山口県 山陰本線の旅(4) | キハでGo!

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Blog of the Kiha, by the mid-aged man, for the Kiha lovers.

こんばんは、久しぶりの三連休が始まり、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
私は久しぶりに施設に入っている祖母に会いに行き、前回と違ってご機嫌で孫である私とひ孫である私のボンもまとめて「かわいい」と言ってくれました。(41にもなって「かわいい」と言われるのはちと、恥ずかしいもんですがww)
 
そして、9月場所も色々な意味で盛り上がっており、この場所は贔屓筋がいい感じで星を積み重ねており、この三連休は相撲観戦が楽しめそうですw
 
さて、前回は「〇〇のはなし」を途中の長門で下車したところで終わっていましたので、続きを・・・
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「〇〇のはなし」が発車すると、たちまち手を振っていた観光協会の方や駅員さんはいなくなり、大きな長戸駅は静かになってしまいましたw
ホームには「〇〇のはなし」の看板、ポスターやのぼりが駅のいたるところにディスプレーされていました。(ただ、写真の看板は「みすゞ潮彩」の階段窓をモチーフにしたものをそのまま張り替えて流用されているようですw)
 
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そして待つこと数分、同じホームに首都圏色のキハ40が入線し、久しぶりのキハ40単行に心を躍らせましたが、一駅だけの乗車orz
着いたのは長門駅から一駅の仙崎駅です。長門から仙崎は美祢線も乗り入れているので、美祢線と間違えられることが多いのですが、実際は山陰本線の支線になります。(盲腸線ですねw)
以前は「みすゞ潮彩」が新下関ー仙崎間を走行していたのですが、今は写真の山陰本線のキハ40か美祢線のキハ120のみです。
 
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ホームの中には名物の仙崎かまぼこの板で飾られた待合室、そしてホームには・・・
「えっ?〇〇のはなしの看板??」
ここには来ないんじゃ・・と思い、時刻表を確認すると、なんと、東萩から新下関に戻るときだけ、仙崎にも〇〇のはなしは来るようです。
行きと帰りの走行路線に違いのある列車は珍しいことですが、おそらく、15時半頃は仙崎から新下関で新幹線に乗ろうとする観光客を拾う目的で寄り道をするのかもしれませんw
 
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そして、仙崎は終点なので、当然、折り返すのですが、わずか7分しかなく、仙崎駅はほんの一瞬しか滞在できませんでした。これを逃すと次は4時間後まで来ないという恐ろしい盲腸線なので、残念ですが、折り返しのキハ40で写真の通り、長門へ戻りました。
 
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長門駅の市街地に抜ける跨線橋を渡りながらパチリ!
キハ40の年季の入った背中?!(屋根)に哀愁を感じながら、長門機関区の大きさを今でも感じさせる留置線やSL時代のアッシュピットなどが見られました。
 
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どこか、昼食をと思い、ファストフード店を探しますが・・・・ないっ!!
なのでショッピングセンターらしきビルに入り、地下を散策w
写真は地域コミュニティにも関わる仕事をしており、人の集まるところに「おしゃべりカフェ」を見つけ、思わずパチリw実際に開催しているところを見学したいと思いました。普段はオープンスペースで、曜日を決めてカフェをされているようです。そして同じ地下のフードコートで食べた焼きそばもパチリw最初は「ああ、場末の焼きそばやねぇ」と軽く見ていましたが、食べてみると・・・・「旨っ!なんじゃこれ!」とかなり驚きました。量も見た目以上のボリュームで遅めの昼食で激空腹だった私を満たしてくれましたw
 
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長門駅に戻り、駅の正面や近くに置かれた「アート・コンテナ!?」を観賞w
コンテナの間にはKサツの車両も一緒にパチリw
そして駅の正面はSLの動輪を構図に入れつつ、パチリw
 
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さて、ここからは実家の小郡(新山口)まで移動ですが、今回は以前からずっと乗りたかった「美祢線」に乗車!
厚狭行きのキハ120にいざ乗車!今までキハ120は関西線と、津山線で経験していますが、ハーフ山口人としては、この下関色を纏ったキハ120は憧れでもありましたw(よくこれも「美祢線色」と言われますが、正しくは「下関色」です)中は0番代のロングシートです!
 
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そして、キハ120に揺られながら、車窓を楽しみます。目指すは重安駅!途中の渋木駅で交換し、於福駅もパチリ!
美祢線の駅はなかなか渋い駅が揃っており、目を楽しませてくれます。
目的の重安駅は昔、石灰石や大理石を採掘し、美祢線を解して山陽本線にホッパー輸送していました。その跡地を見に行こうと目論んでいましたw
 
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いよいよ、目的の重安駅が先頭車窓に見えてきました!
「??、何も無い?鉱物積載用のコンベア跡とかは??」
そうです!2009年に鉱物輸送を終了し、跡地はきれいにさらわれてしまい、駅のホームと駅舎以外、昔の石灰輸送を感じさせるオブジェはなくなっていましたorz
ちゃんと調べればよかったのですが、情報不足の私は、この駅で降りる魅力を感じられず、そのまま重安駅はパスしました・・・orz
 
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重安駅ホームに設置された過去の鉱物採掘の案内看板も劣化し、何とか石灰石と大理石を採集していたことが分かる程度で、時代の過ぎ去った感を見事に醸しだしていました。そして本来は重安駅を堪能し、徒歩で美祢駅に行こうと予定していた私は、そのまま美祢駅まで乗車し、美祢の駅でおりました。
 
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美祢駅に降り立った私は、ノープランでいたので、どうしようかと「グーグル先生」に相談すると、興味を引くものが二つ現れたので、次の列車が来る1時間半の間、それらを楽しむことにしました。
美祢駅は駅前はきれいに整備され、バス、タクシーなどのロータリーは大きく、駅舎も今までと違って、昭和の近代駅舎となっていました。
 
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まず一つ目は美祢市役所の敷地内に置かれた「C58-36」を見学しました。
もともと美祢駅、南大嶺駅の間から支線が昔は出ており、その終点が「大嶺」であり、大嶺鉱山が閉山されてから、駅も廃駅となり駅看板はC58と一緒に展示されているようです。
 
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小郡のD51と同じように運転台に上がることができます。
しかし小郡のD51と違って内装は非常にきれいに保全されており、メーター類もガラスや針がしっかりと残っていました。そして運転席に座り、前方を眺めると、音も匂いもしないのですが、なんとなくノスタルジーな気分を味わさせてくれます。
 
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このC58-36は昭和13年に川崎で製造され、北海道や関東地方で活躍していましたが、晩年期の昭和42年に厚狭機関区に転属し、美祢線で活躍、そして昭和47年に小郡機関区に転属してからその翌年に廃車となり、国鉄から借り受けて、晩年期に活躍した美祢の土地で静かに休んでいます。国鉄から借り受けて・・・でも国鉄は爆発解体したので、たぶん、このままもらっちゃてもいいんでしょうねw
 
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もう一つは美祢市の化石館!
鉄道以外に化石にもロマンを感じる私は、大変、良いものを見つけたと思い、C58に時間を割きたかったのですが、こちらも気になり、駆けつけました。
ここでは、なんと入館料が100円という超安いお値段・・しかし美祢市立なので、他市でしかも他府県の人間が安価に利用しても良いのかと迷い、思わず・・・
私「あのーすみません・・・美祢人ではないのですが、100円で見学してもイイですかね?」
化石館のおねいさん「え?・・ああ。大丈夫ですよ!ぜひ見て行ってください!」
と快諾頂き、100円を払い、中へ。中は2階建てで時代や分類ごとに整理されており、なかなか100円とは思えない、見ごたえのある内容でした。そして写真は表のレプリカ巨大アンモナイトとアリの詰まった琥珀(樹木樹脂が化石化したもの)をチョイスしましたw
そして、帰り際にあまりにも良い収蔵物だったので、博物館が作成したDVDを購入し、美祢駅へ戻りました。(DVDも大変安く、収蔵物の写真データや動画も豊富に入っている化石好きにはたまらない内容でしたw)
 
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美祢駅舎の中に「Mineにぎわいステーション」という地域振興ステーションがあり、中には市の委託を受けた観光案内の事業者の方がおり、名産品の展示やジオパークの案内をされていました。私も時間があったので、中でおねいさんとトークを楽しみ、列車の到着を待ちました。
最近はこのように市が発起人となり、地元をPRする動きがトレンドになっており、ステーションには私のような旅人もいれば、地元の高齢者がおねいさんとのトークを楽しみに来られており、一見、暇そうな部署に見えますが、意外と賑わっているようですw
 
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そして再び、キハ120に揺られ、趣の良い、「四郎ヶ原駅」や前面車窓からの景色を楽しみながら、美祢線の起点である厚狭駅を目指します。
時間帯は部活帰りでしょうか、学生さんも多く、乗っていました。
 
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厚狭駅には同じく留置線があり、そこにはホキ800が留置されており、その後ろには新幹線の高架が見えています。
長門から厚狭まで各駅で1時間ですが、山口を縦断するのり応えのある路線で、夢見た美祢線をじっくりと堪能できました。
 
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美祢駅からは同じキハ120ですが、300番代で、中はクロスシートとロングシートの2種でした。そして降車して何気に前面に移動すると、写真のようにステンレスボディに貼られた運転区のトレードラインラッピングが無残にも剥がれかけていました・・・おそらく全検が近いと思うのですが、ちょっと痛々しい感じがしました。
 
今回は美祢線を中心にブロぎましたが、今でも思い出すとなかなか楽しかったローカル線でした。次回は何時になるか分かりませんが、厚狭から先をご報告したいと思いますw
でわでわ
 
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これは美祢市の記念品として、化石館のDVD(左上)と来館記念スタンプ(右上)そして左下は「Mine」(美祢)ステッカーと右下は美祢線の駅カード!
ステッカーと駅カードは先ほどのMINEにぎわいステーションでいただきました。駅カードは駅名を写真に収め、提示することで当該駅のカードをもらうことができます。しかも1枚ではなく、撮った駅全てをくださいました。中でも美祢駅、重安駅は特にうれしさが倍増ですw
 
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にぎわいステーションのおねえさんと話をする中で・・・
私「駅カードとはなかなか面白いアイデアですねw結構、貰っていかれるでしょう?」
おねいさん「・・・それが・・結構、残ってまして・・・」
とカードの入っている箱を見ると、確かに1駅ごとに数十枚は残っている・・・
おねいさん「始まってだいぶ経つのですが・・・」
私「うーん、美祢線の駅は厚狭駅、美祢駅、長門駅はともかく、それ以外の駅は味わい深い駅が多いのですがねぇ・・」
と話していると、おねいさんのやや後方に気になる絵が・・・
私「その後ろの絵は・・・切り絵ですか?」
おねいさん「分かりますか?美祢市出身の久保修さんの切り絵です!」
私「うーん、イイですね、これをポストカードかカードにされたらいいのでは?」
おねいさん「・・・実は・・・数年前のカードがこの2種類だったんです・・・」
私「えっ!!いい!欲しい!残ってないんですか?」
おねいさん「すみません、このときのカードは瞬殺で無くなってしまい、ほとんどは地元の方に貰われたそうです・・そしてその第二段として今度は駅カードにすると・・このように残ってしまって・・・・」
私「・・・(だったら切り絵カードを再販しろよ!)そ、そうですか・・・残念、では代わりにこの原画を頂くということは?」
おねいさん「えっ!?そ、それは困ります!目玉展示物なので・・」
私「冗談ですよwその割には、分かり難いところにありますね・・・」
おねいさん「・・・一応、原画なんで・・なにかあっては・・・・」
と写真にある美祢線の切り絵は写真に収めさせてもらいました。実物は本当にきめ細かい切り絵で見る者の足を止め、見入れさせるなんとも言えない作品でした。
そして私はもらえませんでしたが、ステーションにはダムカードもあり、ダムカードはかなり数が出るようで何回か重版が掛かっているようですw
(ダムにもカードがあって同じように写真を撮るともらえるようで、このダムカードは全国的に流行っているようです・・w)
 
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美祢駅には、ホーム内に地元の小学生の書いた絵に「乗ろうよ!美祢線」と標語があり、JR美祢線利用促進協議会と主催団体名もありました。
どこのローカル線もモータリゼーションの影響を受けて、廃線や減便の影響に晒されていることを改めて痛感しました。私にすれば、この1時間の美祢線は毎日でも乗りたいのですが、地元の人にすれば、車がないと不便な場所で、車があれば、便の少ないローカル線は学生や高齢者しか乗らない・・となってしまうのでしょう・・・なかなか地方の鉄道路線は難しい問題を抱えており、この美祢線もすぐに廃線になるようなことは無いと思いますが、今後は維持が精一杯なのかもしれません・・・厳しいなな・・・・

でわでわ