ここ数か月、我が人生で何十回目かの1970~80年代香港カンフー映画マイブームになっていて、毎日のように観ています。
特に好きなのがジャッキー・チェン(成龍)の「蛇拳」と「酔拳」。
あと「蛇鶴八拳」のオープニングでの1対3での大刀+トンファー対槍術も、文句なしに凄まじいです。
この3つの映画のアクションは、もはや人間がその人自身の生の肉体で出来うるレベルを超越した、最高の身体操作の一つだと感心します。
もう40年以上前ですから、ジャッキーも若かったものですね爆  笑
ちなみに僕は、ジャッキーと同じ年に生まれましたので(向こうの方が半年ほど早いですが)、香港映画スターの中では今でも親近感が湧きます。


前振りはこのぐらいにして、と。

ジャッキーが演じる「蛇鶴八拳」の六合大槍の套路に触発されて、実際の武術家が演武する槍術『六合大槍』や洪拳の棍法『五郎八卦棍』をYouTubeで複数観てみました。
少し前なら絶対に観ることが叶わなかった映像が今では瞬時に観ることが出来ますから、現代は全く便利な世の中になりましたね。

槍と棍はどちらがどちらに影響を及ぼしたのかは分かりませんが、共通の用法や操作法が多く見受けられます。
一方僕がやっている琉球古武道の棒と比較すると、用法的にも操作的にも顕著な違いがたくさんあって面白いです。

顕著な違いを細かく書くと、それぞれの長所・短所が明らかになってしまって分かる人には理解されてしまうのがちょっとマズイので書きませんが、一つ簡単ににおわせますと草履と靴の文化の違いが感じられますね。
さらに、琉球古武道も空手と同じく一撃(またはそれに続く数撃)で相手を仕留める薩摩示現流の影響を顕著に受けているのだなぁと新鮮な発見すらあります。
つまり琉球古武道の棒術も、中国拳法の棍法や槍術も、それぞれの土地風土、民族性、風習などに大きく影響されているわけです。


僕は、琉球古武道においても「居つかない」「無拍子」「ストップ&ゴーでない」動きをやりたいものだと、日々創意工夫し苦心惨憺しているわけですが、このような動きはひょっとして『知念山根流』であればやれるのではないかと、去年ぐらいからず~っと考えて来ました。
幸い知人の空手師範が『知念山根流』を修めていたので、彼にお願いして基本の基本だけでもレクチャーしていただくことになりました。
それが去年の夏。
それからは『知念山根流』の棒の持ち方、基本の打ち方と突き方などを自分の稽古に取り入れました。

なるほど! 
知念山根流は僕がやって来た旧琉球古武道保存振興会(平信賢創始)の棒の持ち方や打ち方とはかなり異なります。
やればやるほど、両者の違いが顕著になります。
そしてやっていくうちに、僕には両者の長所・短所がだんだん分かって来ました。
これも明確に書いてしまうとそれぞれの長所・短所が明らかになってしまって、分かる人には理解されてしまうのがちょっとマズイのでごく簡単にしか書きませんが、非常に興味深い差異があるのです。
どうして知念山根流があのような特殊な持ち方と打ち方をするのか、および旧琉球古武道保存振興会(平信賢創始)の三等分の持ち方が何を意図するのか、明確に理解出来ました。

ヒントを一つ。
知念山根流は棒の重量をすべて有効利用しますから、破壊力は半端なく大きいです。
旧琉球古武道保存振興会(平信賢創始)は棒を三等分して持ちますが、これには大きな意味があって、中国拳法的に言うと双頭の蛇のごとく反撃する意が隠されています。

そして両者の長所と短所も。
その長所と短所をさらに吟味することで、僕自身にとってどちらの方がより適しているかやりやすいかが、明確に把握出来ました。
まあ、去年から今年の春にかけてはこんなことばっかりやっていたというわけです爆  笑


で、今年に入ってから香港カンフー映画マイブームがきっかけになって本場中国拳法の棍法や槍術をYouTubeで観ていくにつれ、あることに気がつきました。
僕がやっている琉球古武道も知念山根流も中国拳法の棍法も槍術も、それぞれがそれぞれなりに、必死の思いと知恵を出して現在のような用法や操作法に収斂していったわけです。
敵を倒す目的は同じ、ただその発想や具体化の方法が異なるのみ。
知念山根流も旧琉球古武道保存振興会(平信賢創始)も見た目はかなり異なれど、結局根本はあまり変わらないのです。
これはある意味至極当然です。
両者は数世代さかのぼれば同じ源流にたどり着きますから。

ということで、すでにある程度のレベルまで習得し自分の中でノウハウ蓄積の豊富な旧琉球古武道保存振興会のやり方を発展させて、「居つかない」「無拍子」「ストップ&ゴーでない」動きを実現するのが、自分にとってベストな選択であると、改めて結論づけました。
ごくごく平凡で当たり前の結論です照れ