E-smile まっつんの日常 -1844ページ目

□ 北区 旧町名継承碑 新川崎町

川崎橋
の次に見つけたのは
大阪市北区天満1-2
あたりにあります
北区 旧町名継承碑 新川崎町

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

町名は 当町域に明治4年4月 大蔵省造幣局が創設され
旧天満1丁目が先に川崎町と称していた事と区分して
局敷地の全域に新の冠称が付けられたことに由来する
現在の 天満橋1丁目・天満1丁目の各一部だそうですよ


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次は大阪城 京橋口

川崎橋

都島区由来記
の次に訪れたのは
川崎橋

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大川に架かる自転車・歩行者専用斜張橋
大規模自転車道のひとつ
浪速の名橋50選選定橋

だそうです

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形式 2径間連続斜張橋
橋長 129.15m
支間長 87.50m + 40.65m
幅員 3.00m
橋脚 壁式鉄筋コンクリート
基礎 鋼管矢板井筒
着工 昭和50年(1975年)11 月
完成 昭和53年(1978年)3月

次は北区 旧町名継承碑 新川崎町

都島区由来記

大坂橋 の次に訪れたのは
大阪市都島区網島町11あたりにあります
毛馬桜宮公園

その公園内に都島区由来記 というものがありました

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ココにはこう書かれてありました
母なる川である淀川に生成された多数の島や州によって
都島の大地は創造された
平安朝のころから民家や寺院などもみられたようであるが
都島の各地に集落が形成されるようになったのは
近世都島の京橋口から発する京街道が開発され
また淀川か京大阪を結ぶ政治的
経済的大動脈となってからのことである
こうして近世を迎えて明治22年大阪市制が施行され
その後の市域の拡張や分増区を経て 昭和18年4月1日
都島区の誕生をみて 今日に至っている

次は川崎橋

大坂橋

大坂城 筋鉄門跡
の次に訪れたのは
寝屋川に架かる橋
大坂橋

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こんな感じ
自転車・歩行者専用橋だそうです

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大坂橋命名の由来と書かれたものを発見しました

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ココにはこう書かれてありました
大阪城築城の翌々年の天正13年(1585年)7月に架けられた
大坂橋のその後の消息は定かではないが
大正末期に東横堀川をしゅんせつした際
その銅製擬宝珠が見つかった本
人道橋の架設にあたってはその由来をしのび
特に土偏の坂を用いて 大坂橋と命名した

次は都島区由来記

大坂城 筋鉄門跡

明治天皇聖躅碑 in 大阪城
の近くにあったのは
筋鉄門跡の案内板

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ココにはこう書かれてありました
元和6年(1620年)に開始された徳川幕府による大坂城再築工事では
同年の第1期工事より二の丸の北外側に北外曲輪(三の丸)が築かれた
筋鉄門はその西の入口で 門扉は筋状の鉄板で補強されていた
ここは 鴫野方面への通路にあたることから 一般の通行が許され
特に 鴫野の弁財天の縁日には多数の市民がここを通った
門は 明治維新後も残り 北外曲輪跡に設置された軍事工場
(大阪砲兵工廠)の正門とされたが 現在は左右の石組が残るだけが残る

次は大坂橋

明治天皇聖躅碑 in 大阪城

大阪城桃園 の後に訪れたのは
大阪城にあります明治天皇聖躅碑

リーガロイヤルホテル大阪 でも
明治天皇聖躅碑はでも見かけたんですが
うーん たくさんあるのかなぁ

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大阪砲兵工廠と書かれていますね~
レンガ造りの建物と関連してそうなので
それはまた後日になるかもw

次は大坂城 筋鉄門跡

島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)

島本町民憲章碑 の後に訪れたのは
大阪府三島郡島本町桜井1-3-1にあります
島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)

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入り口を入ると瓦が並べられていました
こういう感じちょっと好き

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建物近くの鬼瓦です
ちとコワイ

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旧麗天館は、昭和16年(1941年)、桜井駅跡の記念館として建てられました
当時、大阪財界の重鎮であった一瀬粂吉氏が当地を訪れた際
楠公父子の忠孝に感激し、有志と共同で、史跡桜井駅跡の拡張整備事業に尽力し
記念館を建設、島本町がその管理にあたりました
正面玄関には近衛文麿の書で「麗天館」と書かれた扁額が掲げられました

戦後は大阪府立青年の家の講堂として開放されていましたが
青年の家閉所後の平成16年、島本町が大阪府から無償譲渡を受け、
「島本町立歴史文化資料館」とし同16年4月1日に条例制定により設置しました
広く住民の皆様をはじめ島本町に訪れる方々に、島本の歴史と文化を知っていただくため、
施設・設備等の改修を行い、平成20年4月12日に正式開館

歴史文化資料館には、麗天館を中心に
近畿一円の楠公ゆかりの地を描いたパノラマ図が展示してあります
一瀬粂吉氏の依頼を受け、当時活躍していたパノラマ画家、吉田初三郎氏が描いたものです

次は JR京都線 島本駅

神農さん 少彦名神社

コニシ株式会社(旧小西儀助商店)
の次に訪れたのは
大阪市中央区道修町2-1-8にあります
少彦名神社

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入り口にて金色の虎さんがお出迎え
これは張り子の虎かな

ことわざで張り子の虎とは
虚勢を張る人
外見は強そうに見えても弱い人のことを指しますが

ココのいわれは文政5年(1822年)、
この都市で感染力の強い
(かかって3日ほどで亡くなるの3日コロリと言われていたそうです)
コレラが流行した時に、
道修町の薬種店が虎の頭骨を配合した丸薬を作り、
お宮でご祈祷してから人々に配布した
その時に小さな張子の虎を一緒に配ったのだといいます
これが功を奏してコレラの流行が止まったそうです

漢方の処方では虎の骨は滋養強壮の薬になっています
また、普通の虎張り子と違っている点で、この虎には首に赤い首輪が巻かれています
これは赤い色が疫病除けになるという祈願信仰から用いられたものでしょう

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さてソロソロ中へ行きましょう


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進んでいくと鳥居が見えてきます


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少彦名神社と書かれていますね


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通称 道修町の神農さんと言われ
祭神は薬・医療・温泉・国土開発・醸造・交易の神であるが、
少彦名神社では、薬の神として健康増進、交易の神として
商売繁盛の御神徳があるとされている
薬にゆかりのある祭神を祀っていることから、
医薬業に携わる会社・関係者などの信仰を集めている
また、病気平癒・健康祈願や医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も多いそうです

次は くすりの道修町資料館

福島区の花 野田ふじウォッチングスタンプラリー2009 浦江聖天(了徳院)

藤家の邸宅 藤庵跡 in 下福島公園
を後にして次に向かったのが
大阪市福島区鷺洲2-14-1にある
福島区の花 野田ふじウォッチングスタンプラリー2009
浦江聖天(了徳院)

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売れても占い商店街として有名な福島聖天通商店街
第4金曜日に開催される
月に1度の大イベント!
売れても売れても占いデー
近くに住んでいながらまだ行ったことなかったりします
近くだからこそなのかなぁ~


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浦江聖天(了徳院)に到着
ですが 藤棚は咲いていなかったので
(こちらは別途また日記にします)


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社会福祉法人 聖天奉仕会 聖天保育所和光園
一週間前と同じように咲いていましたね

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何度観ても良いなぁ~
ココの保育所入りたいと思っちゃいました

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チェックポイント NO 3 浦江聖天(了徳院)のスタンプGET

ここに書かれていたことは
社若 語るも旅の1つかな
俳人 芭蕉のうたった句碑が境内 亀の池側に刻まれています
如意山 了徳院といい 伏見宮家の御祈願所でした
このあたり 古くは鷺洲荘といわれる中津川支流の川岸一帯に社若が咲き
池の蓮華の名所として美しい自然の名所地でした
昭和33年~35年頃聖天さんの寺院復興保育園の創設等が成ったとき
野田ふじの寄増を受け 既存している2本は樹齢40数年となっています

次は 浦江聖天(了徳院)の藤棚

大阪城桃園

3月に行なわれた
大阪城公園 ノルディックウォーキングを楽しみましょう!体験会
に参加した時大阪城桃園の前を通り
あまりにも綺麗だったのでカメラにおさめましたが
あげるのを忘れてましたw

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カメラをまわして撮ったので
どの位置か覚えてないけど
この日は3月28日ぐらいだったと思います

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綺麗ですよね

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毎月のように花をかえて
お花見会みたいなものが出来たら面白いだろうね
今月はこの花みたいな・・・・

まちあるきでも楽しいかも
発見があるからね

知らないことを知ることは楽しい
花も色々見て回ってみましょう

次は 明治天皇聖躅碑 in 大阪城