一方的ではなく、交流したり対話をすることが、ますます主流になるんじゃ!? | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪


「今日でお正月休みも最終日だ」という人も
たくさんいらっしゃるでしょうね。


「あぁ~、明日からメンドクセ~」
なんて言わずに、お互いガンバリましょ♪


「えっ?言ってない?」それは失礼しました(笑)



さてさて・・・
昨日の記事のつづきです。


「大衆とか大多数とか、そういう括りでは
 もう都合良くコントロールできないんじゃないか。」


そういうハナシです。



その理由は・・・
インターネットとソーシャルメディアの存在が大きい。
と思うから。


というのは・・・
誰でもこれだけ自由に発言や表現できるということは、
「だれがどう考えているか?」知ることができるワケです。



たとえば、だれかのソーシャを見れば
その人が「なにを考え、物事をどう捉えているのか?」


あるいは、「どういう思想の持ち主なのか?」
そういうことが良く分かりますからね。



つまり、「隣のヤツの本音が分かる。」とは・・・


「あっ。こういう考え方の人って、けっこういるんだな。」
「オレ(ワタシ)だけじゃないんだな。」
「もっと自信を持ってイイんだな。」


などなど、心強かったりするんじゃないか、と。




      「それは建前?本音?」



その他にも・・・
不特定多数の人が「あるテーマ」でつながることができること。

これも大きいと思う。



たとえばですが・・・
チュニジアでのジャスミン革命から
エジプトなどにも広がった、アラブの春(民主化運動)。


このときは、FacebookやYoutube、Twitter、WikiLeaksといった
メディアでつながり、大きなエネルギーを持ちました。



また、「電車男」を代表とする

ソーシャル発のドラマも同じようなことが言えますよね。


これもたくさんの人が参加するコミュニティが

原動力になりましたから。



そう考えていくと、日本の政治も同じですよね。


「一議員なんかにできることには限界があるんですよ。」
という政治家のセリフを聞くときがありますが
そんなに肩を落すこともないと思う。



たとえば、国民と本気で対話をしようと
政治コミュニティをつくってみたら・・・
その場で政策や法案について対話をしたら・・・
お互いの理解が進みそうです。


また、ボクら国民にとっても、1票の投票どころではない
参加者意識が高まりそうですしね。



さらに・・・
そのコミュニティの人たちから圧倒的な支持を得て
その政治家は社会の脚光を浴びる存在になるかもしれないし
総理大臣になるかもしれない。



そんな風に考えていくと・・・


大衆とか大多数とか、そういう括りでは
もう都合良くコントロールできないんじゃないか。


そんな時代はもう終わっているんじゃないか。

と、思うワケです。



むしろ・・・
「参加したいんだ!」と、意思表示する人たちと

交流できる場をつくったり対話をすること。


そういうことが「いまの流れの中心」に
あるような気がしています。



そして、今年はますます・・・

そういう思考でありスタンスが主流になりそうだ。


と、昨日からそういうことを考えていた次第です。