スポーツが問題を可視化する。。
スポーツジャーナリストの使命とは。
スポーツジャーナリズムの醍醐味はスポーツを通じて色々なところにブリッジを架けられる。
複雑怪奇と言われたコソボ紛争問題も、サッカーを通すことで身近な問題として捉えることができ、民族融和の可能性を探ることが出来る。1999年
ストイコビッチ選手が《NATO STOP STRIKES》と書いたアンダーシャツを試合中に見せた。彼のこの行動がきっかけで多くの人がユーゴスラビアの情勢に感心を持つようになった。政治的なアピールではなくて人道的なメッセージ。スポーツが、遠い国で起きている問題を身近な問題として可視化してくれる。
時として、スポーツはプロパガンダに利用されることもあるが、民族の融和に利用することも出来る。その可能性を伝えるのもスポーツジャーナリストの役割であるのではないか…
スポーツは社会と密接している。歴史や宗教、政治、経済などジャーナリストは、あらゆる方向にアンテナを張り、それらに関する知識を習得していかないとならない。
そして、何より重要なのは、自分独自の哲学を持つ事。私たちは、政治の問題から逃げられない。政治によって法が決まり、その法による拘束がある。自分たちの目線で抗っていかなければならない。
スポーツが他の影響を受けずにきちんと自立できているかをジャッジし、伝えていく。それがスポーツジャーナリストの使命で有り、スポーツを魅力あるものとして守る一番の方法だと思う。
※こちらも抜粋です。。
スポーツライターに必要な事
1)スポーツを知る
2)スポーツをみる
3)スポーツをきく
4)スポーツを想像する
5)スポーツを表す
6)スポーツを考える
考える…肥大化したオリンピックはどうする?ドーピングに決定的な解決策はあるか?猛暑の中の甲子園大会はこのままでよいのか?関東の大学しか出場できない箱根駅伝はこのままでよいのか?etc.スポーツは文化として正しい方向に進んでいるだろうか?
オリンピックもただメダル獲得数に注目では意味がない。スポーツ文化とは、真に豊かな社会を築くために存在するもの。ライター自身も、より良い社会の実現を担う仕事であることを自覚すべきであろう。。
ワタシの結論として、政治もスポーツもとどのつまり当事者も関係者も観戦者も人間として成熟する事。人間性をどう築いていくか?は、普遍的な課題だと思う。真面目な熟