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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

コンテンツ。
大事なものであり、ブラッシュアップを続けなくてはいけないものである。

 

店舗、展示品、技術、品質、商品、サービス、HP、チラシ、DM、、どれもがそういう宿命があるというか。

 

なので、企業(店舗)のリソースはここへ集中投下され、クオリティや使い勝手、諸々にも並々ならぬ努力をする。

 

今も昔も変わらない姿である。

 

 

一方、コンテンツの効果が薄まりつつあるのが、今だ。

なんせ膨大なコンテンツ量がゆえ、生活者(お客さん)はその全てを目にすることはない。

 

また、各々の違いを見出すことも難しい。その業界なら、そういうモノ、形、姿、ノリになるというか。どこも高いクオリティというか。

 

なので、そこにある価値、そこにしかない魅力を見出すことも容易くはないわけだ。

 

ふむ。費用対効果が悪い。企業リソースの無駄遣いにもなる。

 

なので、ステマの横行や過激なキャッチ、タイトルを使い目を引くという反則的な策が生まれたりもするのだが、大した意味を持つことはない。ごく一時的な効果であったり、全く効果がなかったりするわけで。いや、ステマなんかはモラルに反するわけだが。

 

コンテンツではなく、人が中心

 

コンテンツとは従来のマスマーケティングとの相関が強い。けれども、いまの世はどうもこの構図に合わなくなってきている。

 

大局的に言えば、コンテンツが中心ではなく、人が中心という風に。この人が勧めているから見てみる、的な。あの人がいるお店で買いたい、的な。

 

数いる営業(販売)マンに対しても、そういう心理は働きやすいだろう。担当はこの人がいいな、的に。

 

なので、社内格差が大きく開く営業(販売)現場も珍しくないのだよね。中間的な成績が薄く、上下に偏る傾向が多かったりと。

 

ようするに、関係性がある人の影響を受けてコンテンツに辿り着くという構図とも表せるだろう。

 

ふむ。商売の原点回帰的でもあるわけだが、生活者(お客さん)と、どういう関係性を、どう築いていくか。ますます加速度が増すテーマであると思う次第である。

 

さ。明日も頑張ろう。全速力で。

細木数子の『六星占術』。
ふと、気になってしまった。

 

もう何年も見ることはなかったのだが、ある人との同ネタにより『そういえば、どんな運勢なのだろう?』と。

 


ボクは『天王星人プラス』なのだが、同星人の方はみんな胸を撫で下ろして良いみたい。

というのは、今年は『立花』で、全体的になかなかの好運気だそうだ。

 

今後10年の基本的な運気を決定づける重要な年らしいのだが、この時期に成し遂げたことは、生涯不動のものになるとのこと。(将来を左右するような一年のよう)

 

運勢的コンテンツは、以下こんな感じ。
(ただし、月運が殺界となる3-5月・9月・11月は気を引き締めるようにと)

 

●恋愛・結婚運
・『この人だ』と直感を得たら、自信を持ってアタックして良い
・失恋したばかりでも、新たな出会いの予感

(将来のパートナーになるつもりで付き合うように)
・結婚を意識している相手がいれば、自ら話を切り出すこと
・夫婦は水入らずの時間を持てる
・あなたの方から包み込むように接する

 

●健康運
・一年を通じ、体調はほぼ良好
・大きなケガや病気の心配はいらない
・気力も十分で仕事に身が入る(過信はNG)

 

●仕事運
・順調そのもの
・手掛けてきたことが実を結ぶ
・思いつくままに動いて良し

 

●財運
もともと財運に恵まれているので、全く問題なし
(ただし、調子に乗って即決すると、判断を誤る可能性アリ)

 

●人間関係
・あちこちから声が掛かり、人気者になる
・積極的に動くほど新しい人間関係が創れる
・人柄を良く理解してくれている人から、気が合いそうな異性を紹介される
(その際は真剣に付き合ってみるべし、生涯のパートナーになるかも)

 

●旅行・レジャー
・思いつくまま行動に移して良し
・初体験のスポーツ挑戦も吉
・ちょっとリッチなクルージングも吉

 

いいね。単純な人材がゆえ、ホッとした次第。
とはいえ、まずは眼前の一つ一つを一生懸命、必死にやらなきゃな。
さ。頑張ろう。全速力で。

久々に手に取ってみた。
『聞く力(心をひらく35のヒント)』(阿川佐和子氏/文春新書)を。

 

 

ふと、読み返したくなったのは、『この力が足りてないなぁ』という最近の自覚から。

 

相手の話を聞くフリをして、『自分の言いたいことを話しているのでは』という気に気づかされたというか。『でも・それは分かるけれど』的な。


自分の物差しを持ち出し、価値観を押し付けているな。とも思ったりしたのだけれど、話し手とは単純に伝えたいのだよな。当たり前だけれど、思うことを表現したいのだ、という感じで。

 

なので、途中で話を遮られれば不快だろうし、すぐさま反論されてしまえば話す気も失うだろうし。伝わってる感がなければ虚しくもなったりするわけで。

 

ふむ。聞く力。大事だよね。本当に。
読書の秋でもあるし、日本語と教養にまみれる機会にしよう。全速力で。