E-smile まっつんの日常 -1842ページ目

鳴子

たまには出かけるのをお休みして
今日は1日家でゆっくりしてました

家の中を走り回っていたら
鳴子を見つけました

E-smile まっつんの日常

いつ購入したのかは覚えてないけど
小さい頃から身近にあったことだけは覚えています

よさこいで使われる歌は
子守歌のように聞いてました
以下歌詞です~(たぶんこんな感じ)
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばもよう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
土佐の(ヨイヤサノサノサノ)
高知のはりまや橋で(ヨイヤサノサノサノ)
坊さん かんざし買うを見た
よさこい よさこい
(ホイホイ)

田舎 高知は懐かしいですね~

LEKI製ノルディックウォーキング用ポール(ストック)

JNWA ノルディックフィットネスウォーキング指導者講習会
を受けるために購入した
LEKI製ノルディックウォーキング用ポール(ストック)
小柄な方向けのモデルウォーカー

記録の為に撮影しました

E-smile まっつんの日常

まだ数回だけど結構楽しい
ノルディックウォーキング

近くでやってないかなぁ~
近場の方が長続きするもんねw

JR京都線 島本駅

島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)
の次に訪れたのは大阪府三島郡島本町桜井1-3-39にあります
JR京都線 島本駅

E-smile まっつんの日常

2008年(平成20年)3月15日に開業したばかりの新しい駅です

こちらJR島本駅の入線メロディが
小林亜星作詞・作曲の人間みな兄弟~夜がくるになっています
原曲はサントリーオールドのCMソングで
島本町内にサントリー山崎蒸溜所があることにちなんでだそうですよ
機会があればぜひ行ってみて下さいね


またJR京都線内の中間駅では初の入線メロディ導入だそうです

くすりの道修町資料館

神農さん 少彦名神社
の次に訪れたのはお隣
大阪市中央区道修町2-1-8
少彦名神社社務所ビルにあります
くすりの道修町資料館

E-smile まっつんの日常

EVで3Fまで上がって行ってきました

E-smile まっつんの日常

道修町のこれまでの営みや歩みそして未来
道修町と製薬会社
丁稚奉公から別家へ
医薬品と薬事法 
などなど薬について色々学べた資料館でした

薬関係でよく名前を聞いたことのある会社ばかりでしたが
いちばん身近なのは 
福島区にある塩野義製薬株式会社 さんかなぁ
まぁ 地元ということでw

E-smile まっつんの日常

出たところに模様があったのでとりあえず記念に撮影
資料館とかはやっぱり面白いですね

次は 青山ビル(旧野田源次郎邸)

桜宮公会堂玄関(旧造幣寮鋳造所正面玄関)

泉布観 2F 内部
の次に訪れたのは
泉布観の隣にあります
桜宮公会堂玄関
(旧造幣寮鋳造所正面玄関)


近くに案内板を見つけました

ココにはこう書かれてありました
この公会堂の玄関は 創業当時の造幣寮
(現在国道1号線をへだてた南側にある大蔵省造幣局の前身)
貨幣鋳造所の正面玄関を移したものである
当時わが国には近代工業の姿はみられずわずかに
江戸と長崎に近代文明の芽ばえが見られただけであったが
明治政府は近代国家として貨幣制度の整備を急ぎ
当時の金で95万両という大金を投じてこの桜の宮の地に
近代的な造幣局を建設し明治4年に操業を開始した

この玄関は当時の様式工場貨幣鋳造所の正面に設けられていたもので
今日残っている洋風建築としては 日本で最も古いものの一つで
桁行 2.85m余 梁間15m余 屋根は一重切妻造銅版葺で
昭和10年造幣局改築の際 当時の姿のまま 現在地に移築したものである

昭和31年 重要文化財の指定を受けている

泉布観 2F 内部

泉布観 1F 内部  
に引き続き
  大阪市北区天満橋1-1-1 
にあります
泉布観

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

2F 廊下

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

お部屋
こちらも 鏡台が大きいです

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

お部屋 
赤じゅうたん?

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

異国って感じです

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

ベランダ部分に出てみます

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

1Fと同様の外柱

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

ちょっと天井を見てみると
こんな感じ

建物を見ているだけでちょっと幸せな気分になりました

次は桜宮公会堂玄関(旧造幣寮鋳造所正面玄関)

泉布観 1F 内部

外観 に引き続き
大阪市北区天満橋1-1-1 
にあります
泉布観

中へ入ってきます

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

その前に 外柱はこんな感じ

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

天井がグリーンって変わってますね

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

中に入ると こんな感じ

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

シャンデリア

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

ガス灯でしょうか?

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

お部屋はこんな感じ

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

別のお部屋

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

鏡台も大きい

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

これは暖炉かな

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

装飾

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

これは何だろう?

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

対面しているけど

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

次は2Fへ上がっていきます

次は 泉布観 2F 内部

泉布観 外観

大塩の乱槐跡碑
の次に訪れたのは
大阪市北区天満橋1-1-1 にあります
泉布観

2009年 3月27日~29日 まで 一般公開がありました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

重要文化財です

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

名前を発見

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

近くに案内板を見つけました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

こちらには こう書かれてありました

この建物は 明治4年 造幣局の応接所として建てられたもので
日本でもっとも古い洋風建築の一つである
周囲に石柱で支えられた広縁をめぐらしたこの形式は
コロニアル式建築様式をとりいれており
高温多湿の日本の気候を考えて設計されている

室内には 古典的な照明具 暖炉 化粧鏡などが備えられ
シャンデリアの光源も現在は電灯に切り換えられているが
器具は全部ガラスランプ時代のものである

設計者は英国の建築技師 ウォートルス
泉布の名は貨幣を意味し
明治5年 明治天皇によって名付けられた

創建以来 明治末年までは皇室や外国使節の宿所
休憩所として利用されてきたが
大正6年 宮内庁より大阪市に移管され
昭和31年には重要文化財の指定を受けている

次は泉布観 1F 内部

大塩の乱槐跡碑

洗心洞跡
の次に訪れたのは
大塩の乱槐跡碑

国道1号線沿いにあります

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

ここに天保8年(1837年) 2月
大塩平八郎の乱の砲弾で
裂けた樹令200年の槐があったが 枯死した
よって新たに若木を植え
歴史の証人の生命を伝える

と書かれてありました

次は泉布観 外観

洗心洞跡

造幣博物館 の次に訪れたのは
大阪市北区天満1-25
造幣局官舎内 にあります
洗心洞跡

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

近くの案内板にはこう書かれてありました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

大塩平八郎中齋の家塾

洗心洞旧蹟

大塩平八郎は 寛政5年(1793年)に大坂大塩家の8代目として
初代からの屋敷であったこの場所で生まれた
初代は六兵衛成一といい
名古屋にある本家の大塩波右衛門義勝の3男であって
大坂町奉行所付きの与力となり 代々その職を継承してきた
平八郎は7歳のとき 父母に死別し 祖父母に育てられ
14歳で早くも与力見習となり出社した
成年に達して後 祖父 政之丞の跡を継いで与力となり
天保元年(1830年) 38歳のとき退職して
養子 格之助にその職を譲るまで 20数年間与力の職にあり
清廉潔白かつ学識ある名与力として多くの功績を挙げ
その名声は天下に聞こえた
平八郎は 青年時代に3度び人生観の転換があり
遂に王陽明の学問に心酔して
24・5歳頃から自邸で儒学の講義をしていたが 文
政8年(1825年)学塾を開き 「洗心洞」と名付けた
洗心とは 易経繋辞伝に
「聖人此レ似テ心ヲ洗ヒ 退イテ密ニ蔵ス」とある文から採り
洞というは 塾舎の意味である
屋敷内に講堂と塾舎を設け 塾生を寄宿させ
通学生と共に日夜文武両道を教授した
その門弟は40~50人に達したという
学風は非常に厳格で子弟の名分を正し
知行合一の実学を重んじた
号を中齋と称し
著者に「洗心洞箚記」の外数種の名著があり
その他の詩文も名作である
天保8年(1837年)前年よりの飢饉によって
難民が多くでたことを見るに見かねて
一身を犠牲にして救民運動と政治覚醒運動を起こしたが
事遂に成らず
同年3月27日 靭 (大阪市西区)において格之助と共に自刃した
行年45歳であった
附近には砲弾により裂かれたが残っている
この所は 大塩家代々の屋敷跡があり
その家塾「洗心洞」の旧蹟である
今ここに大阪市が記念碑を建てられるに当たり
その由来を略記してこれを顕彰するものである
なお 大塩平八郎父子の墓は
大阪市北区末広町 成正寺にある

次は大塩の乱槐跡碑