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価値の最大化

             

コンサルの会社に勤めているということもあって、
日本を代表する経営コンサルタントである大前研一氏の著作はよく読む。

大前氏の思考は非常に本質をついているし、
そういった思考をするための努力も尋常じゃない。

その大前氏がtwitterで下記のような発言をしていた(らしい)。

『人間が変わる方法は3つしかない。
 1番目は時間配分を変える。
 2番目は住む場所を変える。
 3番目はつきあう人を変える。
 この3つの要素でしか人間は変わらない。
 最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。』

これ、至言だと思うのです。
本を読んだり、人と話したりして、熱に浮かされて決意を新たにすることって多いのだけれど、
結局、時間が経ってみると、何も変わっていなかったりする。

決意するだけじゃなくて、行動を変えればよいというけれど、
それってほぼ同じことを言っているだけで。

そうじゃなくて、時間配分・住む場所(環境)・つきあう人を変える
というところまでブレイクダウンしているところが流石だな、と。

働き始めて1年経って、会社のサイクルを一通り経験した。
まだまだ見えていないことは多いとは思うけれど、
それでも、見えているところで感じることや考えることが多々ある。

自分自身を顧ても、このまま1年目の働き方を継続していってはいけないと思うし、
何らかの「変化」をつけないと、僕はくさってしまうと思う。

時間配分と住む場所、つきあう人の3つの中で、
一番簡単なのは、おそらく時間配分。

1週間単位での時間配分を見直すことにしよう。


……って決意するだけではダメなので、諸々考えていることを実行していきませう。
僕は、俗に言う「夏卒業」というシステムを使って大学を卒業したので、
大学を卒業してから就職するまで、半年間強、どこにも属していない時期があった。

おそらく、以降はなかなか手に入れることができない貴重な時間だと思ったから、
その半年間で何をするか、色々悩んで考えた。

人からよく言われたのは、「海外に行け」ということ。

自分自身、日本から出たことがマダないので、それも良いかな、と思った。
でも、いまひとつピンと来なかったので、直感に従い、やめることにした。

最終的に選んだのは、「引きこもり」。

実家に戻って、ひたすら本を読んでDVDを観て、
「人生の本質とは何か」をブクブクと考察しようと思って。

僕は、自分がやりたいこととか成し遂げたいことがないから、
「人生の本質とは何か」に対する「解」がわかれば、
そこから演繹的に、自分がどう生きるべきかが導き出せると思ったのだ。

偉人のエッセィ、哲学書、ノンフィクション、科学書、様々なストーリィの映画……
これらに触れ、内省し、考察した結果、僕が辿り着いた、当時の結論は、

・「人生の本質とは何か」という問いに対する唯一絶対な「解」は存在しない
・すべての人間(というか、すべて)は無価値であり、その意味で同等である
・すべての人間は自己満足のために生きる

この3つの考え方は、今後変わることもありうるけれど(可能性は低い)、
いまの僕の思考の根底にある。

「攻め」の自己満足を追求することができない(とても難しい)僕にとって、絶望的な定理。

生きることに、希望はあるのだろうか……。
「仕事の本質とは何か」を知るために、
もっというと、「人生の本質とは何か」を知るために、
いまこの環境で働いている・走っていると書いた。

でも、そこに迷いがないのかと言うと、そんなことはない。

大きく懸念するポイントは2つあって。

1つは、お客様は誰か、ということ。
もう1つは、自分自身の振舞い方。

お客様は誰か、ということで言うと、
これは、会社にとってのお客様ではなく、
自分にとってのお客様のこと。

正直言って、
自分が行っている作業が、会社にとってのお客様に貢献している、
という実感が持てていない。

では、誰のために仕事をしているのかというと、
上司や仕事を振ってくれた人に対して仕事をしている感じ。

仕事を振ってくれた人の期待値に応えることが第一義になってしまっている。

初期の新人としては、まず上司の期待値に応えることが第一歩なので、悪くはないと思うけれど、
今後、今の仕事をしている限り、
会社にとってのお客様に貢献している、という実感が持てるようになるとは思えない。

これは、どうしたものかなぁ、と。

きっと原因はいろいろあって。

「効果」の見えにくいサービスであることは間違いないし、
そもそも、その「効果」に対して、自分自身で疑問を持ってしまっている。

解決方法を持ち合わせているわけではないのだけれど、
ずっと悩んで、ふと直感が働いたときに、行動に移すしかないのかなぁ、
と今のところ思っている。

もう1つの自分自身の振舞い方については、また別途。