淡路国生み参拝(4)~伊勢久留麻神社~ | 神々の東雲

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わたくしたちの美しい国日本の成立を、記紀や神様のはなしを中心にまとめました。

 

いきなりなんなのですが...

 

「神」という存在を「意識」と簡単に言ってしまうと、それで終わってしまうような気がします。

 

 

なぜなら、だったらどうして色々な形で人間界に現れるのでしょうか?

 

 

あ、ひとつだけこういう話題になったときの原則、いや、「おことわり」として、神、もしくは「神に類似する、或いは神の意志を持って」というものまで含みます、ということにしてください。

 

そう、それぞれの民俗、宗教、哲学において、神、もしくは神に次ぐものの解釈が違うからです。(ここ、今回はあんまり長くなりたくないので割愛しますが...)唯一絶対神を神としている考えと、八百万を神と考えている民俗慣習では、言葉の食い違いになってしまうからです。

 

 

そう、「大宇宙」とか「大極」という「神」の考えかたです。

 

 

なので、話を元にもどすと、その「大宇宙」=「意識」という考え方。

 

これだと言ってしまうと、終わってしまうんですね。

 

ただ、課題も残ります。

 

「意識」=人間の意識なのか、神という概念の意識なのか?

 

つまり、前回に書いた、イザナキさまとイザナミさまの「意識の調和」というところ。

 

で、それがこのときの結論(でも、まだ仮説)。

 

そんなことを考えながら神戸の舞子で一夜を過ごしました。

 

(え?? 考えてみたら「神戸」ってすごい地名?? 「神」の「戸」なんですね。

わたくし、ここは「福原京」程度にしか考えていませんでしたから...

しまった、課題が増えましたが、今回とは違うので、またいずれの機会かに....)

 

 

そして、いよいよERIさんのツアーに参加。

 

 

山田祥平(神力車祥平)さんとの出会いは「京都ツアー~月読神社~」の冒頭に記しましたので、ここでは割愛。

 

というか、その出会いのときより今回はさらに感動の連続だったので...

 

 

筆者は然程、今回の「ツアーの趣旨」を理解していた訳ではないのですが、それよりも、行きたいと念じたら行けるようにスケジュールが変わりました。

こういうことは年に何回かあるのですが、それはすべて、後々、考えるととても意味のあることで。

なので、これもその延長。

 

それより、いつも言っているように必然なんです。

どう考えても、通るべき、いや、必ず通らにゃならない道なのです。

 

というか、「~しなければならない」って考えると、なんというか義務感とか、使命感とかなのですが、

そうではなく、蒔いた種が芽生えただけなんですね。

 

で、その種も自分で持っている。

 

自分がやってきたことなんです。

 

 

 

無論、もっと高いレベルもあります。

 

自意識の上の部分。形而上というのとはちょっと違うのですが。

 

でもそういう部分に入ってくると自然と魂がよろこんでくるんです。

 

だって、自分で蒔いている種はなんの種だかその時点ではわからないのです。

 

向日葵の種なんだか、西瓜の種なんだか。

でも必ず芽生えます。

 

朝顔の種を蒔いて、小松菜は芽生えません。

 

だから、わたくしたちは出てきた結果において、次の自分の役割を知るのですね。

 

 

なので、いまの結果を慌てません。

それはやってきたことなんですから。

 

と、なかなか、進みませんが...

 

 

今回のERIさんの「淡路ツアーイベント」の紹介文にはこうありました。

 

「天つ神と国つ神との和合を祈る御神事」

「あわじとは、天(あ)と地(わ)を結ぶ道(じ) 」

「天地の意図(イト)を組むこと。 そして、 人がそこに営(イト)なみを合わせていくこと。」

 

素晴らしいですね。

 

ここに反応しました。

 

 

それと、今回は、淡路の国の一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮を巡るのですが、1,2,3と巡るのではなく、逆に巡っていくという、なんともユニークな試み(最初は正直、そう思いました... ですが...)。

 

淡路国三宮 伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)⁇

 

いや、正直、ひとりで計画していたら全くどういう形であれ遭遇することのないお社です。

 

 

案内人の山田祥平さんは、人力車で日本全国を回ったかたです。とくに淡路には造詣も深く、イベントにも協力したそうです。

 

それで、やはりこの「くるま」神社の音(オン)には反応されたそうです。

人力車=くるま です。

 

 

で、実は、ここはなにかというと...

 

 

東西に結ぶ北緯34度32分の直線.

これは、太陽の道、或いはレイラインと呼ばれています。

 

奈良の箸墓古墳を中心に東西対称に位置する伊勢神宮と伊勢久留麻神社は、古くから太陽信仰の拠点として崇敬されているのです。

 

伊勢神島、伊勢斎宮跡、三輪山、室生寺、長谷寺などとともにこのライン上にあり、

 

春分の日と秋分の日に、太陽は、この上を通過していきます。

 

 

このお社は、東に開いています。

多分、昔はすぐにもう海だったのでしょう。

 

すぐ手前にはお稲荷さまが。

 

 

緋乃本稲荷神社といいます。

別名「火伏稲荷」と呼ばれてます。

 

 

 

さて、いよいよ伊勢久留麻神社に参拝。

 

 

 

鳥居をくぐって境内へ。

なにか、こころなしか、背中に強い日を感じます。

なにしろ、伊勢神宮や、三輪山を背負っておりますので...

 

 

 
 

 

 

祭神は大日貴尊とあります。

ご存じ、天照大御神さまの、日本書記に記載のある別名です。

 

 

 

 

本殿の手前、両側に狛犬。

 

ここで、山田祥平さんから興味深いお話しがふたつ。

 

ひとつは「狛犬」なんですが...

「狛犬」は正式には向かって右の「阿」のこと。

では、向かって左側の「吽」は??

「獅子」だそうです。

 

また、狛犬には角がありますが、獅子にはありません。

うーん、なるほど、「あうん」は知ってましたが、両方とも狛犬だと思っており、そこまでは存じませんでした。

 

 

 

そしてもうひとつは、鈴紐のおはなし。

 

 

鈴がない拝殿も多いのですし、そもそも鈴は、神さまを起こす、注目いただくために鳴らすということなので、筆者は鈴があってもあまり鳴らしません。それは、報恩感謝の参拝で、基本的には静かにお参りしていますし、お賽銭は袋に入れて名前も書いておりますので....

 

なので、あまり鈴紐まで気にしていませんでしたが、このお社の鈴紐は「麻」でつくられておりました。

 

 

麻は特別なものなのです。

 

 

神道においては大麻(おおあさ)は罪穢れを祓うものとされています。

そして、伊勢神宮のお札のことを「神宮大麻」と言い、大麻とは天照大御神さまの御印とされています。

 

なので、格式の高い神社では、鈴紐も「大麻」を使っています。

その大麻の鈴紐のことを教えて頂きました。

 

 

 

 

さて、このツアーは更に続くのですが、統一テーマがある一方で、筆者自身にも大きな収穫と変化がありましたので、

 

 

そのあたりは丁寧に書いていこうと思いました。

 

したがって、次回以降につづきます。

 

 

 

 

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