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varonのブログ

大切な愛猫バロンが2013. 3. 3の朝8時前に亡くなりました。
本当に悲しかったけれど前向きに生活出来ているつもりでした。
四十九日も過ぎた頃から急にペットロスに…。

…そんな私でしたが仏教を学び、やっと辛い想いを乗り越えました。
不快な方はスルーして下さい。

今回は 怨憎会苦(おんぞうえく) について少し書きたいと思います。

こちらも先日書いた「愛別離苦」、「求不得苦」と同様、四苦八苦のうちの一つです。


字を見ればなんとなく解る方もいらっしゃると思いますが、簡単に言えば自分が嫌だな~と思う人と会ったり、一緒にいなくてはならない苦しみのことです。


学校や職場、ご近所付き合い、家族や親戚などなど、誰しも経験があるのではないでしょうか。

いちいち癇に障ることを言ったり、いつも誰かの悪口ばかり言って人を不愉快にさせたり、相性が合わなかったり…。

嫌だと思う事は人それぞれだと思いますが、これも誰もが抱えている苦しみの一つだと仏教では説いています。


世の中にこれだけ多くの人間がいれば、意見の合わない人、相性の悪い人、価値観が違う人がいて当たり前です。

自分ひとりが苦しいのではなくて皆、大なり小なり苦しんでいるのです。


仏教では、これらの苦しみがあるのは当たり前の事で、その苦しみを集めているのは実は苦しんでいる本人なのだと説いています。

「自分から好き好んで苦しみを集めてなどいない。あの人が悪いからじゃないか。」と思うのも当然かと思いますが、その「あの人」に心を奪われてはいけません。

ひどい目にあえば合うほど「あの人」が頭から離れなくて、そして頭から離れない間は自分が苦しむのです。


私もまだまだ修行が足りないので、時々心を奪われたり、不意に思い出してイラッとしてしまいますが、そんな時に実践しているのが「お通りください」方式です。

勝手に名付けた方法ですが、私には効果があって重宝しています。


思い出さないようにしようと努力すると、かえってその事を考えてしまうので、思い出してしまった時には「あーそうそう、そうねー。そんなこともあったよねー。はいはい、さよならー。お通りくださいー。」と一歩引いて他人事のように眺めることで、自分の感情がその記憶を引き止めないようにしています。

何回か続けていくうちに嫌な記憶が薄まっていきます。


普段意識していないと思いますが、良いもの悪いものにかかわらず、いろんな記憶が頭の中を走馬灯のように駆け回っています。

その中で嫌なことには感情が反応しやすいので、嫌なことばかり思い出すという錯覚に陥っているのです。


悪感情が苦しみの元かもしれませんね。

話が少し逸れてしまった感じですがあしからず。。

心しだいで人は幸せになれると思う今日この頃です。

心が満たされている時に人は幸せだと感じるのだと思います。

心の安定が幸せへの第一歩なのだと思います。


私は歴史や地理が好きです。

日本史や世界史、地理など、学生のころはあまり興味がありませんでしたが、大人になって知識量が増えるごとにどんどん好きになっていきました。


長い歴史を眺めていて思うこと、それは自分は一番良い時代の一番良い場所に生まれたのだということです。

私の家は決して裕福とは言えませんが、食べ物がなくて飢え死にしそうになったことはありません。

世界に目を向けた時、日本の一般家庭の暮らしは世界平均のはるか上に位置するのではないでしょうか。

歴史を振り返った時、飢饉で餓死者が出た時代や戦国時代、身分制度の厳しかった時代等々、一歩下がって今の日本を眺めてみれば、なんて自分は運が良かったのだろうと思います。


これらのことを当たり前だとしか思うことが出来ないとしたら、それはとても不幸なことです。

なぜなら人類史上、こんなにも満たされた国や時代は見当たらないのですから…。

これ以上の幸福を求めることは至極困難だと思うのです。


今までは当たり前だとしか思えなかったとしても、もし自分を変えたいと思う気持ちさえあれば少しづつ変わっていくことも可能です。

手遅れということはありません。

全ては本人の気持ち次第です。

自分の心の中に幸せの鍵が隠されています。


まずは自分にすでに与えられている物に対して、感謝の気持ちを忘れないように意識することから…。

もしも途中で出来なくなっても諦めないことが肝心です。

これもまた四苦八苦のうちの一つですが、今日は求不得苦(ぐふとっく)について少し書かせていただきたいと思います。


四苦八苦では全部で8つの苦しみを表していますが、この求不得苦は残りの7つ全てを含んでいるように思います。

簡単に言えば「自分の思い通りにならないことによって生じる苦しみ」のことです。

字が表していると通り、求める物が得られない苦しみのことです。


前回の記事で書かせていただいた「愛別離苦」も、愛おしい人と離れたくないと願っても必ず何らかの形で別れが来るということですから、自分の思い通りにならないことによって生じた苦しみと言えるでしょう。


長い人生を送っていれば世の中には自分の思い通りにならないことがいっぱいあります。

でも、思い通りにならないというのは、当たり前のことなのだと仏教では解いています。

そういうものなのです。

一見、順風満帆に見える人でも求不得苦を抱えているものです。

ですから、思い通りにならなかったことがあった時には、いつまでもその事に執着してくよくよせずに「うまくいかなくて当たり前」と思って、また自分が出来ることを続けていくことが大事だと思います。


もちろん、そう思おうと思っても最初からうまくいく人は稀でしょう。

最初は中々そんな風には思えない人が多いと思います。

それでも諦めずに続けていくこと、これが私達の心を育てていってくれる「修行」になるのではないかと思います。


そして、もしも自分の思い通りになることがあった時には、そのことに心から感謝出来るような、そんな心の状態を作っていけたら、人は一歩、幸せに近付いたと言えるのではないでしょうか。


求める物が得られないことは誰にでもあることです。

そのことに執着すれば苦しみが生まれます。

ほどほどで執着を捨てて、また少しづつ自分のペースで前に進みましょう。

仏教の中に人の苦しみを表す言葉で、四苦八苦という言葉があります。

生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の合計八つのことです。


今回は愛別離苦について書きたいと思います。

読んで字のごとく、愛するものと別れ、離れなくてはならない苦しみのこと。

愛しい者との別れとはいってもいろんな別れがありますよね。


片思いの相手に告白して振られたり、恋人との別れ、親に勘当されたり、離婚で愛しい子供と離れなければならなかったり、愛しい者と死に別れたり…。


その他にも様々なシチュエーションが考えられますが、自分が愛しいと想う者と離れなくてはならないというのはとても苦しいことだと思います。

人それぞれ大切なものは違いますが、私自身も愛猫の死によって深く深く悲しみました。

苦しみました。


だけど、自分だけが苦しい訳ではありません。

愛別離苦は誰の上にも起こりうる苦しみでしょう。

愛別離苦はもちろんのこと、四苦八苦は誰の上にも起こるものなのです。

逃れることの出来ない苦しみなのです。

そして、この苦しみがあるからこそ愛おしいと、大切にしたいと想うのではないでしょうか。



苦しみの真っ只中にいた頃、愛別離苦の苦しみから逃れたくてネットで検索しまくりました。

その時に、「その愛を捨てれば苦しみから逃れることができる」というような話を見つけました。

…。

…。

…。



この時思いました。

この愛を捨てるくらいなら、苦しみ続ける方がマシだと。

この愛を捨てるということが私にとってはどれ程辛いことなのかと。

苦しくても構わない、この愛を捨てずに生きていこうと思った時、憤りと共に愛猫を失って初めて前向きな気持ちが湧き上がってきました。

私が生きている限りは、私の心の中で一緒に生きていくのだと思うことにしました。


こんなに苦しいのはそれだけ愛おしいということの証拠なのかな。

…そう思ったら、その苦しみさえも愛おしく感じることが出来ました。


愛おしいからこそ苦しいんですよね。


その苦しみに相当しない愛なら捨ててしまえばいい。

相当するものならば苦しみと共に生きればいい。



…そう思って暮らしているうちに、いつしか苦しみや辛さは和らぎ、愛だけが残っていきました。

今はただ逝ってしまった愛猫への愛と感謝の気持ちでいっぱいです。

つらい想いから抜け出し、復活することが出来ました。

どっぷり宗教にハマってしまいましたが、私にとっては利益になることの方が多かったので良いと思っています。

…という訳で、どんな心持ちで過ごしているのか等々、今後は綴っていけたら良いと思っています。

不快な方はスルーしてください。

新しい猫に癒されている部分があるのも事実だけれど、

バロンにしか埋められない部分があることも事実たったりする訳で…。

甘ったれていると言われてしまうかもしれないけど、バロンの所へ逝きたい…。

両親が死んでしまったらこの想いは止められないかもしれない。

ただバロンと一緒に居た時間が愛おしい。



今日は何曜日だろう。

土曜日か。。世の中はお盆休みですね。


…つらい。

バロンがいないことがこんなに悲しいことだなんて。

形見のハーネスと写真を抱きしめながら、当然だけど満たされない。

なんだかちょっとだけ失恋した時の痛みにも似ている。

バロンが死んで5ヶ月。

きっともう土の中で分解されて地球へ還っていってしまったのだろうと思う。


思い出ってなんだろう。

想いってなんだろう。


バロンにもう気持ちを伝えたり出来ないから辛いんだろうか。

心を通わせられないから辛いんだろうか。


何の返事もなくても私の気持は変わらないのに。

もう死んでいなくなっても好きな気持ちは変わらないのに。


バロンと過ごした日々が幸せ過ぎて、でもそれが当たり前になってしまっていたからこんなに辛いのかもしれない。

それでも私の人生はバロンに会えたことが一番の喜び。

バロンがいなければあんなに幸せな日々を送ることは出来なかったと思う。


バロン、ありがとね。


あーバロンに会いたい・・・。

叶わないことを考えても仕方ないけど会いたいという気持ちが止まらない。

バロンの手触りも抱いた感じも、ありありと思い出せる。

もう永遠に抱くことが出来ないという現実もありありと感じる。

求めても得られない物を求めている。

…ほんとに愚かですよね。

それでもこの気持ちを振り払うことが出来ない。

というより振り払いたいと思ってないかも。

まだしばらくウジウジしてそうです。


最近になってやっと新しい猫が可愛いと思えるようになってきました。

ものすごく人懐っこい子猫でとってもおてんばです。

バロンはお淑やかだったので正反対です。

バロンを失った心の穴を埋めることはできないけど、心の別の部分で新しい猫の場所が出来たみたいです。

心の一部が新しい猫に癒されています。

もしも、霊とか存在するとしたらバロンには申し訳ないなっていまだに思ってしまいますが…。

今日もまたバロンに会いたくてたまらないけど、もう会えないんですよね。

私が生きている間は私の心の中で思い出として一緒に過ごしていきたいです。

当たり前だけど、やっぱりまだ悲しいな。


なんだか時間の感覚がおかしい。

もうすぐバロンが死んで4ヶ月になる。

もうずっと会えていないのに無意識に近くにいるように感じている。

バロンとお別れしたのが遠い昔のような感じもするし、ついこの間のような感じもする。

まだ悲しみは消えないけど、この悲しみはバロンを大切に想っていればこその悲しみ。

バロンを想っていることの証だと思えばこの悲しみもまんざらでもないのかもしれない。

夢でもいいから会いたいな。