給食の生みの親 | varea易

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給食問題。


私自身、苦手だった給食を克服したことで食べることが大好きになった経験あり。

ホントに大切だと思う給食なのに、最近、いろいろな問題があちこちである。

学生時代は菓子パンやコンビニで購入して食べるなんてこともあったけど、それでは嗜好の問題からやはり偏りが出てしまう。

成長期の子どもたちにはなおさら重要。

スムーズに給食問題は解決してもらいたいものとか思っていたら、その給食システムを作ってくれた方がいた、とNHKBSの英雄たちの選択で取り上げてくれた。


学校給食の生みの親

栄養学者の佐伯(さいき)ただすさん。

日本の栄養学の父といわれたそうで、栄養を科学で分析するなどして脚気の原因であるビタミン不足に着目したり、人体実験?のような研究などして栄養研究所を自費で立ち上げ、6年後には国に認められたり。

その功績は広く世界でも知られたらしいが、私たち日本人のあいだではほぼ知られていないというのが残念な話。

経済と栄養の両立をはかるため新聞に毎日安くて栄養ある献立メニューをのせていたとの話も。そうしたさいき先生をみて食いもん博士と揶揄する人もいたそうだけど、そんなヤジも本人は意にかえさず。


当時の日本は極度に脂質が足りず、1日に食べる米は白米にして5合だったというから偏りが凄い。それでお腹を満たしていたせいでビタミン不足から脚気が流行。

栄養の偏りを補てんするメニューなどを新聞に掲載しおかずの重要性を広めたところ、その頃からフライパンが家庭に浸透し始めたという話も。

脂質が足りないとビタミンを吸収できないそうで、昔よくいた青っぱなの子どもはまさにそのビタミン不足の典型だったらしい!

脂溶性ビタミンは皮膚や粘膜に欠かせないと、全然知らなかった!!!


栄養の重要さに気づいたのはアメリカ留学がきっかけというから、さいき先生のような人が広く世界を見てくれていたことに感謝。

国を豊かにするには底上げの大切さで将来を担う子供たちの栄養を高めることが大事と、学校給食を作ろうとしていたものの予算で苦戦。

そうしていたなかで関東大震災が起こってしまう。その際は研究所が多くの炊き出しを担ってくれたという話もある。


この震災で、さらに貧困問題なども発生。

それを機に内務省から欠食児童の問題にとりかかってほしいと打診されるも、国の財政難から経済を優先しろという声もあったなか、

やはり最重要なのは欠食児童をなくすために栄養を摂らせる学校給食が大事、とそれに関する意見書を大臣に提出。

そこには細部に渡って注意深くおこない、貧困問題を感じさせないようにすべての児童へ学校給食を与える、という優しい内容が書かれ、及び給食を作る側への効率良い進言も加えて、学校教育法として国に認められたそう。


それにより栄養を考えられた学校給食を食べた子ども達が、栄養学のような意識を家に持ち帰りそれが親へも良い循環となって、家から国家へ広がっていくような…。

給食はただ栄養という視点だけではないのが凄い。

この番組の磯田先生いわく、この給食制度が出来たことで江戸時代から引き続いていた身分制度の崩壊にもなった、という話は実に興味深かった。

また、この時期は均質な日本人を作りあげる必然性がある時期でもあったというヤマザキマリさんの言葉も重かった。


なにかをするのにはいつでも良いというわけではなく、その時代背景、時期で良くも悪くもなる可能性があることを、私たちもしっかり理解しないといけない。

さいきさんは、栄養学は国も関係なく人びとに平等に与えることが出来る、と世界中に周知するために飛び回っていたという。


給食は戦後からと思っていたのが、この番組で戦前からあったことを知り驚いた。

その礎があったことで海外の人からも佐伯先生は尊敬されていたらしく、戦後、栄養調査を担当したGHQの人が佐伯先生はご健在か?というところから、スムーズな給食制度を戦後にも作ることが出来たという。


栄養研究所も戦前には解散させられてしまったが戦後の昭和22年には再開。

佐伯栄養専門学校という佐伯先生の名前がいまでも残っている学校が大田区蒲田にあるという!これまた全然知らなかった!!

世界で初めて栄養師を作る学校として建てられたという。給食の実施で活躍してくれたのがこの栄養師の人々だったと。

さいき先生が栄養に投資してくれていたからこそ戦後も10数年で我が国の経済が成立したのではないか、という話もあった。


栄養がとれてこそ健康に、健康な人間がいるからこそ経済、社会がまわる。

食いもの博士と他の研究者から笑われていたとの逸話も、これ程大切なことを大切と思える人がいて良かった!!!

一方で、そうでない側の人間がちやほやされていたとしたらホントに残念過ぎる、と改めて感じる。

ホントの偉人の名前は自国では知られずとも、広く世界に名が残っていることが多々あることを我々も忘れないようにしないと。