてくれるだろう。というメッセージを添え て。(ビレッシュ)





扉はそこに

扉はそこに

誰かが君のことを無条件に愛する時、
君はそれが本当だとは思わない!

ある日、君は自分に言うかもしれない。
「これまでの人生ずっと、
私は壁の内側にいた。
でも、扉はそこにあったのに。」

何か新しいことを試してごらん。

愛を避ける代わりに、
YESと言ってごらん。
その時、魔法が起きる。
君は目覚める。
ちょうどたった今、君がそうであるように。(ビレッシュ)





人と出会うための瞑想

人と出会うための瞑想:ビレッシュ D.ユソン

もしもあなたが自分以外の人と接する機会を持たず、
私は悟ったのだと言って、自分を受け容れているだけだとしたら、
それは十分とは言えません。

人々と出会うことは、自分自身を発見することと同じくらい大切なことです。私は、ほかの人々と共にあることを通して自分自身を発見するのが好きです。人と の感情的なふれあいの中でもっとも大きなものは、触れることです。近頃では、科学者がそれについて論文も発表しています。言葉で感情を表現することもでき ますが、相手に触れる方が10倍も強力です。

ソーシャルメディテーションとは、
相手を通して自分が誰かということを学ぶためのものなのです。

私たちの社会では、ひとり自分だけでいるということはあまりありません。たいていの場合、何らかのやり方でお互いに関係しあっています。それは、テレビで あったり、人であったり、犬であったり、物であったりします。あなたは、この社会の構成要素 ―たとえばクラブミュージックのような― を使わなければなりません。

瞑想は現代的である必要があるからです。

インドでは、ただ独り木の下に座り、瞑想することもできます。現代社会では、人々は出会いたいと願っています。ソーシャルメディテーションは、人々が持っ ている触れ合うことへの必要を満たす、すばらしい方法です。彼らはその後、もしかするとデートをするかもしれません。そうすれば、ソーシャルメディテー ションが生き方そのものとなっていきます。
Veeresh (アバヤ訳)




金の卵 ~愛を受け入れる~


グループでのNo.1プロブレムは、愛を受け入れることだ。
他のすべては、ただのプロセスだ。

「俺は怖い!」
「そうか、そうか、怖いままでいてごらん!」

「俺は怒ってるんだ!」
「そうか、そうか、そうか!それを通り抜けたいか?」
「いやだ、いやだ!」
「よーし、続けて!」
「痛いんだー!」
「そうか、深く行くんだ、もっと、深く!」

そしてついにある日
君は発見する
君についてのネガティブなことはすべて
幻想なのだということを。ビレッシュ


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