淡路国生み参拝(5)~大國魂神社~ | 神々の東雲

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わたくしたちの美しい国日本の成立を、記紀や神様のはなしを中心にまとめました。

 

ちょっとだけ、このブログのことに関して振り返ってみます。

 

日本の神話をまとめています。

 

しかし、学術的でという訳ではありません(無論、学術発表を参考にしています)。

で、なぜ日本の神話をまとめているかというと、大きく、ふたつの理由があります。

 

ひとつはわたくしの世代は歪められた日本史教育をずっと受けてきました。現代は随分教科書も変わりましたが、わたくしの世代よりはずっと本質に近づいています。というか、歪めらたのは戦前からです。そして敗戦により決定的に歪められました。

 

無論、いつもいうように歴史なんて勝者の理屈です。でも失った根本は、日本人としてのアイデンティティ―をも失いました。

 

ですが、幸い、わたくしの幼い頃からの友人、同じ教育を受けてきた彼らは、そうではなかったし、社会に出て、その本質をしっかり継承しているひとに沢山出会いました。

もうひとつは、日本の神話を幼少のころから聞かせられること、簡単にいえばわかりやすく伝える術を探しています。

 

ギリシャ神話などは、色々な書物がたくさん出ています。勿論幼児向けも。

そして神話のない国や地域まで、ギリシャは、まるでその民族の神話のように語られ、楽しまれています。

 

でも、残念ながらわたくしたちには、こんなに立派で面白い神話があるのに、その接触率は残念ながら低いものです。

 

 

そのようなこともあり、とにかくまったく自分のスタンスという視点で、神話をまとめてみようと考えました。

 

しかし、途中で大きな壁ができました。

 

自分の信心との兼ね合いです。

 

いや、もっとわかりやすくいうと、「天津神と国津神」に関してです。

 

お気づきかもしれませんが、このブログでも、「国譲り」からあとは、かなり「迷い」ながら書いてます。

 

しかし、今回の淡路ツアーは、その解明のヒントになったと思います。

 

 

 

淡路二宮 大和大國魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)

 

 

基本的なことを先に書きます。

 

そもそも筆者は「大國魂神社」なるものが、東京の府中に鎮座していることを知っておりましたが、その本質に関しては全く存じませんでした。というか、興味がありませんでした。

多分、「おおくにたま」という名称にピンと来なかったのでしょう。

 

この東京の「大國魂神社」のご祭神は「大國魂大神」ですが、この大國魂大神という神様も、実はピンと来なかったからです。

 

実際にこの神様は諸説あります。記紀においては、大国主命さまのことなのですが、この、「国魂(くにたま)」とは、神道の観念の一つで、国(令制国)または国土そのものを神格化したものなのです(「国霊」とも書きます)。

 

大国主命さまは、ある時点から、個の神さまから、多を請け負う神様になられておられるのです。

但し、厄介なのが、そうなのだとすれば、この国の最高の神様であってもよいのですが、そこが、少し違う... いや、言い方によってはまったく違う訳なんですね。それが、日本の良さでもあるのですが...

 

ですが、わたくしに取っては、ここが大きな壁となりました。

実際に自身の行動にも現れているというお示しも頂きました。

また、このブログを軸に、神話研究をしている大きな壁にもなりました。

 

そんな状態が昨年末からずっと続いておりまして、ですからこのタイミングでのこの参拝には大きな流れを感じています。

 

 

境内にあるご由緒です。

 

 

よくよみましたら、こちらは東京の「大國魂神社」ではなく、大和国山辺郡の大和坐大国魂神社、ようするに現在の大和神社(おおやまとじんじゃ)からの勧請なんですね。そうですよね、やはり歴史の原点はすべてこの地域のはずです。

たしか以前に武蔵の国の総社が「大國魂神社」、一宮が「氷川神社」だと調べていたことを思い出しました。

しかも「大和神社」とは... なかなかすごいところが出てきたなっていうのが感想でした。

 

 

さて、山田祥平さんの参拝の作法・順路は独特です。

 

いきなり、本殿に。

しかも、脇から入りますが、こちらのお社には本来の参道がありましたので、そこから入っていきました。

 

 

山田祥平さんのお話では、わたしたちはそもそも神の御霊を持っているのだが、参拝し拍手することで神と一体になり生まれ変わる。参道は産道であってまた現生に生まれ出る、これが大事(ちょっと、言葉の使い方が多少違っているかもしれませんがそういうことなんだそうです)。そして鳥居を出たら直来で水と食物を口にして、また人間に戻る。

 

したがって、境内の順路もそういう参拝の順番でした。

 

 

ちょっと筆者にはまだレベルの高さを感じましたが、この「参拝作法の考え方」についてはいろいろ参考にさせて頂きたいと思いました。

 

なぜなら....(これはまた別の話になりますが)参拝作法に関しては、色々と言いたいこと、また、正しいことがあると思っているので...

 

 

このお社に参拝中も、話題は天津神と国津神のことでした。

 

以前にも、「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」その他のところでも書きましたが、スサノオさまは天津神なのか、国津神なのか??

 

これって大きな課題です。

わたくし個人にとりましては、特に...

 

天津神と国津神を分類する幾つかの基準のひとつに、

「国津神は、スサノオを祖とする神々の系統」

という説があり、しかも、これだけでなく、この神々を二分化すると、スサノオさまは国津神に分類されています。

 

いまのところ、筆者には、それは解せません。

ただ、ここを解明するのに時間をかけては先に進めないので、保留というか妥協しています。

 

ですので、前回原稿の冒頭に書きました「神=意識」にしてしまえば、とっても簡単にここは通り抜けてしまえるのですね。

 

でも、やはり違うのは、例えば、この淡路でもそうですが、こういうお社という神に近づく場所が、このような変遷を辿っていることの方が、実は大きな意味を持っているからだと思うのです。

 

 

この「大和大國魂神社」の参拝は、特に自分のいまの場所を確認することついてとても有意義でした。

 

 

ありがとうございました。

 





 

 

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