「誰がそれを聞きたがるのか?」自己主張とはカンタンではない、と思う件。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは。

「誰がそれを聞きたがるのか?」
そういう意味で、自己主張とはカンタンではない。

個人的には「永遠の課題」。
それぐらいに捉えている次第である。





いつの頃からか「SNS疲れ」というコトバが登場した。
これもまた、そのムズカシさに絡みそうだと思ったりする。

というのは、人はだれでも自己中心的。
脳科学的にも「人は自分の関心外には意識を向けない」。
と、明らかにされているわけで。

そういう中、facebookをはじめとするSNS上には「その人が見せたいモノやコト」が並ぶ。
さらにリア充的な、自慢話的な、そういう要素も加わっていたりと。

(話題のお店や可愛らしいスィーツ、高級ホテルや旅行など、投稿を目的とした消費スタイルも生まれているぐらいで)

もちろん、関心外は能動的に見なければ良いワケだけれど、そうはいかないモノもある。

たとえば、facebookのwall。
これには容赦なく見せつける強制力もあるわけだから。

さらに、実生活のつながり、コミュニティであれば、投稿者が望むアクションを察してあげるような機会も生まれやすいだろう。

つまり、自身の関心を問わず、何でもかんでも雨アラレのように降ってくる。
さらに、それらへのアクション。

この繰り返しによって脳が疲れてしまうのかもしれない。
いや、キャパを超えてしまうのかもしれない。

ソーシャル、SNSとは個人のためのモノ


リア充でも自慢話であっても、なにを投稿するにしても自由。

なので、「それはちょっと」というようなツッコミは「放っておけよ」的であり、余計なお世話でもある。

いっぽう、ネット上でよく見かける「どうでもいいね!」と、「いいね!」を揶揄した表現。
これまた言い得て妙である。

ということは、閲覧者への配慮。
そういうエッセンスを加えた、投稿という名の自己主張がよろしいのだろう。

ベタな言い方をすれば、だれかにとって何かしらのプラスを与えられる的な。
(すべての投稿に必ず、そこまではムズカシイだろうけれど)

SNSでの繋がりとは、人間関係を維持する方法のひとつ。
そういう要素もあることから、なおさら、と思ったりもする。

だれかが聞きたがって、知りたがって、見たがってくれる、そういう自己主張。
個人的には永遠の課題だけれど、たゆまぬというか、日々是精進でいきたいと思う。

ではでは。
ステキな週末を。