E-smile まっつんの日常 -1846ページ目

OCAT DANCE STYLE 2009 at ポンテ広場

JR難波駅を降り立ち騒いでいたので
OCAT地下1階
大きな球体が陽の光をうけて輝くポンテ広場 の方へ向かうと
OCAT DANCE STYLE 2009 at ポンテ広場
と言うのをやっていました

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暇があったので案内板を観てみると
キッズダンスチームによるパフォーマンスステージ 
と書かれていました


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子供の時から身体を動かして表現するって良いよね
すごい動いてましたよ

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暑かったにもかかわらず人がたくさんいらっしゃってました
親御さんが結構多かったように見受けられました

次は OSAKA旅∞ 大正エリア 下町水辺の楽園ツアー

大仁八坂神社社殿復興記念碑と鳥居

大阪市北区大淀南3-3-25
大仁八坂神社 境内に赤い鳥居を発見

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赤い鳥居を見ると高揚するのは僕だけでしょうかw

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大仁八坂神社御祭神と書かれた記念碑がありましたが
読めない・・・・

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近くに大仁八坂神社御社殿復興記念碑がありました
沿革が書かれていましたが
読めない字が多かった・・・

漢字検定でも受けようかなぁ


藤家の邸宅 藤庵跡 in 下福島公園

福島区の花 野田ふじウォッチングスタンプラリー2009 下福島公園
で2個目のスタンプをGETし
1週間前 はちゃんと撮影出来てなかったので
改めて藤庵跡を撮影してきました

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普段 大阪市福島区福島4丁目の下福島公園は
お子さんや親御さんでいっぱいなのですが
この日はあまり人がいなかったので
ゆっくりと撮影

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石庭ですね~
こういう庭を持ってみたいなぁ~とおもうぐらい見事です
近いのでまた遊びに来ようっとw

次は 
福島区の花 野田ふじウォッチングスタンプラリー2009 浦江聖天(了徳院)

コニシ株式会社(旧小西儀助商店)

生駒ビルヂング(生駒時計店)
の次に訪れたのは
大阪市中央区道修町1-6-10にあります
コニシ株式会社(旧小西儀助商店)

コニシと言えば接着剤・補修材の会社ですね
CMでも見かけますが
ボンドと言えばコニシです
僕もよくよく使ってます

ちなみに材と剤の違いについて
「材」は原料、材料で、鋼材、木材、石材、耐火材、保温材、断熱材、等と使用し
「剤」は、いわゆる薬物を意味し、薬剤、添加剤、錠剤、等と使用します

量の違いだったかなぁ~ ちゃんと覚えてませんw

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竣工 : 1903(明治36)年
設計 : 本間乙彦(意匠)、渋谷五郎(基礎)
構造形式  :木造
敷地面積  :約300坪
建築面積  :主屋480㎡、衣装蔵39㎡、2階蔵48㎡、3階蔵45㎡
階数:2階


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看板を撮影
この当時の住所は 大阪市東区道修町2-6だったんですね

ウィキペディアより コニシ株式会社の説明

1870年に製薬の製造販売をおこなう「小西屋」として創業
創業当初は製薬だけでなく洋酒や缶詰などの食品類を取り扱い、
1884年には「アサヒ印ビール」(現・アサヒビールの源流)の製造・販売を開始した
その後アルコール飲料類は子会社「大阪洋酒醸造」に移管
1912年から問屋に専念し、工業用の薬品や輸入アルコールなどの販売、
並びに日本薬局方アルコールの製造販売を展開
1914年に合資会社設立
その後1925年に、株式会社小西儀助商店に改組した
(同社では同年を法人設立年と見なしている
なお同社は1976年に現在の社名・コニシに変更した)
1952年に合成接着剤「ボンド」
(商標は発売当初取得をしなかったため一般用語となっている)の発売を開始
その後の日本を代表する接着剤のトップブランドとして成長するようになり
「ボンドといえばコニシ」の印象を強く根付かせた
事実、インターネットでのドメイン名もずばり「bond.co.jp」
現在、東亞合成株式会社と業務提携を結んでおり、
強力瞬間接着剤の「アロンアルフア」のブランドを「ボンド・アロンアルフア」として発売している

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ウィキペディアより 小西家住宅の説明

明治時代末期(20世紀初頭)に建てられた和風の商家
1903年(明治36年)、小西儀助商店(現コニシ)の社屋として約3年間の工期を経て完成
南は道修町通、西は堺筋、北は伏見町通にそれぞれ面した約315坪の敷地に建設され、
道修町通沿いに建つ主屋とその東側に建つ納屋、
堺筋沿いには貸家、伏見町通沿いには土蔵と納屋、
更に主屋の裏には湯殿が設けられた
主屋は、表通りに面して商いを行う店棟と、
その奥にある住まいを中庭で結んだ表屋造と呼ばれるものである
完成当初は主屋の一部が三階建となっており、
近代大阪の町屋の特徴である土蔵造、三階建、表屋造を備えていたという
建築当初は堺筋沿いの歩道の辺りまであったが、
1911年(明治44年)8月、堺筋の拡張工事に伴い
堺筋に面した約四間分が道路用地として収用された
「軒切り」と呼ばれたこの道路拡張により、
その大部分が道路用地となった貸家はそれを機会に撤去され、
主屋も西側約3間分が削り取られた
これに伴い伏見町通との角地となった場所に新しく衣装蔵が建てられた
また1923年(大正12年)に起こった関東大震災を期に、
地震への備えとして三階部分が撤去されたことにより、
ほぼ現在の外観となった
この時に撤去された三階部分への階段は現在も残されているという

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文化庁指定 国の登録有形文化財指定
第27-0001号(主屋)
第27-0002号(衣装蔵)
第27-0003号(2階蔵)
第27-0004号(3階蔵)
となっています

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ビルの間に囲まれた民家
ずっと残して欲しい建物ですね
出来れば一度は内部を拝見したいものです

次は 神農さん 少彦名神社  へ

生駒ビルヂング(生駒時計店)

今橋 の後に訪れたのは
大阪市中央区平野町2-2-12にあります
生駒ビルヂング

スクラッチタイル(手掻きの縦縞模様のタイル)と
テラコッタ(素焼きの陶片)を活用したアールデコ調のビルです

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建造年: 1930年(昭和5年)
設 計: 宗建築事務所  
監修:宗 兵蔵
原案:大倉三郎 
実施設計:脇永一雄 
施 工: 大林組
構 造: 鉄筋コンクリート造 地上5階(一部6階)地下1階   

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■鷲の石像

2カ所の入り口と5つのショーウィンドウ計7カ所の上部に
御影石の鷲の彫刻が置かれています
現存している設計図では、
西洋で知恵の象徴とされる「フクロウ」となっていますが
当時の我が国においてフクロウは
「夜行性の暗いイメージ」を持っていた故に変更された、
と伝えられています


■タイルとテラコッタ

外壁タイルは手掻き線入り(スクラッチ)の別注品です
1983年の改修時、窓枠入れ替えのために
相当数のタイルを破損させざるを得ませんでしたが、
同型のものを調達出来ないので、
ビル裏側(西側)4.5階部分に残っていたタイルを丁寧に剥がし取り、
仕上げ直して使用しました
テラコッタは、屋上回りの装飾、各階の窓の上下のラインなどに使用され、
アールデコ調の建築様式を強調しています
東北面ファサードの屋上から3階にかけて縦に取り付けられた彫刻風の装飾は、
ビルを特徴づけていますが、その意味は残念ながらよく判っていません
その最上部に取り付けられた生駒時計店の商標である
「駒形に生」のマーク(縦55cm横43cm)は
戦時中の銅地金供出によって長らく抜け落ちていましたが、
現在は復元されています


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生駒時計店は、明治3年(1870年)高麗橋5丁目(現在の御堂筋淀屋橋)に
「大阪屋権七・大権堂」の商号にて創業しました
当時、御堂筋は幅3間位(約5m)の道でした
昭和の初め、御堂筋の拡幅と地下鉄工事のために立ち退かねばならぬこととなり、
当時、堺筋出張所のあった現在地に当ビルを新築、
同年9月に竣工・移転しました
地下鉄御堂筋線は、昭和8年に梅田-難波間が開通しています
設計は、宗 兵蔵氏(堺筋難波橋・柴島浄水場などの設計者)、
施工は大林組で、地上5階(塔屋6階)地下1階の鉄筋コンクリート造りで、
総工費15万円であったとの記録があります
昭和20年3月、大阪大空襲により、周辺は全くの焼け野原となり、
西側も南側も隣家まで焼失しましたが、
生駒ビルは堅牢なコンクリート壁に守られ、戦災を免れました
平成7年1月の阪神淡路大震災の時も激しく揺れ、
隣のビルの窓が半分以上破損する状況においても被害がなかったのは、
建築の際に直径6寸5分の松丸太を493本、
基礎杭として打ち込んだという工法のためかもしれません

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平成9年6月12日
文化庁指定 国の登録有形文化財 第27-0019号に指定されています

昔はやはり良い品物をたくさん使って建物をつくったんだなぁ~
と言うことがよくわかる建物ですね
建築というのは長い目で見て持つものでなければならないと思います
家は一生の買い物と言いますからね

次は コニシ株式会社(旧小西儀助商店)  へ 

グーグル派? ヤフー派?

グーグル派? ヤフー派? ブログネタ:グーグル派? ヤフー派? 参加中

使用頻度で言うとグーグルかなぁ~
ウェブメールはGmailだし
写真や画像を整理はPicasaだし
動画共有はYouTubeだしなぁ

ヤフーはウェブメールでYahoo mailと
メーリングリストと
チャットぐらいかなぁ

使いやすいところを選ぶようにはしてるけども
今のところ Googleの方が多いような気がします

今橋

皇妃2600年記念碑
の次に訪れたのは
大阪市中央区今橋1-1あたり
東横堀川の上にかかる橋
今橋

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上には阪神高速1号環状線が通っていますね

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ちなみに親柱は今橋がかかっている下の
公園になっている所にありました

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橋の近くにあった案内板にはこう書かれていました

今橋は大阪の陣絵図などに名前が登場することから
豊臣時代にはすでに架けられていたと推定される
この地は江戸時代初期の頃まで
今橋の北側には町屋が無く浜岸であったが
中期の頃から西詰め付近は両替商が軒を並べ
金融の中心街となり特に通りをはさんで向き合った
天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛が有名で
天五に平五 十兵衛横町と称され繁昌した

このような町の発展に伴い 町の東にも橋がないと不便なため
京橋町の道筋に新たに架けられたので 今はし と呼ばれたとの説がある

この頃の橋は 橋長75.8m 幅員 5.5mで
町橋としては規模の大きい橋であり
橋のたもとから尼崎方面へ乗合船も出ていた

しかし火災被害のため幾度も焼け落ちている
近代になって明治14年の記録では
江戸時代と同規模であるが
木桁で鉄杭のもとに架け換えられたとされている

大正13年には橋長70.4m 幅員8.4mの
3径間ゲルバー式鋼板桁を用い
照明灯や高欄に鋳鉄を使用した立派な橋となったが
戦時中には鋳鉄類は供出された

現在の橋は老朽化にともない架け換えられたものであるが
照明灯や高欄については往年の姿を元にデザインされたものとなっている

次は 生駒ビルヂング(生駒時計店)  へ

皇妃2600年記念碑 in 天神橋

天神橋と天神橋橋歴碑
の次に訪れたのは天神橋のお隣
大阪市中央区北浜東6にあります
皇妃2600年記念碑

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公衆便所の前とは思えないぐらい
大きな木がありますが

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皇妃2600年記念碑の横
久良木組寄贈建設と書かれているのかなぁ~

昭和15年のお話かな~
何にせよ 記念なのだろうと思いながら撮影しました

次は 今橋

福島区の花 野田ふじウォッチングスタンプラリー2009 下福島公園

大阪市立玉川小学校
の次に訪れたのは
福島区の花 野田ふじウォッチングスタンプラリー2009
チェックポイントNO 2
大阪市福島区福島4丁目にあります
下福島公園

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ピンクのチューリップがお出迎えをしてくれました

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1週間前 は咲き始めでしたが
この日は雨の影響でほとんどなかったです

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それでも1つだけ綺麗そうなのを撮影

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チェックポイント NO 2 下福島公園のスタンプGET
スタンプの色が赤から青に変化しました

ココに書かれていたことは
野田藤は約600年前の昔 花の美しさが名高く
吉野の桜か野田の藤とうたわれていました

紫の雲とやいわん 藤の花 野にも山にも はひぞかかれる

足利義詮のうたが残されています
代々受け継がれてきた 藤庵は道路予定地となって撤去され
現在地に昭和48年2月に復元されました

次は 藤家の邸宅 藤庵跡 in 下福島公園

スマイル #03 君の笑顔を避ける理由

前回の第2話はこちら

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次は スマイル #04 僕が彼女を守る!!

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