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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

スメル・ハラスメント。
ネット上で関連記事をよく見かけるが、これだけ暑い日々だからな。「各々、匂いに注意しろよ!他人様を不快させるなよ!」という喚起なのだろう。

このハラスメントが付く言葉、30ほどあるらしい。意味合いは周知の通りだけれど、なかなか難しい一面もある。
人様に対し何かを言うとは、自身もその何かに縛られるからだ。

たとえば、「スメハラですよ!あなたのその匂い!」と、誰かが誰かに言ったとしよう。(面と向かって言う人はいないかもだが)

そう言われた方は「なんだと、この野郎!お前、脇を上げてみろ!靴下を脱いでみろ!」と言い返し、そして、クンクンしてみたところ、それなりに臭かった。いや。そう言った手前、臭くてはダメなのだ。

そんなアホな。と、石を投げられるかもしれないが、発言主はその発言の責任を負うことになる。好き放題、感情の赴くまま言いっ放しとはいかず、自らを縛ることにもなるわけだ。ようするに。
豪快に棚に放り投げるという奥義はあるけれどな。




さて、「昔は良かった」という言葉が巷には溢れている。
一概に言ってはいけないが、「もっと伸び伸び。自由だった。」的な趣旨が込めらている場合も多そうだ。

裏返せば「いま時は、どこか窮屈で面倒臭い」のかもしれない。その原因のひとつには、発言者自身の縛りがあるような気がしないでもない。

というのは、そのバイアスが強化されるほど「自分は我慢してやっているのだから、あなたもそうすべき」的な押しつけ論が生み出されそうな気がするわけで。

そして、他者から牽制、指摘、干渉されているような空気感に触れると、人は窮屈さを覚え、面倒臭い、と感じてしまうのかもしれない。

「口は慎んだ方が良い」。「人の振り見て我が振り直せ」。
先人たちの教えだが、口に出す難しさを物語っているのだろう。

とはいえ、何も言わなきゃいい。見て見ぬふりをすれば良い。と、言っているのではない。

時には耳が痛がる言葉は必要だろうし、ハラスメントという定義も大事だと思う。行き過ぎをストップさせること、誰かの人権や尊厳、そして、規律を守ることも大事だと思う次第だ。

やや余談的だが、他者に発することで自らにプレッシャーを掛けよう、とする人もいる。
ふむ。目的は自らを律するため。キレイごとかもしれないが、それぐらいが丁度良いのかもね。




余談ついでだけど、先日、代打の高校球児が賛否を呼んだ。ヌンチャク打者だったっけ。

ダルビッシュ投手も動画をツィートしたり、MLB公式サイトでも「Ninjahitter」と、取り上げられたそうだ。(FOXやCBSといった米主要メディアでも紹介されたり)

肝心な高野連の対応は「注意する」だったけれど、クールじゃないね。個人的には。

今日開幕した第97回全国高校野球選手権大会。神聖化をアピールし過ぎて、「昔の高校野球は楽しかった」と、ならなければ良いのだけれど。

さ、脇汗ベッタリの夏満開だ。特段、汗っかきではないけれど、ふむ。気を付けよう。
リブート。またしてもアイツが起動したみたいだ。

四十肩という厄介者のことだけれど、めっぽう痛い。しかも、以前よりも力を付けてきた気がしないでもなく、我ながらやれやれだ。

どうやら身体を冷やすのが良くないらしいのだけれど、なんせ冷房がキンキンなこのシーズン。カーディガンやジャケット、必需品だよね。それとロキソニンも。

仕事の合間、現場のスタッフさんとコーヒーを片手に雑談をしていた時も店外。お互い冷え性ということで。




この雑談の最中、「あれ?どっかで」というシーンと重なった。
一瞬、既視感か?と、間違えそうになったのだけれど、いや違う。確かにあった。

それはサラリーマン時代、同期の一人がよく口にし、ボクらが度々繰り広げたシーンだったのだ。(入社3年目ぐらいまで)

彼の言う趣旨は、おおむねこうだ。
「仕事っていうのはさ、やろうと思えばいくらでもできんだよな。どの辺りが割に合うんだろうな?佐藤、お前はどう思う?」と。

その彼とは妙にウマが合い、毎週のように銀座界隈の居酒屋チェーン店へ飲みに行ってたのだよね。その帰りにはウチへ泊まりに来たりして。(翌朝は一緒に出社)

そういう数多の機会の中、この「仕事はどこまでやるべきか?論」に花が咲き、若かりしボクらは割に合う妥当なラインを知りたがったわけである。加山雄三ではないが、意識高きフレッシュマンという、いかにものノリで。




さて、いま、彼と同じ話をしたら何と応えるだろうか。そうも頭を駆け巡ったのだけれど、いつの頃からだろう、「割に合う」という考え方は嫌いになった。何に関しても。まるで見返り求める系みたいで。

「仕事はどこまでやるべきか?論」にしてもそうで、寄せられた期待以上に応えることが勤めであると思う。個人的には。

ようするに、そういう結果が出せるまでトコトンやれ。それしかない。
そして、その期待とは進化をし、時にはカメレオン的になったりもするものだから、この論自体がどこかナンセンスなような気もするわけである。

やや余談的だが、彼は横国卒で文字通り優秀だった。仕事にも情熱的で真面目な男でもあった。

とはいえ、抜群の社交性で誰とでも瞬間接着剤級に仲良くなれるという、ボクには真似できない能力も兼ね備えていた。「どうやったら、そう振る舞えるのか?」と、当時は何だか羨ましくも思ったものである。

彼はいま小学校の教師をしている。東京、調布辺りの。良き先生なのだろうな。きっと。すでに「熱中時代」の北野広大超えを果たしていそうだ。

はて。再会の時、彼は何と言うのだろう。あのフレッシュマン時代の問いに。そのリブートは楽しみにしておこう。
吉野家の朝定。けっこう好きだ。
以前ほど立ち寄らなくなったのだけど、先日、「そうだ。久々に朝定でも!」と、向かった。

ところが、営業時間外。オープンしていなかったのだ。
オレンジ色の看板にはデカデカと「24時間営業」と書いてあるのに。(そういう店舗って意外に多いのかもね。)

「おいおい。正しい営業時間をデカデカと書いてくれよ」と、条件反射的に言いたくなったものの、お腹はすんなり朝マック(エッグマックマフィン・セット)を受け入れたのであった。(完全に特朝定食モードだったのだけどな)




さて、吉野家HDによると、吉野家(牛丼店)の売上は228億4,000万円で、前年同期比1.8%の減収だそう。(7/9発表・第一四半期 2015年3~5月)

なんでも牛丼の値上げ(昨年12月)が客数減に繋がったそうだ。そして、惣菜事業を分割したことによる店舗数の減少も主な要因だという。

少し前の2015年2月期の決算資料には「今後の販売戦略」として、こう掲げられている。

●新たなコンロ商品の販売
●牛すき鍋膳のブラッシュアップ・吉呑みの充実
●新たな集客のトライアル・ビッグデータ活用にむけて準備

さらに「今後の課題」として、●店舗の環境づくりと新店舗モデルの創造、とも。




特段、吉野家云々ではないのだが、企業(お店)とは時に盲目的になるし、自分バッカリにもなる。

社内や業界の常識に縛られたり、自社の目標数字(売上や利益)ばかりに視線が向かったり、大切な何かを見失ってしまったりと。

しかし、主役はあくまでも生活者。その人たちにフォーカスしてやるべきことをやる。そこに手間や労力を懸命にかけ、知恵を出す。ようするに、まともにやってこそ、今後のシナリオやストーリーが生きるのである。

吉野家。思い返せば坊主頭の中学時代から大変お世話になってきた。第二四半期は盛り返して欲しいね。激しく期待したい。