最近ちょっと、道教に興味が傾いてきてましてね。

いろいろ、本とか漫画とかアニメとかを、バラバラと覗いたりかじったりしておったのですが。

 

 

いったん落ち着け自分。太極……、じゃない、大局的に見てみようじゃないかと。

大元から攻めてみるかと。道教の始祖である『老子』からかしらねと。

なんか、思考もブツ切れのまま、『老子道徳経』を読んでみることにしました。

 

 

 

えーと、『老子道徳経』とはですね~……、あーウィキさん、お願いしますw


老子道徳経(ろうしどうとくきょう) は、中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』とも表記される。また、老子五千言・五千言とも。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。上篇37章(道経)と下篇44章(徳経)に分かれ、あわせて81章から構成される。— ウィキペディア日本語版「老子道徳経」より。

うわ、wikiのページに、81章全文(読み下し文も)載っとったがや★
でもまぁ、読んでもわからんやろ自分。



というわけで、『バカボンのパパと読む「老子」』です。
著者は、ドリアン助川氏。昔、「叫ぶ詩人の会」やってらっしゃった方。

 

↑こちらを購入してみました~w

 

 

 

 

(最近、文庫本は目が辛いので、電子書籍。タブレットで読んでおります。)

 

ご覧のとおり、先ず右から原文と読み下し文。

次に筆者による訳文。

最後に、バカボンパパが、、あの『天才バカボン』の世界観で、噛み砕いた解説をしてくれるという、まさに初心者うってつけの本でございます。

とりあえず全体を、ざざーっと駆け抜けるように通し読み。

う、うーん★

 

 

欲望を持つな、とか。

望みを持つな、とか。

幻想を追うな、とか。

勉強をするな、とか。

家から出るな、とか。

金儲けするな、とか。

美醜を問うな、とか。

 

 

かと思うと。

上の者は、
賢いものを褒めるな、とか。
人民に知恵をつけさせるな、とか。
外の情報を入れるな、とか。
国から出させるなとか。
すべて分かっていても、手も口も出すなとか。



現代社会を生きる我々の感覚からすると、まるでディストピアか愚民政策のようでw

いやコレ、国、滅びるんちゃう?

 

 

 

……なんか、一気に無気力になりましたw

究極の 「ことなかれ主義か」と思うくらい、もう、「黙ってじっとしてろや」とw

ううむ、儒教の対極と言われるだけある。恐るべし老子w

 

 

 

だけど、ただそれだけの教えだったら、こんなに長い永い間、残り続けるわけもなく。

道教が老子を始祖に「採用」したからには(老師が道教を開いたわけではありません)これは、修行者に与える言葉なのかしらんとか。




連想したのは、禅宗(曹洞宗)の修行。「只管打坐(しかんたざ)」。ただ座る。
心を止め、削いで削いで、タオに沿えということなのかしらん。

そういえば、映画 『ファンシィ ダンス』で、モッくんが言うとったな。

 

 

永平寺での修行僧である陽平(モッくん)が、弟から「この人でなし!」と言われた時に、

「ボク、仏さまだもーん。人間やめにお山に来たの」

 

 

 

ヨガでも、アーサナ(ポーズ)してるときは、「感情を手放しましょう」とか、屍のポーズ(仰向けに寝て目を閉じるヨガクラスの締めポーズ)の時、穏やかなBGMや「チーン」というティンシャの音を聴きながら、「今のあなたは、肉体を忘れます。何者でもありません。感情でもありません。存在でもありません……」とかの声かけもするし。

 

 

でもさ、でもね。

悟りを得ようと願って修行すること自体が、もう 『欲』 なんですよね?

 

「?????」

 

どう受け取ったものかと、モヤモヤしておりましたら。

 

 

 

師よりアドバイスがございまして。

↓こちらのページを勧めていただきました。

師、曰く。
『この老子解釈はこれまでの老子の常識を覆すところがあって、(略)この「無」の解釈はその通りだと思えた云々。』とのことで。
 
 
まずTOPページに大文字で。
 
真実の『老子』は、いずこにありや?
「弱者」や「負け犬」の慰めの書と誤解される『老子』。
『老子』は、君子候王に聖人たるべき治世の道を説きました。
第1章「天地生成論」によって理解できます。
庶民に向けた教えではないことは明らかです。
 
 
 
ストン。
あー、なるほど。
 
 
 
北京行った時、「中国では、皇帝さまは神さまです」、とガイドの李さんが言うておったな。
私利私欲で政(まつりごと)をするべからずと諭しておられるんですね。
時は、春秋戦国時代ですものね。
 
 

(同HPよりお借りしました)

 

つまり、王様は『妙』、我々は『徼(きょう)』。

徼は凡夫。とりあえずは、一生懸命生きればよいのだよ。

喜怒哀楽は徼の特権w

怒りも悲しみも、喜びも楽しみも、嫉妬も焦燥も、希望も絶望も、これすべて、『生きる』ってことなのだよと偉いお坊さんも言っておらした。

先ずは、燃焼。その折々に、『老子』を思い出すくらいでいいんじゃね?

 

 

 

ちなみに、上記の『老子の宇宙観』を示された方は、本来は占星術師。

サイトを遡ってゆくと、こちら↓に行きつきます。

あらー、ここ、隔週でチェックしてる占いのページやーんw

改めて見るとコンテンツ量、えぐっw

今は西洋占星術にのめり込む余裕は無いなー★

 

 

 

そんな感じで、『老子道徳経』でした。

また時々読んでみて、気づいたことがあったらここでお話しさせていただきますね。

 

 

 

追記:

先に紹介させていただいた本で、何故、『バカボン』の世界なのかですが。

そもそも、赤塚不二夫先生は仏教に詳しかったんだろうと言われております。

バカボンとは、サンスクリット語で『覚者』、悟った人(仏陀)です。

レレレのおじさんは、お釈迦様の弟子の一人チューダ・パンタカがモデルになったと言われています。

 

あ、ここが↓わかりやすい。