どうもvanです
たまたま
たどり着いた記事が
すごく興味深かったので
思わずリブログ
こちらの記事で
最終伝えたかったこと
「やっぱりお母さんは
自分の笑顔を大事にしてね」
って書かれてあることに
はげしく共感
自分の子ども時代を通して
子ども目線で書いてある文が
なんだか面白かった
プッと
吹き出したとこ
👇
靴下が見つからないときに、
「お母さぁーーーーん!!!靴下ないーーー!!!!」
っていうのは。
「保護者には被保護者が社会で自立した生活を送れるための手助けや、必要な教育をする義務があるから!それを通称、子育てと呼ぶので、保護者であるあなたにお願いします!。保護者ーーーー!!!靴下ないーーー!!義務ーーー!!!」
ではなく。
別になんも考えてない。
ただ、母ちゃんなら靴下見つけてくれそうだし。そもそも、こーゆーとき母ちゃん呼んでたし。
そんなもん。
さらに
母ちゃんが給食着洗ってくれるのは、子育てだからではない。
なんか、母ちゃんやってくれるし、つーか、母ちゃん以外に頼む人いないし、、おれやりたくないし、、だって、、、いいじゃんべつに、、給食着洗ってよ、、、、あと、、、給食で出たパン、、、、机ん中にいれてたら、、、カッチコチになったよーー。
程度。。
別になんも考えてない。
ただ、母ちゃんなら靴下見つけてくれそうだし。そもそも、こーゆーとき母ちゃん呼んでたし。
そんなもん。
苦笑
うん、、、
そんな気がする、、、
特に息子はん
そして
すごく頑張ってる人からすると
反感を買いそうな文かもしれませんが
👇
まず、大前提。
子供は母親に子育てなど、頼んでない。頼んでない。ので、子育て頑張っても、褒美などないし、理解などない。通用しない。
でさ、今日なんの話をしたいかというと。、、子供にとって、子育てなんて存在しないわけだけど。、、、親は、子育てを実際にしてるじゃん。
ご飯作ってくれるのも、
靴下見つけてくれるのも、
給食着洗ってくれるのも、、
高校に行けるのも、
塾いけるのも、、
お父さんと、お母さんがしてくれてるから、できることなのに。
子供からしたら、「やりたいからやってるんだよね?」
くらいしか思ってない。、いや、そんなことすら思ってないけど。笑。
(両親に感謝するのは、20年後である)
つまり。
母親の「我慢した愛」は、子供にとっては、「愛」には映らない。「ただの不機嫌」にしか映らないのだ。
子供のために、我慢しても、
子供には1ミリも伝わらない。
「部屋汚いから、お母さん掃除したよ(子育て)。もー、自分で散らかしたら自分で片付けなさない(子育て)」
↑
は、母親からしたら子育て。それが教育で、しつけ。
でも、子育てしてくれと頼んでない子供からしたら、これは、
↓
「え、うざ。勝手にやっといて、勝手に怒んなよ。うざ。。」
である。
母親の、「子育てのための我慢」は、
子供には、「ただの不機嫌」にしか映らない。
母親は大義名分で、子供のために我慢するが。
子供からしたら、子育てなんて頼んでないので、母親が勝手に不機嫌になってるだけで。意味不明なのである。
ですよね
願うのは
子どもの幸せ
子どものために
って思いながら
我慢して
イライラして
不機嫌になってたら
本末転倒だわ
というわけで
自分のためにお部屋をお掃除、片付け
こんなのも
👇
こんなのも
👇
オーケー出す👌
子どもとともに
楽しく生きれたら
最高だと思う
子育ては大変という設定がどんどん
良い意味で壊れていく
ではまた
ありがとうございました😊