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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

 

合うか、合わないか。

突き詰めればこれしかないのではないか、と個人的に考える絶対的基準の一つである。

 

というのは、善悪の判定とは極めて難しい。よっぽどのことを除けば、正しい間違いという類もそうだ。

 

さらに、主観や感情、その時の状況や立場次第でも偏るし、物事とはそこまで単純ではなく二項対立的でもない。

 

ようするに、どれも『間違いではない』というジャンルに在ると思うのだ。

 

ゆえに、軋轢が生じる原因になる気がしてならない。この類の基準をもってすれば、マウンティングし合うような。いつまでも並行するような。何かとストレスを抱くような。なんせ、普通という感覚ですら十人十色なわけで。

 

合うか、合わないか。
誰もが持つ五感や第六感が教示してくれそうだが、平穏に、心地良く、楽しく、そう生きるための一つの知恵だと思う次第である。

 

もちろんのこと、折り合いや調和も大事に違いないが、これまた合うか合わないかが物を言うような気がしてならないのである。そもそも論として。

 

人ひとりの持つあらゆる資源とは有限である。

いつか死を迎えるまでだ。

ならば、合うという関係性、環境の中で過ごしていきたいものである。

 

新年度の始まり。
巷を見渡してもどこかフレッシュ感があり、やる気漂う雰囲気もある。いいね。(10月が新年度という企業も増えてはいるが)

 

個人的には特段の抱負などはないのだが、常に目の前の仕事を頑張る。楽しみつつ真面目に、ご期待以上で応える。基本的にこれしかない。

 

『ああなりたい、こうなりたい』という理想や構想は大事だが、それだけではダメで。『あれもこれもやりたい』と意識ばかり高くてもダメなわけで。

 

やや年度初めの表明文的にもなってきたが、細部にまで神を宿したゆえ遠くへ導いてくれるというか。ま。個人的経験則ではあるのだが。

 

ふむ。どこか感覚的に似ているな。
みんなに優しくとか社会貢献を叫ぶよりも、まずは自分に近い人をとことん大事しろよ、というものに。

 

そうできてこそ、いわゆる他人にも優しくなれ、社会にも貢献できるのだからと。そうじゃないそれとは、どこか偽善的であり自己陶酔的だ。

 

そういう類で付け加えれば、誰かの熱意にはマジでありたい。本気で応えたい。とことん付き合いたいとも思う。

 

世知辛さや不透明感も際立つ日本社会だが、嘆かず、希望を持ち、楽しみつつ、熱心でもありたいとも思う次第だ。

 

さ。ご依頼頂いている幾つかの原稿をご期待以上の出来で仕上げよう。全速力で。

 

頑張るよ、今年度も。よろしくね。

4月。ハジマリの歌は『SAKURA/いきものがかり』



春。心躍るシーズンが本格化してきた。

平安時代の『古今和歌集』には、春の部133首のうち桜が74首、梅は26首ある通り、花鳥風月とは人々の心を華やがせ、感性も豊かにするものだ。いいね。四季って。

本居宣長は『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』と詠ったが、満開の桜とはただただ麗しい。ふむ。来週末に見頃を迎えるお花見が楽しみだ。(大阪の予想)



お花見のといえば。その名所の一つである大阪城でトライアスロンが行われるという。(今年6月25日の開催予定)

秀吉も家康も驚愕しそうだが、あのお濠で泳ぐらしい。水質的に大丈夫か?と心配になったりもするのだが、なんでもあの電通に運営権利を与えたことによるものだという。

さらに。大阪市内でいえば、天王寺公園の『てんしば』もそう。
近鉄不動産がトータルプロデュースを任されているが、利用者数が伸びているという。(年間120万人→420万人)

いいね。コンセッションという名の公的不動産活用。なんせ、国や地方公共団体は570兆円と言われるブツを持っているのだから。

大阪城もさらに変わるのかな。ふむ。公園内の桜は今年も変わらない麗しさを見せてくれそうだが、好きな場所がゆえ激しく期待したい。