手術が終わって、わたしはホッとしているというよりも
不安な中に居た。
これからが、
病気と向き合っていくんだと
いろんな不安があった。
テレビドラマでよく見る
あの抗がん剤の副作用。
子育てをしながら
その副作用と向き合わなくちゃだし・・・
その頃の私は、マクロビオティックの本や
冷え取りの本
ガンにいい食事など
いろんな本を買っておいた。
手術の次の日は、痛みでそれどころではない
朝は目を覚まし
重湯のような
流動食で
胃を起こした
私の部屋からは窓の外は見えないけど
なんとなく空が見えていた
部屋も乾燥していた。
ほどなくして
ぞろぞろとプー先生や
教授や研修性などが病室に入ってきて
私のベットを取り囲んだ
「お疲れ様でした
手術は成功ですよ。
浸潤していましたから、
ギリギリの線まで切除しました。
もしかしたら
取り残している場合もあります。
100%ではないから、しっかりと
放射線治療して
残りのガンをたたいていきましょう。
脇の転移もなく
特に他の臓器にも転移は認められなかった
のが幸いですね。
退院はだいたい
1週間後くらいです」
と言われ、なんの質問もすることなく
ただ
うんうん
はいはい
と
うなずき神妙な面持ちで
聴いていた。
もっと聞きたいことがある
「わたしはあと何年生きられるのか?」
今となっては、神様じゃないんだから
そんな事聴かれたって困るよね
聴かなくてよかった(笑)
鎮痛剤はもらってはいたものの
鋭い痛みがある
それも、傷のところではなく
背中が痛い
付き添いで居てくれる
姉や
看護士の杉山さんに
胸のさらしを少しきつく巻いてもらう。
「すこしずつ
身体を動かし始めてくださいね
ベットの上から
起き上がってみましょう」
と言われ
頭の中で「まだあと2日は無理だよ」
と言いたかった。
その日のお昼には、ベットから
置き上る練習
尿道の管は繋がれたままだから
起きるだけ
なのに、痛みと
息切れが激しい
身体の筋肉が弱っていて
プルプル震える
「人ってこんなにも
弱ってしまうの?
体力が全然ない」
と絶望した
でも、その日の夕方には、おしっこの管が抜かれて
「今度は自分でトイレに行くように言われた」
心の中で
「拷問だーーー」と思った
杉山さんに手を取ってもらい
ベットから置き上る
めまい
息切れ
身体に力が入らない
痛みよりも
辛かった。
それでも
夜には、病室を出て
1週2週と歩けるようになっていた
すごくスローペースだけど
看護士さんが
消毒に来てくれる
わたしは、
ふと傷を見た
「なんだこりゃ!!」と絶句
右胸よりもはるかに小さい
えぐれてる
傷が生々しい。
涙がでた
わたしは、胸が大きく、Eカップはあったのに
左胸はせいぜいBカップ
でも、先生は綺麗に胸の形を残したからと言った。
その日の夜に前旦那が
子供達を連れて来てくれた
いつもなら
甘えん坊の二人だけど
なんとなくよそよそしい
そりゃそうだよね・・・
わたしだって
きっとそうなる。
でも時間が経つと2人して
私のベットでゴロンとして
一緒に
テレビを見た。
久びぶりに
4人で過ごす。
「学校はどう?」
もっといろんな事を聴きたかったけど
一緒にいるだけで
それだけで
とにかく
幸せだった。
「もうねる時間だから
帰ろう」
と元旦那が言い
「まだー」と二人が言う。
「やめてくれ
ママは泣きそうだから」
と心の中で思った。
子供達を下の玄関まで見送った
後ろ姿を眺めた
「わたしは大丈夫だろうか」
「また、元の生活に戻すことはできるのかな」
でも、「バイバイ!!」と手を振る子供たちに
全力で笑顔を見せた
その日も
わたしは
睡眠薬で眠りに付いた
