物事とは、万華鏡の如くである。
どう捉えるか。自覚するか。認識するか次第で、こう無限的に変幻するのだから。
それゆえ大変面白く、美術品のような趣きもある。そして、厄介なものでもある。
たとえば、『価値』。
最高の食材、名の知れたコック、妥協なきこだわり、洗練された店舗、スタッフがいるレストランは、どうなるだろう。
まず、店舗側から眺めれば、『高い価値がある』と自負するはずだ。
『あまから手帖』などのグルメ雑誌、あるいはグルメサイトはどうか。ステークホルダーであり、スポンサーを否定するはずがないわけで、これまた『価値がある』と伝えるだろう。
一方、生活者側はどうか。
『高い料金を払ってまで食べようとは思わない』となれば、『価値はない』と傍観することになる。
しかし、周りにいる人たちの声によっては違う判断をするかもしれない。『行く価値があるよ』と、口々にされれば。
ようするに、万華鏡の如くなのだ。
人は自己中に考えるものだ。良くも悪くも。
なので、『自分にとって関係があること、良いこと』には価値があると捉え、認識する。そういうクセ、傾向があるだろう。(もちろん、人によって違うわけだが)
そして、そう認識した人は節約を厭わず、何が何でも行きたいという強い意志を持つはずだ。前述のレストランであれば。
ということは、生活者が覗き見た万華鏡の姿を描写し、考え、伝えないと『価値を共有できない』と言える。つまり、『行かない、買わない、利用しない』という無関心的な現象だ。
巷には企業(店舗)が見た万華鏡の姿が溢れている。当たり前だが、企業自体には意思も自覚もなく、そこにいる人たちが覗き込んだものを映し出しているわけだが。
とはいえ、ふむ。物事を無限的に変幻できるとは誰もが持つ知性、知恵、能力でもある。それまたビジネスのフェアさであり、面白いところだろう。
そう。誰もが輝けるチャンスがあるのだから。目の前に。