varonのブログ

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大切な愛猫バロンが2013. 3. 3の朝8時前に亡くなりました。
本当に悲しかったけれど前向きに生活出来ているつもりでした。
四十九日も過ぎた頃から急にペットロスに…。

…そんな私でしたが仏教を学び、やっと辛い想いを乗り越えました。
不快な方はスルーして下さい。

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最近、「とても参考になるな~」と思いながら見ているお坊さん達がいます。

釈徹宗さんと、大愚元勝さんです。

 

釈徹宗さんは、100分 de 名著という番組の「維摩経」の放送で、

大愚元勝さんは、知人に教えてもらって You Tube で、

それぞれ拝見しました。

 

仏教についての正しい道筋とでもいうのでしょうか。

私などが心配しなくても、しっかりと仏教が解かれているのだな~と分かって、とても安堵しています。

私の見識が狭かっただけで、世の中、結構捨てたもんじゃないな~と思いました。

 

どちらの方も仏教の教えについて、私のブログより、もっともっと解りやすい言葉で表現されていると思います。

興味のある方は見てみてください。

 

参考になれば何よりです。

ナムナム。

自分は何のために生きているのか…。

時にはそんな事を考える方もあるかと思います。

そんな事は考えたことが無いという方は、それはそれで生きやすいと思うので良いのかなと思います。

 

何のために生まれたのか…。

生物は皆、ただ精一杯生きるために生まれてきたのだという事に今日気がつきました。

 

私もまた、ただ精一杯生きるために生きているのだと。

強い者に虐げられることがあっても、ただ精一杯生きれば良いのだと思いました。

 

生きていれば誰かに傷付けられることもあると思います。

楽しくても、傷ついても、ただ精一杯生きていくことが、この世に生を受けたものの姿勢なのかなと感じました。

 

精一杯生きるということは、自分に出来ることをするということです。

沢山のことが出来る人は沢山のことを、少しの事しか出来ない人は少しのことを…ただただそれだけの事です。

 

立派な事をしなくても、自分が出来る精一杯のことをすることが、この世に生を受けた生命それぞれの役割なのかなと思います。

 

皆が皆、ただ自分の出来ることを…。

今日はそんな事を感じた日でした。

 

何かの参考になれば幸いです。

ナムナム。

将来のことを考えると、とても不安で情けない気持ちになることがあります。

 

今出来ることを見つけて、コツコツと続けていられる時には、ある種の充実感とでもいうのでしょうか、希望を持つことが出来るのですが、「自分には出来る」と思っていたことも出来ない時には、正直、情けなくなってしまうこともあります。

 

ひょっとしたら立ち止まった時に、こういう気持ちになるのかもしれません。

今は休憩してるだけだと考えれば良いのかもしれませんが…。

 

でも、そんな中でも実感したことがあります。

今まで「自分には出来る」と思っていたことが出来なくなったとしても、まだまだ出来ることがたくさんあるんだ!ということです。

 

「自分には出来る」と思っていたことが出来ない時には、実際にレベルダウンしているということかもしれませんが、生物はもともと、老いや病によってレベルダウンしていくものですよね。

他の人よりも少し早めにレベルダウンすることによって、最先端を覗いているとでもいうんでしょうか、そんな風に考えてみました。笑

 

何事も考え方ひとつなのかなと思います。

 

自分が考えた通りに思えるかどうかが問題なのだと思いますが、仏教の八正道・六波羅蜜を心がけることで、以前よりは自分の考えに気持ちが付いてくるようになったような気がします。

 

まだまだ修行中で不安定な時もありますが、確実に以前よりも強い自分がいます。

うまく伝えることが出来ないことも多々ありますが、これからも仏教について発信していけたら良いなと思っています。

 

 

本日はこれまで。

ナムナム。

 

皆さんは九相図とういうものをご存知でしょうか。

九相図とは、生き物(人)が死んだ後に辿る姿を示したものです。

自分でも何故だか解らないのですが、この九相図を見ると涙が出てきます。

 

おぞましいと思う人もいると思います。

正視できない人もいるかもしれません。

 

でも私は、見ると何故だか涙が出てくるのです。

 

この事実を恐れているからなのか、それとも哀れんでいるからなのか…。

それとも、バロン(死んでしまった愛猫)を連想してしまうからなのか…。

未だに解らないのですが正視すると涙が出てきます。

 

人(生き物)にはいずれ必ず死が訪れます。

これだけは全ての生物に平等に与えられた事実だと思います。

 

生命として存在する以上、望まなくとも死は必ず訪れます。

…もう一度自分の生を見つめてみてください。

 

どんな人生を送りたいですか…。

人生には限りがあります。

自分に出来ることで構いません。

出来ていますか?

 

全ての人々が穏やかな人生を送って欲しいとかそんな欲張ったことは言えませんが、少しでも多くの人に、ココロの平穏を得てもらえたら良いなと心より願っています…。

 

今日はここまで。。

ナムナム。

 

 

仏教では強すぎる欲のことを「執着」と言ったりしますが、これから逃れることが幸せへの近道なのかなと思います。

 

食欲・愛欲・睡眠欲・人に良く思われたい・自分の思い通りにしたい等々、自身に自覚は無かったとしても、人は何かしらの欲を抱いて生きています。

ほどほどに欲が無ければ生きていけませんが、「強すぎる欲(執着)」は不幸の素になってしまうと思います。

 

前に「中道」の話をしたことがありますが、欲に関しても、この「中道」が当てはまるでしょう。

 

全く無いのもダメ。

強すぎるのもダメ。

この2つにこだわる(執着)のもダメ…。

(そして、時と場合によってはダメではなかったり…)

 

敢えて自然体になろうというのは意識してしまうと難しいものですが、「自然体」の状態が、様々なことに「執着」せずにいられて、しかもそれが、「正しい方向に向かっている」という状況を作り出せるのが仏教の教えなのかなと思います。

 

八正道や六波羅蜜などの仏教の修行方法で「正しい方向(どんな状況でも平静でいられるようになっていく方向)」へ進んで行けるのかなと。

 

なかなか仏教の本質に触れるのは難しいですが、「八正道」「六波羅蜜」がその一端です。

その当たり前のことを心がけるだけで、ふとその本質に気付く時があるかもしれません。

実感できる時があるかもしれません。

 

仏教は本来は宗教というよりは、哲学の色が濃いものだと思います。

気持ちの良い生き方をして、いつの日か清々しく世を去っていく…。

私はそんな風に理解しています。

 

それでは今日はここまで。

ナムナム。

この世の中は無常だなとつくづく思います。

そこに居て当たり前だと思っていた人が遠くへ行ってしまったり、鏡を見ていたら新しいシワを発見したり(笑)。

常に変わっていくものだから、今ある「当たり前」を大事にしたいです。

 

一期一会という言葉がありますが、いつもそんな気持ちで周りの人達に接することが出来たら良いなと思いました。

高橋ジョージさんの歌で「何でもないようなことが~幸せだったと思う~」という歌詞がありますが、愛猫のバロンが亡くなった時にひどく痛感したことを思い出しました。

 

心も日々変わっていくので、一度解ったつもりのものでも忘れてしまうのかもしれません。

何回も失敗を繰り返ししながら、少しづつ心に沈殿していくものなのかもですね!

久々の更新です。



今日は涅槃経の中に書かれている「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」について書かせていただきたいと思います。


自灯明とは、簡単に言うと他人や偶像などを頼らずに、自分自身を頼りに生きなさいということです。

法灯明とは、法(仏の教え)を頼りに生きなさいということです。



元々強い人なら自分自身を頼りに生きていくことは難しくないかもしれませんが、世の中、強い人ばかりではありませんよね。


私もそうですが、弱さや恐れ等々、頼りにならない自分がここにいます。

そんな風に自分自身を頼りに生きられない人は、法(仏の教え)を頼りに生きていけば良いということです。



仏様の残した教えは頼りにしても良いですが、仏様を頼りにしてはいけないのです。

この違い、解っていただけるでしょうか。



仏教を勉強していて思うことは、お釈迦様にお祈りしても一時の安らぎしか得られないのかな…ということ。

お釈迦様はそもそも実際に存在した普通の人間です。

お釈迦様(仏像など)にすがるのではなく、お釈迦様が残してくださった教えを頼りに生きることで、今よりも強い心を得ることが出来ると思います。

今よりはずっと生きやすくなるのではないかと思います。



仏教では実にたくさんのお経が残されていますが、その中で一番お釈迦様の言いたかったことが書かれていると言われているのが「法華経」です。

例え話や方便などが入り混じって、現代の人々にはかえって解り難い感じもありますけどね。

約2000年前(御釈迦様の死後500年くらい)に完成したお経ですから、解り難いのも仕方ないのかなと思います。



全てのお経を勉強することは私には難しいので、法華経・涅槃経・般若心経などをかじっているところですが、「南無妙法蓮華経」という言葉は好きです。

夜、眠れない時にこの言葉を繰り返していると少し落ち着きます。



南無というのは「信じます」ということ。

妙法蓮華経というのは「法華経」のこと。



つまり「法華経を信じます」という題目(唱名)です。

日蓮宗や天台宗で使われているものです。


各宗派によっていろいろな題目(唱名)があるので、調べてみるのもいいかもしれませんね。

私は「南無妙法蓮華経」が良いと思っていますが、それぞれの人に合ったお題目(唱名)があるのかもしれません。



本日は自灯明と法灯明について書かせていただきました。

法(仏の教え)を頼りに生きていくことで、いつか頼りになる自分を手に入れられることを願っています。

ナムナム。

仏教について時々考えたり、勉強したり、実践したりと、いろいろとしているうちに、気が付いてみたらプラス思考になっているなと感じる今日この頃。


欲張らずに素直な気持ちで、出来なかったことよりも出来たことに、毎日毎日目を向けていたら、自然と気持ちが軽くなったように思います。


毎日毎日少しづつ、世界も自分も変わっていくんだろうなと思います。


バタフライ効果ってありますが、人間一人ひとりにも当てはまると思うんです。

いっぱい頑張れなくたって、ほんの少しだけ頑張った積み重ねが、未来の自分の居場所を変えていくのかなと。


1年前の自分を思い出してみたら、、あの頃よりもいろんな意味で少し前に進めたなと感じます。

これからもマイペースで少しづつ進んで行けたらいいなと思います。

時々何の理由もなく、ただ悲しくなることがあります。

普段は何とも思っていないことに、覚悟を決めて乗り切ることが出来たと思っていたことに、不安を感じることがあります。

心が弱っている時に人は不安定になるものなのかもしれません。



そんな日には無理に元気を出そうとしないで、しっとりと不安の中へ身も心も漂わせてみましょう。

自分の弱さを否定せずに受け入れることで自分を労わることが出来るかもしれません。



叫びたくなったら誰にも知られないところで叫んでみたり、友達と一緒にカラオケで歌いまくったり、泣きたくなったら素直に泣くのも良いかもしれません(周りに人がいるとびっくりされると思うので注意)。

弱っている自分を受け入れてくれる人が居るなら一緒に時を過ごしてもらうのも良いかもしれません。

体を動かすのが好きな人は一汗流すとすっきりしそうですね。



不安定も、安定も、いつまでも続くことはありません。

良いことも悪いこともずっとは続きません。



つらい時には、春を待ちわびる桜のつぼみのように、ジッと寒さに堪えながら、暖かい春を待ちましょう。

寒さに堪えながら、その時々に自分に出来ることを淡々とすることです。



堪えることしか出来そうにないなら、ただ堪えることです。

助けを求められるなら、助けを求めることです。

余力があるなら、現状を打開できるように努力することです。



どんな時にでも自分に出来ることがきっとあるはずです。

どんな些細なことでも構いません。

「私は今○○をしている」

と自覚を持つだけで、少し不安が和らぐような気がします。



…そんな訳で今日はブログを書いてみたら少し不安が和らぎました。

読んでくださった方、ありがとうございました。

今日は十界互具の残りの4つ、「声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」について書かせていただこうと思います。



前回 書かせていただいた「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六道は、凡夫(普通の人)の人々が堂々巡りするとのことが仏教に書かれています。

今回書かせていただく残りの4つ、「声聞・縁覚・菩薩・仏」は、仏教を信心する人達が到達できる境遇と考えていただくと解りやすいかもしれません。




声聞界(しょうもんかい)…仏の残した教えを信じて忠実に素直に実行している状態

(前にお話した八正道 を素直に実行している人々の心理状態。)


縁覚界(えんがくかい)…様々な縁によって自ら悟ることが出来た状態

(十二因縁という修行法があるようですが、ごめんなさい。。私にはちょっと肌に合わないというか、今のところ解りませんが、縁に触れて自分で考えながら悟りに至るということのようです。)


菩薩界(ぼさつかい)…衆生を導いて救おうとしている状態

(具体的には六波羅蜜を実行している人々の心理状態。 ※六波羅蜜は菩薩道を行う人々の修行法です。この修行法については後日また書かせていただく予定です。)


仏界(ぶっかい)…禅定(心が安定している状態)・解脱(世の中の執着や迷い・苦しみから抜け出した状態)などに成功した状態

(逃避とは違って、現実を直視しつつ感情的にならずに一歩引いて冷静に見つめている状態とでもいうのでしょうか。すいません。。私自身がまだ仏状態で安定していないので、一言では説明できません。ごめんなさい。)




仏教では、仏教を信心することによって六道(前回 の記事に書かせていただいた 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)から抜け出し、「声聞・縁覚・菩薩・仏」の状態になることによって、心の安寧を得られると書かれています。


生きていく上で欲望(煩悩)を無くすことは出来ないかもしれませんが、欲望(煩悩)に執着しない事で、苦しみから抜け出す事が出来るという事なのだと思います。

私は主に法華経を勉強していますが、そこに「八正道 」・「十二因縁」・「六波羅蜜」について書かれていました。

この3つの修行法のいずれかを続けることで、仏の状態を体感することが出来るのだと思います。


誰でも一瞬なら「仏の状態」になれると思いますが(即身成仏)、修行を続けることによって仏の状態に長く留まる事ができるというのが修行を続ける意義なのではないかと思います。


長く留まる事が出来れば、それだけ心穏やかに過ごせるということ。

いつでも(どんなに辛い時でも)自在に仏状態になれるということが修行の成果なのかなと思います。




私自身、まだまだ修行中の身ですので、上手く書けたかどうか解りませんが、参考にしていただけたら嬉しいです。

本日はここまで。

ナムナム。