間違いなく勝てる。金メダルだ。
その直後だった。ラシュアンの体が崩れ、その上に山下が覆いかぶさった。そのまま2つの巨大は微動だにしない。
試合開始わずか一分五秒。横四方固め。山下の金メダルが決まった。
当時を山下が振り返った。(実はあの試合は何もしていないんです。相手が仕掛けてきた技をすかしたら彼は自分から倒れていった)
そして、沈黙の後、最後にこう付け加えた。(試合前に笑ったのは、生涯を通してあの一度だけ。なぜ、あのとき笑いかけたのかは私自身もいまだに謎のまま…ただ、あの時笑った自分を、したたかだったと思う)
ラシュワンは山下の痛む右足を攻めていないわけではないことが、はっきりと見てとれた。すでに出来上がってしまっている美談が、間違いであることが分かった。更に柔道の専門家によれば、実は痛む足を攻められるのはさほど怖くはない。攻められて怖いのは自分の体重が乗っている軸足の方。ラシュワンは左足も狙っていた。
エジプト陣営の(一分間は何もするな…)という作戦は頭から消え、勝ち急いで繰り出した技を山下にすかされると、自ら勝手に倒れてしまったように見える。
世界一の勝負を目前にして、絶望を抱え込んだ山下が計らずもとった行為が人の心を操った。山下はあの試合を振り返ってこう言った。(顔は笑っていましたが、私の心の中は笑っていなかったです)
柔道人生で試合前に笑ったのは、あのたった一度。そして、そのことを話すのも初めてだと山下は明かした。この取材は取材者冥利に尽きる栄誉だと今も心に残っている。
テレビ中継に映されなかった決勝の畳に上がる直前の出来事。二人以外の誰も気づかなかった一瞬があった。
いくらスポーツ科学が進歩して、その恩恵を選手たちが受けようとも、戦いの最後は生身と生身のぶつかり合いであることは未来永劫変わらない。
そこがスポーツの醍醐味で有り、描く側にとっての最大の魅力でもある。だからこそ人間をテーマにするノンフィクションは時間を経過しても色褪せず、むしろ時間がたってこそ、輝きを増すこともあると信じている。。
スポーツゴジラより抜粋、省略してます。
日本人初の金メダリスト、疑惑の判定から5ヶ月のリマッチ。TKOで勝利した村田選手の真実を、掘り出す《聞き手》がいる事を願うばかり。。