みんなと一緒は安心?異端のススメ! | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪

最近読んでいた本、「異端のススメ」を読み終えました。




     「人と違うことを恐れるな!」



さてさて・・・
「小池さんと林センセイ?意外な組み合わせだな。」
と思ったのと・・・


この2人は「生きづらい現代を勝ち抜く極意」を
どう語るのか?
それを知りたくなり読んでみました。



内容は?というと・・・
最初から最後まで「異端」をキーワードにした対談が続きます。


異端児時代の到来!異端たれ日本人!
異端のススメ!異端な改革論!という具合に。



でも、小池さんのイメージが変わりましたねぇ。
一部ですが、こんな風に語られているんです。


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異端か?正統か?

それを決めるのは「時代」以外の何物でもない。
その時代に、どちらが大勢を占めたか?だけの話である。


ガリレオ・ガリレイの地動説は当初は異端扱いされたが
いまでは天才の代名詞だ。


暑くても取れなかったネクタイも
地球温暖化対策の掛け声ひとつで堂々と外せる時代となった。


わが国は世界の中でも同質社会と言われる。
他の人と同じであることで心の安泰を見出しがちである現実は
否定できない。


同質性が戦後日本の高度成長をけん引してきた。
バブル経済もしかりである。


みんなと同じことをしていれば安心、
という集団心理学的現象である。


しかし、いったん流れが変われば、話は変わる。
ただ、「隣の人と同じ」であることだけでは、

なんの保証もない。


よい時はよいが、まずくなれば、みんなで奈落の底。
デフレ経済も「みんなで貧しくなれば、仕方がない」で
15年の月日が流れた。


異端であることは、時代の先取りであり、時代のイノペーターである。


意識的であれ、現実に迫られた結果であれ、
人と違う一歩を踏み出す小さな勇気があなたを、
そして日本を動かす動かすかもしれない。


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「えっ?小池さんって、もともとそういう人だよ!」
という人はゴメンナサイね。

ボクはだいぶイメージが違ってました。



いっぽう・・・
「林センセイは?」というと、イメージ通り(笑)

一部をご紹介すると、こんな感じです。


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自信の根拠について
「前にこうやってきたから、今度も絶対にうまくいく」
という人がいます。


でも、そのような自信には根拠がありません。


たとえば、予備校の場合、どんなに人気があっても
毎年同じ説明を繰り返すような講師は間違いなく消えていくんです。


「オレのこの説明に生徒はついてきた」
と思っても、それを聞く生徒はどんどん変わっていきます。


つまり、受容器は変化してしまうんです。


それなのに、同じ説明を繰り返していれば
通用しなくなるのは当然のことなのです。


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うん。イメージ通りだ(笑)



お二人ともに・・・


「意味もなく大勢に従うな」、
「時代は流れているんだから、

 みんなと同じやり方が正解だと思うな」


というようなことをたびたび本の中で言われていますが、

その通りだと思う。



たしかに「みんな一緒に良くなろう。」
という時代が過去にはありました。


それはそれで良かったんだと思います。
それがウマく機能したワケですからね。



でも、いまは時代が変わり、明らかに違う。
それを拠り所としても、どうもウマくいかないことが多い。


だから、「みんながどうこう」というよりも
「自分は?」そういう思考が何にしても大切だと思う。


ただ、闇雲に人と違うことをすれば良いのか?
というと、それはそれで違う感じがするんですね。



じゃあ、どうすれば?というと・・・
あまり複雑に考えずに、常識という枠を外してみて、
「原点や本質、道理」といったことを軸に考えてみる。


そして「いまの流れに乗る」。
ボクの場合は、こんな風に感じています。



ちなみにですが・・・
林センセイがこう語られている部分がありました。
「胡散臭い7人のうちの1人に選ばれた。」と。


ただ、つねに少数派とは、
「胡散臭い」とか「変わってる」などと呼ばれがちですよね。

それをしている人は少ないワケですから。



だけど・・・
「少数派=間違い」というワケではなく
「大数派=単にみんなが見慣れた光景=なんか安心」

それでしかない。


だからなのか・・・
大数派が改革を唱え、その行動をしたり、

時代の先端を走っている場面をあまり見たことがない。



つまり・・・
「少数派」、「胡散臭い」、そういう中からしか

新しい考えや発想は生まれてこないのではないか?

イノベーションは起こらないのではないか?と思えます。



「異端か?正統か?
それを決めるのは「時代」以外の何物でもない。
その時代に、どちらが大勢を占めたか?だけの話である。」



この小池さんのコトバに激しい共感を覚えていた次第です。