合うか、合わないか。
突き詰めればこれしかないのではないか、と個人的に考える絶対的基準の一つである。
というのは、善悪の判定とは極めて難しい。よっぽどのことを除けば、正しい間違いという類もそうだ。
さらに、主観や感情、その時の状況や立場次第でも偏るし、物事とはそこまで単純ではなく二項対立的でもない。
ようするに、どれも『間違いではない』というジャンルに在ると思うのだ。
ゆえに、軋轢が生じる原因になる気がしてならない。この類の基準をもってすれば、マウンティングし合うような。いつまでも並行するような。何かとストレスを抱くような。なんせ、普通という感覚ですら十人十色なわけで。
合うか、合わないか。
誰もが持つ五感や第六感が教示してくれそうだが、平穏に、心地良く、楽しく、そう生きるための一つの知恵だと思う次第である。
もちろんのこと、折り合いや調和も大事に違いないが、これまた合うか合わないかが物を言うような気がしてならないのである。そもそも論として。
人ひとりの持つあらゆる資源とは有限である。
いつか死を迎えるまでだ。
ならば、合うという関係性、環境の中で過ごしていきたいものである。