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日本の道100選顕彰碑 富田林寺内町 あてまげのみち

富田林御坊 興正寺富田林別院
の次はその前の通り

日本の道100選顕彰碑があります

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近世の自治都市
富田林市の寺内町は近世の町割をほぼそのまま残している

と 日本の100選データブックに記載しております

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寺内町 あてまげのみち

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ゆっくりと歩いてみたい そんな道です

次は浄土真宗 本願寺派 妙慶寺

富田林御坊 興正寺富田林別院

寺内町 武田家住宅 の次に訪れたのは
浄土真宗興正寺派 興正寺富田林別院
富田林御坊 として親しまれているそうです

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京都興正寺の別院として寺内町の開祖である証秀上人がひらいた真宗の寺院
寺の表門は伏見城の城門を移築している

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こちらにも案内板がありました

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ココに書かれていたことは

富田林寺内町は 永禄年間(1558~1570年) 証秀上人によって
開発された一向宗興正寺別院を中核とする宗教自治都市である
富田林御坊の建立を発意した 証秀上人は
石川の段丘上にある荒芝地を銭百貫文で取得
近庄の4ヶ村の庄屋株を2人ずつ 計8人に興正寺別院の建立と畑屋敷
町割などの建設を要請し 御坊の町が形づくられた

興正寺は 正式には「興隆正法寺」といい 京都の山科にあったが
天文元年(1532年)に焼亡の後 蓮教の子 蓮秀が天満別院を興正寺の本寺とした
蓮秀の子が証秀であったことから この寺を別院と称した

この寺は 表門を東西に構え 鐘楼 鼓楼を表門の南北に配し
正面西方に本堂 その北側に客殿や庫裡を配する
現存する本堂は 寛永15年(1638年)に
また書院と庫裡は文化7年(1810年)に再建されたものである
表門は桃山時代のものと伝えられ 鐘楼 鼓楼は文化7年に現在の場所に移し替えられた
また 本堂の外陣には 加納寿石秀信の筆による襖絵が残されている

現在では創立期の遺構はすべて失われているが ほぼ最初の寺地を保ち
しかも 真宗道場形式の本堂としては府下最古の遺構で
旧寺内町の中核としての格調と景観を見せる貴重な建物である

次は
日本の道100選顕彰碑 富田林寺内町 あてまげのみち

寺内町 武田家住宅

寺内町 橋本家住宅 の後に訪れたのは武田家住宅

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樋に目がいってしまいました


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昔の建物は よかったんだなぁ~というのをしみじみ感じます

次は富田林御坊 興正寺富田林別院

寺内町 橋本家住宅

寺内町 木口家住宅 のを後にして

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石畳を進む
この町並がまだまだ続きます


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こちらが 橋本家

持ち送り という装飾がなされています

デザイン性の高い漆喰で塗り固められた持ち送り
標準的な木製の持ち送り

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屋号は「別井屋」と称し 酒造業を営んでいたそうですよ

次は寺内町 武田家住宅

太った?

太った? ブログネタ:太った? 参加中

体重計は怖くてのってないですが
きっと太っているかと思います

福島区界隈を中心に飲食店巡り が結構楽しくて
今年も 福島で呑んで食べまくります



寺内町 木口家住宅

寺内町 中井家住宅 の次に訪れたのは木口家住宅

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ココは何屋さんかなぁ~

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さて 案内板を発見

古い町絵図によると
このあたりは宝暦3年(1753年)から安永7年(1778年)の間に
区画ができたと思われるが 当家の主屋の遺構は古風な面が多く
18世紀中期の築造と推定される

敷地内には江戸末期の土蔵2棟と明治期の離れ座敷と蔵が残っており
かつての繁栄がしのばれる

当家の屋号を 「木綿庄」といい 始めは木綿商を営んでいたといわれるが
4代前より瀬戸物商に転じている

次は寺内町 橋本家住宅

寺内町 中井家住宅

寺内町 上野家住宅 の次に訪れたのは中井家住宅

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こちらにも案内板がありました

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当家は屋号を「布屋」と称し 呉服商を営んでいた
敷地は間口が15間・奥行が8間強である
主屋は幕末頃の遺構で東向き 右勝手の造りである
規模は桁行7間・梁間4間で居室は整形四間取りである
特に表側は古風に作られ 城之門筋南側付近の景観上 重要な点景となっている

次は寺内町 木口家住宅

寺内町 上野家住宅

寺内町 仲村家住宅 の次に訪れたのは上野家住宅

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上野呉服店と看板がありました
営んでいらっしゃるのですね

こういう建物で営業できるのって羨ましく思います


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こちらでも案内板を見つけました
こうか書かれてありました

主屋は東面し 桁行8間・梁行5間
身舎梁間4間・居室は6間取りであるが
その裏方に増築部分が付いている

店のとり方は土間部分の表を全面開放し
下店と店を左右に配してその中央半間の
土間によって 後方の土間へ導いている

この建物の建築時期は不明であり
本体にはかなり古い材も残されているが
現況はほとんど幕末頃の建て替えであろうと思われる

なお 当家の向かいに 仲村家  
さらに北西に旧杉山家 があり
付近一帯の景観上からも重要な遺構と言えよう

次は寺内町 中井家住宅

寺内町 仲村家住宅

寺内町センター の次に訪れたのは仲村家住宅

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ココも良い感じですねぇ

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案内板を発見!
ココに書かれていたことは

当家は屋号を「佐渡屋」といい酒造業を営んでいた
代々徳兵衛を名乗り 寺内町八人衆を勤めた伝えられる
正徳5年(1715年)に酒造株を取得してからは 造り酒屋として著しい発展を遂げ
天明5年(1782年)に酒造米高は 河内国で最高の2135石に達した
寛政4年(1792年)には江戸市場を対象とした酒造業の理事長にあたる
「河内一国江戸積大行司」となった

主屋の建築年代は普請入用帳から天明2~3年(1782~83年)であることがわかっており
主屋西側部分 南に続く3室の別屋敷も同時期のものである

この座敷には文人墨客が数多く訪れ 長州藩士 吉田松陰もその内のひとりといわれている

次は寺内町 上野家住宅

寺内町センター

寺内町 旧杉山家住宅 の次に訪れたのは
前にあります寺内町センター

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こちらでしばしトイレ休憩

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センター内には中庭がありました
なんかちょっと良い感じ

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奥では常設展示もされていて
休憩するには良いところです

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次は寺内町 仲村家住宅