主語の曖昧なアドバイスは聞く価値がない?
ネットに転がる話の中で、「それは誰に向けた話なのか」と首をかしげたくなるアドバイスに出会うことがあります。一見もっともらしく聞こえても、対象が曖昧な言葉は、専門の現場ではほとんど相手にされません。なぜなら、専門性が高くなればなるほど、「誰に」「どの状況で」使える話なのかが最重要になるからです。問題になるのは、不特定多数に向けた話そのものではありません。本来、集団全体を対象にした語りかけには、役割も目的もあります。ただし、その前提や射程が説明されないまま語られると、話は途端に空中戦になります。聞き手は「自分はその対象なのか」「どの程度当てはまるのか」を判断できず、内容を使いようがなくなってしまいます。最近ではそれを避けているように見せかけて、「〇〇な人は」「△△に当てはまる人は」と主語を小さくした表現もよく見かけます。しかし本来、「〇〇な人」と言い切るためには、診断や評価といったプロセスが不可欠です。その前提を示さないまま条件だけを提示するのは、主語のサイズを変えただけで、実質的には不特定多数への呼びかけと大きな違いはありません。多くの分野では、ポピュレーションアプローチとハイリスクアプローチという考え方があります。前者は集団全体を対象にし、後者は明確にリスクの高い人に介入する方法です。問題が起きるのは、この区別が曖昧になり、不特定多数を暗黙のうちにハイリスクとして扱ってしまうときです。例えば、その結果として必要のない不安や自己疑念が生まれ、かえって病人が増えることすらあります。レベルの高い専門家ほど、対象を驚くほど明確にします。誰に向けた話なのか、その人たちはどんな評価を経てそこに位置づけられているのかを、意識しています。どこまでが自分の責任範囲なのかも最初からはっきりしており、説明にはわかりやすい潔さがあります。だからこそ、不特定多数には求められていないアドバイスを安易に投げることはしません。主語が曖昧なアドバイスに出会ったときは、「その話は誰を対象にしているのか」「どんな前提で成り立っているのか」を一度問い直してみるとよいでしょう。その問いに答えが見えないなら、その言葉は専門的に見えても、実際には使いどころの定まらない講釈を垂れ流しているに過ぎないのかもしれません。