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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

先日、こんな記事を見かけた。

ついに出る「洗濯物自動折り畳み機」(日経ビジネスONLINE)

そう。『洗濯物を折り畳むのって面倒だな。誰かが代わりにやってくれたら。なんなら畳まれた状態で洗濯機から出てきたらいいのに』を叶えてくれる夢のような代物だ。

いいね。『laundroid(ランドロイド)』。(洗濯とロボット技術を組み合わせた造語)




現在、セブンドリーマーズとパナソニック、大和ハウス工業が、この世界初のマシーンを共同開発しているとのことだが、便利という歯車は更に回転のスピードを上げそうだ。

このランドロイド、対応する洗濯物は主に4種類(シャツ、ズボン、スカート、タオル)。一度に折り畳める量は40枚までという。さらに仕分けまでしてくれるそうだ。

販売までのスケジュールは、今年度中に先行予約と販売がスタート。2017年には一般販売を予定している。

さらに2018年には、折り畳み機能に『分配収納機能』を追加したモデルを介護福祉施設や病院向けに販売。

2019年までには、洗濯乾燥機に折り畳み機能を加えた『オールインワンモデル』を販売するそうだ。(洗濯+乾燥+折り畳み)

また、『住宅ビルトインモデル』の開発と販売も目指すという。(折り畳んだ洗濯物を各部屋の収納に自動で配送してくれる)




ふむ。どんな言葉を紡ぎ、生活者と事業者へ「laundroid(ランドロイド)」の価値を伝えるのだろう。

というのは、結構な価格帯が予想され、大和ハウスのスマートハウスにも導入されるわけで、今からこの辺りに興味津々。

やや余談的だが、一生のうち洗濯作業に費やす時間は約1万8000時間という試算がある。(ごく一般的な家庭の場合)

そして、そのうち約9,000時間(375日)は洗濯物を畳み、人ごとに分け、タンス等へ運ぶ時間に費やしているそうだ。

つまり、約1年間分の時間が浮くわけだが、この時間の有効活用的な言葉がウリとして並びそうな予感もする次第。

人の代わりに洗濯物を畳むのはAIだ。画像解析やロボティクスというコア技術を担っているのだが、『AIが人に代わって』というスタイルはジャンルを問わず更に加速していくのだろう。

人々の豊かさとAI、その相関関係はますます強まりそうな気もするが、一方、人々の心や感情の中でどこまでこの図式が成立するかどうかは分からない。ふむ。激しく傍観し携わろう。弛まずに。
NHK大河、真田丸。
草刈正雄氏が演じる真田昌幸、いいね。いかにも天才策略家っぽくて。

また、三谷作品っぽさも個人的には良い感じ。出来事をこう羅列するのではなく、そのある一点にフォーカスするというか。

お蔭で『本能寺の変』は一瞬だったけれど、織田家武将、大名、真田家、それぞれの混乱ぶりが丁寧に描かれていると思う次第。先の読めない不確実性というリアリティというか。

というのは、それはもう大変な苦悩だったと思うのだよね。電話、ネットもない当時、何が起きているのか?誰がどう考え、動こうとしているのか?そういう本当の情報、事実が五里霧中にある中での意思決定とは。(実は信長は生きている、という選択オプションも想定していたと思うわけで)

視聴率的にも良い船出なようだけれど、今後もワクワクが続きそうだ。




さて、録画をしてあった『第六回 迷走』を観た。
冒頭、京都より信濃へと逃れるシーンから始まり、滝川対北条戦の前夜辺りまでだった。

そのラストシーンでは、昌幸より『今後の真田家のプロモーション発表』がされた。『これより真田、誰の下にも付かぬ』と。

更に、『ようやく分かった』から始まる自分たちの価値をこう羅列した。

信濃には、良き材木が取れる山々がある。それを運ぶ川もある。良い馬もいる。街道が通り、人が集まる。東と西を結ぶ要の土地。だから大名たちはこの信濃を欲しがる。と。

そして、この信濃がある限り、真田は大名たちと対等に渡り合える。と言い放ち、『もう大名たちの顔色を伺うのはご免じゃ』と締めくくられたのだった。

ようするに、真田のウリは人・物流ネットワークの要を押さえていることであり、皆の衆これで勝負するぞ!!というプロモであった。




プロモーションとは骨太方針


昌幸は『ようやく分かった』と言ったが、前置きがありそうだ。『ウチのパーツ的な価値を全部まとめ、熟慮してみたら』と。

というのは、価値とは点在するかのような場合が多いのだよね。企業でも、店舗でも、人でも、多面的というか。

ゆえに『ウチはこうだ!』という骨太の方針を打ち出せない要因になったりもするし、一貫性のないスポット的、局地戦のような展開になったもする。

または『アレもコレもやろう!』的なノリになったりもして、いかにもその業界っぽくなるパターンもある。

いずれも価値が幾つもあるがゆえのことだが、一つにまとめてみれば独特な価値があるわけだから勿体ない話だとも言える。

『いかにお家を絶やさず生き延びるか』という真田家の最大ミッション、その結果は周知の通りだけれど、ふむ。多くの企業、店舗、人にとっても引用できると思う次第だ。

やや余談的だが、信繁(幸村)が主役なのに、昌幸がその座にある描き方。いかにもじゃなくて、この辺りも個人的には良い感じ。

さ、第七回『奪回』が楽しみだ。
『誰でも良いから、来てくれれば良い』
『誰でも良いから、買って(利用して)くれたら良い』

そう思いながらの言葉とは、無色透明的になりやすい。一見、間口が広がり、対象者が増えそうだが、そういうことでもない。どちらかというと、間口の存在を自ら薄くしまっている状態だ。

ということは、生活者(お客さん)はその存在に気づかず、素通りする現象が起きやすくなる。

ようするに、来店しない、リピートしない、参加しない、買わない、利用しない、という現象だ。

やや余談的だが、現象と本質は違う。
なので、集客数を増やそうとして、チラシを増版しても、販促ツールの作品的センスも高めても、得てしてあまり効果がない。たとえ煽り系の言葉を使っても。

なんせ、この現象の本質は間口の存在を自ら薄めていることにあるのだから。

さて、その間口の存在をハッキリと現す方法は簡単だ。DMやチラシの紙ツール、facebook等のSNS、共通することは『誰に話すのか?』をハッキリとイメージすれば良い。

たとえば、ロハス(LOHAS)なライフスタイルを好む人が相手ならば、こんな感じだろう。

再生可能エネルギー、省エネ電化製品、エコ住宅、自然エネルギー、天然食品、サプリメント、ヨガ、瞑想、自己実現、異文化コミュニケーション、諸々と。



話とは相手があって成立するものだ。そして、相手に合せて話す内容は変わるものでもある。

『何を、どう書けば良いのですか?』と聞かれることが多々あるけれど、『読んで欲しい人はどんな人?来て欲しい人はどんな人?お客さんになって欲しい人はどんな人?』というイメージを創ってみると、紡ぐ言葉が出やすいよ。

いや、自分が付き合いたい女性(男性)像、人生を共にしたい女性(男性)像をイメージするような格好の方が、よりリアリティがあるかもね。

さ、明日も頑張ろう。ご依頼頂いている原稿を全速力で。