私がいつも読ませて頂いているQさんの『宇宙となかよし』 で、
般若心経のことが書かれていました。
その中で、『悟りなんて、求めている以上、到達しようがない。』と書かれて
いて『そうそう』と頷いてしまいました。
そもそも悟るもなにも、最初から悟ってるんだから、悟りようがないわけで。
私も昔は、ひとつひとつ修行をして悟るとか、悟ると苦みがなくなるとか、
悟ると感情の起伏の薄い聖人君子になるとか、そんなイメージを持って
いました。
でも 実際は悟ったといっても(みんなが最初から悟っていることに
気付いたとしても)、脳のプログラムの仕組みは作動し続けるし、
幸せだったり、苦しかったり、いろいろな感情がわいてきたりします。
つまり苦しみがなくなったり、感情の薄い聖人君子にはなりません。
何が違うかというと、それらが幻だと気づいているから、必要以上に
状況にのみ込まれないこと。
そして、どうせ幻なんだから、好きなように見ればいいということです。
この時の好きなようにみるということは、
ミクロの肉体的な私からすれば自由意思であり、
マクロの宇宙からみればそういう風にみることも決まっていた運命です。
宇宙は一人一人が主役のストーリーの決められた壮大な映画のようです。
それではありがとうございました。
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