失敗じゃない。
プロモーション、販促物という領域の殆どは『仮説というテスト』の上に成り立っているのだから。
いや、永遠に正解に辿り着くことはなく、そして、完璧なるは無き世界なのだから、そもそも失敗という概念は存在しないのだ。
たまに、問答無用的に『これが正解だ』となる人も見かけるが、根拠が乏しく曖昧すぎるものも多々ある。オール主観というか。
つまり、先入観か。経験則から来るものか。いや、意地やプライドなのかもしれない。が、そういうジャンルに属する類のバイアスが強化されているだけのことだろう。
とはいえ、それもまた人らしさなのだと思う。誰だって自分の都合に合わせ、思い込みたいわけで。自分こそが正しいと信じたいわけで。(もちろん『自分を信じる』とは、信念的な意味では大切だと思う)
ここで大事なことは、相手もまた生身の人間ということだ。生活者(お客さん)は、移り変わるのである。
感覚も、行動も、傾向も、距離感にしても。興味関心や感じる価値、合理性の定義、諸々にしてみても。
きっとあなたもそうだろうし、ボクもそうだ。例えるのならば春夏秋冬、四季の如く自然と流れていくことは当たり前なのだ。
更に付け加えるのならば、そのスピードは想像以上に速いわけだから、常に現実を直視、客観視しないと、気が付けばガラパゴス化的な。裸の王様的な。冬なのに半袖短パンで過ごすがゆえ風邪を引くような。そういうことにもなり兼ねないのだ。
やや話が二転したが、仮説とはテストである。
正解が分からないがゆえ、『こうしたら良いのでは』という単なる試行の連続だ。
具体的には、ある仮説を基にシナリオを何パターンか創り、それに沿いやってみるわけだが、そこで見えてくる諸々がある種の正解であり、次のヒントをもたらしてくれる。
その仮説自体を捨てた方が良いのか。あるいは、修正すれば良いだけなのか。どこをどう修正すれば良いのかというように。ようするに、それだけの話なのだ。
誰だって失敗はしたくない。もれなくセットで付いてくる嫌な感情、苦痛も味わいたくない。もちろん、ボクもそうだ。
とはいえ、失敗じゃないものまでそう捉える必要はないと思う。
いや、プロモーション、販促物という領域の殆どは『テスト』であって、失敗という概念自体が存在しないのだから。
なので、少しぐらい躓いたって自信を失うことはない。最初の数人のリアクションが薄くても焦り躊躇する必要はなく、『無難に。差し障りなく』と、慣れたやり方に形状記憶的に戻る必要もない。
大丈夫。あくまでもテストなのだからさ。
さ、明日は猛烈にデスクワーク。そして、夕方からの打ち合わせ。頑張ろう。全速力で。