お客さまは神サマではありません。どっちも平等な関係なのです! | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪


「年末って、こんなに寒かったか?」
というぐらい冷えますね(汗)


風邪をひかないよう、あたたかくしてくださいね♪



さてさて・・・
最近読んでいた本、「接客は利休に学べ/小早川護さん」
を読み終えました。




  「もてなしの極意は自由と個性なり」



この本を読もうと思った理由は、
「利休」というコトバに惹かれたからなんです。


というのは・・・

ボクもいちおうですが、
幼い頃から茶道に触れていたんですね。



なので、懐かしさというか、心地良さというか、
そういう感情が自然と湧き起ります。


でも、「触れていた」といっても・・・
おふくろが茶道の先生をしていたため、

問答無用で参加させられていた。


コレが正しい(笑)



いや・・・
大好きな和菓子を食べられるので、

そのためだけに参加していた。


コッチの方がもっと正しい(笑)


つまり・・・
触れたと言っても「習ったうちに入らない」。
これが最適な表現です(笑)



さて、「もてなす」とは日本の良い文化のひとつですよね。


効率とか合理的、あるいは、マニュアルに頼った自動的な思考、
そういうコトバとは対極的にある。


というか、システマチックとは似合わない

「温かな心」ですからね。



この本の中では・・・
相手をひとりの人として大切にする、

そういう心とは「対等な関係」から生まれる。

と書いてあります。




   
    「もてなしの心とは対等の関係から」




こんな具合です。


「茶の世界」では身分の上下もなく、みんな平等です。


だから・・・

茶の世界を踏襲している接客もまた、みんな平等なんですよ。と。


また・・・
お客さまの方が目上だなんて、考える必要はない。

むしろ、そういう態度を取るから自分の方が上なんだ。
と、勘違いをする。


と、つづいていきます。



たしかに、その通り。


いつの頃からなんでしょうね。
「お客さまは神様だ」なんて信仰じみたことをし始めたのは。


もしかして、三波春夫さんの「名セリフ」がキッカケかな?
でも、三波春夫さんは、こう説明されているんですよ。


======================================================


「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、
 雑念を払って、心をまっさらにしなければ
 完璧な藝をお見せすることはできないのです。


 ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。

 また、演者にとってお客様を歓ばせるということは

 絶対条件です。
 

 だからお客様は絶対者、神様なのです」


======================================================


つづいて・・・


「ワタシの歌を聞きたいんだ!」と言って
 客席に座っている人を「お客さま」と呼んだだけであって、
「商売のお客さま」とは違います。


だから誤解のないように・・・と。



まぁ、これは余談ですが・・・


お客さまを下から見上げるのでもなく、

上から見下すのでもなく、
同じ位置から「ひとりの人」として思いやる。


心を込めて相対する。

これが丁度イイかと考えます。



だから・・・
上からモノを言ってきたり、ケチをつけてきたり、
駆け引きじみたことをしてくる人は、お客さまでも何でもない。


だから心の中では相手にせず放っておきましょう(笑)



著者の小早川さんは・・・
「日本ならではの、もてなす精神」とは

利休の哲学によって生まれた。


それがいまもなお、文化として浸透しているんだ。
と、言われています。


たしかに「そう言われたら、そういうことなんだな。」
と、すべてを読み終えたいまは納得できた感じです。



そうそう。

「もてなし」といえば、東京オリンピックですね。


でも、そのためだけの
「お・も・て・な・し」にはなりませんように(汗)