聞き手に助けられる場合は、意外に多いのかもしれない。と、思う件。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんにちは。

名古屋へ向かっている。
忙しさアピールではないのだけれど、その後のスケジュール上、許された滞在時間は3時間ほどしかない。
なので、聞くチカラ全開でミーティングへ臨みたいと思う。




「聞く」とは、それなりのチカラが必要だと思っている。
普通に聞けば、どれぐらいだろうか。
場合によっては、大して理解できないかもしれない。
表面上だけを捉え、誤った解釈をしてしまうかもしれない。

さらに、聞き手が話し手を助けてあげている場面とは意外に多いのでは、と思ったりもする。

自身に置き換えてみても、そうだ。
話しながら整理が進むような場合がある。
その中で、本当に伝えたいことに気づくこともあるし、コトバとしてようやく表せることもある。

つまり、聞き手に助けてもらっているのだな、と感じたりもする。

「聞く」とは、聞き手が自論を述べる場ではない。
言わんされることを引き出してあげる場だと思っている。
それができて初めてその後がスムーズに進むと。
ま、当たり前だけどな。

というわけで、全神経を集中したい。
ふむ。気合をいれて行こう。
ではでは。ステキな週末を。