龍のひげのブログ -46ページ目

バカ殿政治には10万円の価値もない

もう、馬鹿らしいと言うか、あまりに情けなくて何か言う元気も出てこないし、勝手にやってくれという気持ちにもなるが、亡くなった志村けんさんのバカ殿のコントを見せられているようで、これが日本の政治のレベルなんだなと、これを一歩ずつでも向上させていくことは、並大抵のことではないという以上に不可能なのではないかとも思う次第である。一人、一律に10万円支給するか、それとも希望する人にのみ配るのか。日本の財政にとって大きな負担であることは誰もが理解することであろうが、なぜ今、そこにこだわるのか。出すにせよ財政支出を少しでも減らしたいというのであれば、先ず現在の社会状況を総合的、客観的に鑑みて、少なくとも今日、明日の生活に困っていない公務員と現職の議員には、支給金受け取りの自粛要請をすることが、財務大臣としての麻生氏の取るべき立場なのではないのか。公務員や政治家は10万円程度の金など貰えなくとも路頭に迷うことにはならないであろうから、麻生氏の考えに立脚するなら希望するべきではないということになるし、また今日、明日の生活に不安を抱えている人々に対しては、このような精神的に追い詰められた状況下で、一々受給申請をさせるようなことはパワハラとでも言うべき暴挙であり、役人主義的な時間、手間、労力の無駄使い以外の何物でもない。どうして安倍総理や麻生氏はこうも傲然と庶民や庶民感覚を敵対視したり、愚弄するような政治スタイルに拘泥するのであろうか。自民党の政治家だけではなくて、財務省や経済産業省の官僚などもそうであろうが、口には出さずとも本音のところでは、庶民や低所得階層の人々を軽視しているという以上に蔑視しているのではないかと感じられる。恐らくはそうなのであろう。心の底で人種や精神性が自分たちとは決定的に異なっていると考えている対象の人々に対しては、人間的な人道上の配慮であるとか、思いやりを持てないのである。本当はその姿こそが日本のそして自民党的な政治スタイルなのである。その一方で安倍総理などは特にその傾向性が顕著であるが、自分と距離感が近しい階層の人物に対しては権力を私物化するように便益を供与する。たとえばPCR検査の実態で見ても明らかな通り、一般人は医療崩壊の危険性がどうのこうのとなかなか受けさせてもらえないのに、たとえばテレビ朝日、報道ステーションのメインキャスターは、一旦発熱後、熱が下がって息切れや倦怠感がある程度の状況で、都内の病院に入院して新型コロナの陽性が発覚している。それに対して疑問の声が上がると、ネット上のコメント欄ではマスコミ関係者の投稿と思われるが、CT検査をして肺炎の兆候が見られた後にPCR検査が行われることを通常の流れであり、特別扱いなどでは有り得ないと強い調子で否定したり、疑問を持つ人々を人格攻撃するような意見が多数見られたが、それは違うであろう。PCR検査の前にCT検査で肺炎の兆候があったかどうかということではなくて、今、コロナ患者の急増で都心の病床数が絶対的に不足しているという状況下において、即座に検査入院をさせてもらえていること自体が明らかに、一部の特権階層に対する優遇であり、それが安倍政治の際立った特徴なのである。森友、加計学園などの問題、伊藤詩織さんのレイプ疑惑において元TBS局員であったジャーナリストの逮捕執行が直前に回避されたことなど全て同じではないか。距離感が近くて自分の立場を支持してくれたり、擁護したり、構造的に、たとえばマスコミや官僚に対してのように何らかの互恵関係が成り立つ相手に対しては、喜んでかどうかは知らないが、即座に権力を私物化して協力する。それはまた自分自身の政治能力に対して自信がないことの現れなのである。コロナの問題では、自分の能力や見識に自信が持てないから、単独でリーダーシップを発揮することがいつまで経っても出来ずに、合意形成ばかりに延々と時間を掛ける安全運転の政治で、何よりもスピードが要求されるような場面においては、今回の緊急事態宣言のようになかなか決断することができずに、政治そのものが事態悪化の原因となっている。政治家としての自信がないゆえに、近しい人間のみを大切にして、距離感のある庶民は口先だけでごまかせる対象とぐらいにしか考えていない。結果的にほとんどの国民が中身のない政治のツケを背負わされることになるものである。二世、三世議員でももっとまともで国家や国民のためになる政治はその人の人格と資質次第では可能であると思われるが、これまでの自民党政治と今日の安倍、麻生ラインは、これまで日本の大衆が、日本の政治のダメさ加減とでも言うか、本質を見ようとしてこなかったがために、皮肉なことに庶民感覚や庶民の命が軽視されて、桜を見る会に参加できるような権力に近しい人々だけがどこまでも優遇されるような政治構造を、まるで生きながらにして城壁やトンネル壁に埋め込まれる人柱のように、実は庶民そのものが支えてきたのである。それが日本なのである。それが日本型権力の深層に流れている精神性なのだ。わかるか。わからない人間は永遠にわからないであろうが、今回のコロナ騒動でさすがに日本の真実に目覚めつつある人は増えてきているようにも感じられる。私はコロナウイルスは人工的に作られたものであることを個人的には確信しているが、ウイルスそのものが人類を覚醒に導く自立した意思をも持っているように感じられてならない。マドンナはコロナウイルスは平等をもたらすと発言したが、私は平等だけでなく世界を革命に導く可能性もあるような気もする。ともかくも自分の頭で考えて、自分の目で見て、自分の魂で感じるということ、危機と苦難の中で作り上げられる精神性というものがあるということだ。バカ殿のような三文政治を信用してはならない。日本の国民は品位と良識を持って、無能、無慈悲なバカ殿政治を否定し、根絶するために闘う気概が必要だ。

 

政治は政治批判を逸らせるためにあらゆることを利用する

いよいよかなり、ヤバくなってきたな。とりあえず5月6日の解除は普通に考えて無理だろう。覚悟が必要である。それはともかく、今、病床数の絶対的な不足や院内感染のリスク、そしてコロナ以外の病気で緊急の手術を必要としている患者が、コロナ感染者の病院への受け入れとその対応などで医療体制の崩壊危機寸前にあることが、さかんに強調されているように見受けられるが、それは確かにその通りで国民全体が認識しなければならない事実であろうが、それも含めて「政治の責任」なのではないのか。権力とは無縁で医療従事者でもない一般の国民に何をどうせよと言うのか。国民に出来ることなど、たかだか知れているものである。不要不急の外出を控えて、自分がうつらない、他人にうつさないということぐらいである。それでも都会の生活においては、どうしようもなく感染してしまうことはある。それは仕方のないことである。自分や自分の家族が40度近い高熱が数日続いて、から咳が止まらないような状況になれば誰だって病院で診てもらいたいと思うであろう。もし自分が実際にそのような立場になって病院や保健所に連絡を取っても、診察を断られたり、たらい回しにされたり、診察もなく自宅待機を命じられるだけであればどう思うであろうか。最悪の場合は自分自身と濃厚接触者である家族の死をすらも覚悟しなければならないことにもなる。簡単に軽症者はどうのこうのと区分けするが、コロナの検査が実施されないで高熱が続くような状態では医者でもない一般の人間は、或いは医者ですら、自分が軽症者に該当するのかどうかもわからないではないか。医療体制の危機ということはわからないではないが、今は国民の生命をも含めた全体的な危機なのだから、それは日本の最高権力者である安倍総理がリーダーシップを発揮して、毅然とかじ取りをなし、また国民に対して官僚が作成した作文ではない自分自身の声をきちんと届けなければならないはずである。そのための権力であり政府であろう。ところが安倍総理はそのどれもまともに出来ていないのであるから国民から批判を受けることは当然である。大衆と言う存在が政治に誘導、洗脳されたり、批判のための批判に終始する傾向性が高いので、自由な言論が今回のような危機に際して混乱やパニックの発火装置に成り得ることは100も200も承知の上である。しかしそれでもやはり国民は自分や家族の命を守るためには、決して対等では有り得ない政治権力の在り方を注視して、その無能や無責任性を暴き立て、激しく批判していかざるを得ないのである。日本はこういう時においても暴動が起こらないのだからある意味においてはとても優秀なのである。しかし一方で無知蒙昧の無気力や、マスコミや政治に誘導されているだけの見せかけの安定や、何の生産性もなく建設的でもない自己顕示欲だけの不毛な批判のための批判、議論のための議論に覆われていることも事実である。よって大衆の認識や意識のレベルを引き上げていかなければならないことは日本のために必要であるし、本当はそれこそが日本の民主主義の最大目標であると言えるが、いずれにせよ権力と大衆存在は対等では有り得ないのである。我々が選挙で選んだ政治家だからなどと言っている時点で、何もわかっていない自らのレベルの低さを自己開陳しているのと同じである。その思考自体が誘導であり洗脳であることが理解できないのであろう。ともかくも総合的に見て、今の日本の事態や危機においてどれほどレベルが低くとも大衆の見方や意見、批判そのものには何の責任もない。悪いのは安倍総理や政府の無能なのであることは何をどのように主張しようとも転倒できる筋合いのものではない。それをあたかも大衆の反応そのものに全ての問題の原因があるかのような発言をするのであれば、お前は一体、何に忖度しているのだと言わざるを得ない。それこそが政府の陰謀ではないのか。だから私は政治だけでなく、政治と密接につながっている芸能界も信用できないのである。芸能人は元々頭が悪い人種なのか、それとも目立って好感度を上げることだけを考える生き物なのか、芸能人ではない私にはよくわからないが、ともかくも我々国民は政治と情報の質を国民の命を守れるように自らの意識を引き上げ、立ち向かっていく以外に道はないということである。

 

コロナウイルスを通して見えてくる日本の特殊性

追い詰められて観念したように、安倍総理がついに緊急事態宣言を発令する。何で今なのであろうか。今こそというよりも今更である。東京都の一日の感染者数が90人台と4月4日の117人で、この新型コロナの世界的な感染状況を考えた時にどれほどの状況の違いがあるというのであろうか。100人超えが政治判断の目安というよりも、観念したので政治判断で100人を超えるような数字調整に変更させた上で、緊急事態宣言決断の体面を取り繕ったということであろう。私が言う、日本の内向きのコントロールとはそういうことである。コロナウイルスは政治権力に忖度したり回り道をしないで、一直線に正直に増殖していくので、安倍総理の説明などより余程信用できる。

それはともかく今朝の新聞紙面で緊急事態宣言の内容を見ていると、それなりのインパクトはあるように思われる。強制力や罰則が伴わないから、これまでの自粛要請と変わらないという意見も多く見られたが、むしろ強制力や罰則など不必要というか、ない方がいいであろう。業者や様々な施設の運営者が従う、従わないという問題ではない。日本では、ほとんどの事業主は国の指示に無条件に従うものである。またはっきりと指示を出してもらった方が自粛の決断をし易いと考えている事業主の方が多いのではなかろうか。というよりも、これまで既に日本国内の事業者はそれぞれ程度、濃淡の差はあれど自粛モードに入っていたものである。もちろん一日、二日の売り上げが死活問題につながるような零細な飲食店は別であろうが、それなりの規模の企業は、組織内部にコロナ感染者が発生し、感染拡大する危険性の企業全体に与える心理的、経済的ダメージの方が、自粛に伴う多少の売上減よりも遥かに大きいであろうから当然のことである。ところが伝染病の性質上、自分たちの組織や店舗だけが自粛していても国全体のウイルスを終息させることにはならないのであるから、政府に対して緊急事態宣言の発令によって、より断固とした姿勢でこのコロナウイルスの撲滅に取り組んでもらわなければ困るという声が圧倒的に多かったということもこれまた当然のことであった。言うまでもなく安倍総理を始め、これまでの政府の危機意識と対処は、緩すぎたということである。多くの大衆はこのような程度の低い政治にすら洗脳されていて、物事の筋道や本質を正しく理解できていないようである。正直に言って、馬鹿を相手にこうやって説明するのも面倒だし、鬱陶しいことでもあるが、本来「緊急事態宣言」という法令は、その趣旨とすれば、国家が国民に対して、国家的な危機を訴えてそれに必要な心構えと意識を喚起させるためになされるものである。ところが日本の場合は内実的に異なっているものである。どう違うかと言えば、国民がではなくて安倍総理や内閣全体が、これまでこのような絶対絶命的な災厄に対処する基本的な危機意識を持てていなくて、経済的打撃や財政出動を最小化するようなことばかりを取り計らう有り様であったのを国民が見るに見かねてこのままでは大変なことになってしまうから、一刻も早く緊急事態宣言を発して政治権力がもっとこの未曽有の危機を自覚、認識しなければならないという意味合いで急き立て、安倍総理がついに観念したということである。よって本来の法律の趣旨とはベクトルが正反対に異なっているということだ。国家権力から国民に流れるべき方向性が、国民からの要請で国家権力が渋々と動いたということなのであって、本質的に法令の内容の問題ではないのである。これが日本の実情であり、特殊性なのだ。こんなことで本当に危機に国全体で立ち向かえるものであろうか。ところが日本の一部、或いは半数近くの左派思想はこのような日本的な欠陥をどこまでも正当化するのだから困ったことなのだ。今回の緊急事態宣言も一時的に市民の自由を制限するということだけを捉えて、戦時中の治安維持法と同じような文脈で批判、否定する論調の意見が見られる。さすがに今回の事態に際しては、野党もそのような馬鹿げたことは言っていないようであり、マスコミのたとえば朝日新聞や毎日新聞などの左派言論も本当はそのような戦時中の強権発動と同一視するような批判なり、議論のための議論を延々と展開させる方が、組織としての座りが良いので本音とすればそうしたいところであろうが、今回に限っては自分たち自身がコロナウイルスの影響で日々の取材活動や報道に多大なる影響と不安を被っているので、そうしたくともそうできないのであろう。だから反対に今回の決定が遅すぎるなどと批判している有様である。勝手なものである。しかし野党の政治家やマスコミがそうであっても、日頃からそのような左派的な自己中心的で身勝手な思想に影響されている「子分」たちは、親分が自粛しているというのに、ネットにおいて国民の命を守るための政治決断を国民の自由を制限する強権発動の視点からのみ批判して、意味が無いとかそんなことをしてもほとんど何も変わらないなどと言わずにはおれないような精神構造下にあるようである。本当に日本は厄介な国である。暫くの間は、或いはいつまで続くかわからないが、飲みに行ったり、歌いに行ったり出来ないのだから、家に籠って、そういうことも含めて多くの大衆に日本という国がどのように回っているのか、良く考えて欲しいと思う。人類の存続のためにはそういう時期も必要であることをコロナウイルスは教えてくれているのであろう。さて理髪店が休止されると困るので今日は散髪に行くことにしよう。