ちょっと刺激的なタイトルですが、以前から思っていたことがありますので書いてみます。
今回の記事はあくまで僕個人だけの考えであり、他者がどう考えていようがそれはそれ、僕を含めた各人の自由にすればよろしいことだと思いますので、その辺は大人のご対応をお願いいたします。


さて本題。

形(型)は勝手に変えてはいけない。
先人からの教えが凝縮されたものゆえ、迷わず堅く遵守するものである。
それこそが歴史に裏打ちされた『伝統』を継承する事であり、それが我々の矜持である。


このように主張なさる方々が多くいらっしゃいます。
しかし、沖縄の古い流派(といっても戦後です)の開祖はある日突然正拳を横拳から縦拳に替えました。
また首里手系の代表的流派では、開祖が小柄だったので正拳上段突きを手の甲を水平にではなくやや斜めに傾けて突いていたやり方を、門下生は習います。
僕が入門した松林流でも、入門当時は腰は振りませんでした。
これは1960年代に撮影された長嶺将真先生のその場正拳突きの映像を観てもはっきり分かります。
しかし入門して2年目ぐらいだったかに、「今沖縄の本部じゃ、腰を振ってゆり戻す突きになって来たらしい」とのことで、そのうちだんだんこの突き方に変わっていきました。

形(型)を見てもわかるのですが、「汪輯(ワンシュウ)」という形(型)では大昔の沖縄人が着ていた長い筒袖の中から拳を繰り出す動作があります。
他の形(型)の中にも、昔の沖縄人が結っていた髷(まげ)を掴んで引きずり倒す動作などが残っています。
でも今の時代では、誰もそのような服は着ていませんし髷も結っていません。
それでも営々とその動作を繰り返しています。

そもそも各流派の開祖にしてからが、それ以前の先達から独立し独自に創意工夫して自分のやり方を確立して一派を成した人たちです。
開祖が残してくれたままを墨守せよ!と門人がいうのであれば、実はその開祖からして『掟破り』なわけで、大いなる自己撞着です。
また最大の問題は、門下生たちはどうあがいても開祖の劣化コピーにすぎなくなる可能性が少なからずあることでしょう。


あくまで僕個人に限った私見であり、私見に過ぎない僕の意見を他者に同意を求めたりましてや強要するものでは決してありませんが、僕は空手のやり方や形(型)はその時代に応じてまた各人の考え方によって変化しうるものと捉えています。
つまり、『伝統』とか『正統性』などに拘泥し墨守するあまり、『創造と破壊』『変革と進化』のようなアウフヘーベン(aufheben;止揚)を否定し禁止するのは、武術としてもはやお話にならない、ということです。
誤解しないで下さいね。
決して『伝統』とか『正統性』を否定したり下に見ているのはありません。
『伝統』は継承すれば良いし、『正統性』は実績に裏打ちされつつ勝手に主張してれば良いだけ。
僕はそんなものにはあまり重きを置いていないだけの話。

武術とは空手とは、あくまで『一人一派』
看板や流派の伝統や正統性でやる代物ではありません。
『創造と破壊』、『変革と進化』で行うものだと思っています。
なにより必要なのは、己のたゆまぬ『創意工夫』と『鍛錬』のみ。