ソーシャルメディアとは、ある意味で究極の自己啓発ツール | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪


ノートPCを片手に打ち合わせです。
(べつに片手に持つ必要はないのですが)




    「顔の一部を隠すと良く見えるんですよ。

     と言われ、真に受けてみた図(笑)」



さてさて、話題はホームページというツールであり
コンテンツを活かすためのソーシャルの役割。


たとえば、海に浮かぶ小島で商売をしようとするとき、
そこまでの移動手段がなければ、誰も来てくれませんよね。


その最善の方法は橋かもしれないし、船かもしれない。
または飛行機かもしれません。



いずれにせよ、小島と陸を結びつけるモノが必要です。


もちろん、たんに繋げるだけでは不十分で
「その小島に行きたい!」

と、人々に思ってもらえなければなりません。


その役割をソーシャルに見立て、アレコレと知恵を絞っていたワケです。



さて、その中でこんな話題に。
「ソーシャルって、ある意味で究極の自己啓発ツールだよね」と。


というのは・・・
アウトプットをするためには、考えることが必要です。
そうしないとコトバにはできませんからね。


つまり・・・
インプットした情報をもとに
自らの頭で感じ考えながらアウトプットする繰り返し。



インプットとは、書籍やニュース記事を読んだり、
だれかの話しや意見を聞いたり、景色を眺めてみたりなどなど。
そういう意味です。


いずれにしても「アウトプットしたモノ」を

ネット上で誰もが見れるとなれば、その眼差しは興味深く真剣になります。



そして、もうひとつ。


ソーシャルを使うと他の人のソーシャルにも興味が湧いて

見るようになります。


すると、いかに無知であるか。井の中の蛙か。考えが浅いか。
そういうことを思い知らされるときがあります。



以上のことから

「ソーシャルは、ある意味で究極の自己啓発ツールだ。」

となったワケです。



たまに「文章を書くのが苦手で」という理由から
ソーシャルを敬遠する人もいますが、

気にする必要はありませんよ。


頭の中にあることは「書く」ことができますからね。