社会も人もすべてグレー色の上に立っている。絶妙なバランスが必要なんだろうな。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんにちは。

阪神高速神戸線を走る中、「メゾンなんとか」という名のマンションがチラっと視界に入った。

走り慣れた道なのに、はじめてその存在に気づいた。

尼崎の辺りだったかな。
「めぞん一刻」を連想させ、しばし懐かい感じに浸った。



「響子サンと五代クン」


あの当時を思い出すと、バランスに優れたユルさがあった。
そんな気がする。(といっても子供時分なのだが)

いい加減、適当という意味ではなく、スクール・ウォーズ的な。
どこか温かい感じ。

いつの頃からだろう。
何でもかんでも「コンプラ」。
そう略された名の定規や建前論が幅をきかせ始めたのは。

たとえ「相手のため」とすることさえもダメよ、となったのは。

もちろん、これはこれで必要なのだが、少々、神経質な感じ。
個人的にはどこか息苦しさを感じたりもする。

というのも、杓子定規や建前には冷たさも感じるしね。
ある意味、正義や正論もそうかな。
なので、ときには反発や抵抗を招いたりする。

建前ばかり言うな。
そんなのキレイごとだ。
あんたが言えた義理か。
はいはい、あなたの言う通りですよ。と。

だれもが少なからず棚に上げているワケで、付け入る余地はそれなりにある分、ややこしくもなったりする。


たとえとして適切じゃないかもしれないが、集団的自衛権もある意味ではそうかもしれない。

「国民の生命を守るため」という建前色が強すぎて、個人的にはどことなく気持ち悪さを感じた。

もちろん政治は建前論。
それを言わなきゃ始まらないのだが、あまりにも黒が強いグレー。そういう印象を受けた。

閣議決定の文言からしてみても「従来の個別的自衛権の範疇なんじゃ?」そう感じてしまったあたりもね。
(本音は地味に法整備の中で?)


「日本の存立、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」。
そう行使の条件を限定。


いずれにしても日本が誇る平和的信頼を自ら手放した気はする。
実際に戦地へ行く機会がないよう祈る気持ちでいる。


建前とは必ずしも悪役ではない


建前というと、どこか黒くネガティブ。
そういうイメージもあったりするのだが、その面ばかりではない。

たとえば、秩序を守るバランス役。
求められていることを知ろうとするバルーン役。
関係を保つ潤滑油などになったりする。

ようするに、ウマく回すための知恵。

社会も人もすべて白と黒を混ぜたグレーの上に立っている、と言っても良いかもしれない。

たとえば、プライベート、ビジネスを問わず、白が強すぎるグレーはどこかヒヤヒヤ。アブなっかしく思えたりもする。

揺るぎない信頼関係があるならともかく、その関係を壊してしまう可能性もある。

本意が伝わりきらず誤解を招いたり、鋭いがゆえ、そのシビアさに互いが耐えられないかもしれない。

組織やチームではあれば、悪い意味で和を乱すかもしれない。

なので、本田選手流にいえば「あえてね」。
黒が強すぎるのもワザとらしくて気持ち悪いし、これぐらいのグレー色が絶妙なのかもしれない。


そうそう。
女性が同性に対してキツイ発言をするときがある。
それを耳にするときも。(女性はコワい)

「カワイイ顔をしてても。純情そうにしてても、腹グロだよ」みたいな。

あみんのデビュー曲「待つわ」を連想してしまうが、たしかに、そんなものかもしれないね。
(1982年か、年季が入ってるな)

可愛らしいスマイルも振る舞いも、何もかも。
じつは建前かもしれない。

でも、それが真の姿。
「あえて」そう思い込む方が幸せなような気もする。

ではでは。

あ、今日は七夕なのね。
ステキな夜を。(といっても雨か)



「じつは健気で可愛らしい女の子なのよ」