多崎つくるの身体にはひどく繊細な感覚を持つ箇所がひとつある。それは背中のどこかに存在している。自分では手の届かない柔らかく微妙な部分で、普段は何かに覆われ、外からは見えないようになっている。しかしまったく予期していない時に、ふとした加減でその箇所が露出し、誰かの指先で抑えられる。すると彼の内部で何かが作動を始め、特別な物質が体内に分泌される。その物質は血液に混じり、身体の隅々にまで送り届けられる。そこで生み出される刺激の感覚は、肉体的なものであると同時に心象的なものでもある。

 

 

最初に沙羅に会ったとき、どこかから延びてきた匿名の指先によって、その背中のスイッチがしっかり押し込まれた感触があった。

二人で長く語り合ったが、内容は忘れたが、背中のハッとする感触と不思議な刺激は強く記憶にあるのだった。しかし形を持たないものごとに考えを巡らすことは、彼のもともと不得手とするところだった。【最初の導入部分なので、「これは大胆なSFの村上作品?」と思ったけど、結局この部分が後で取り上げられる箇所はなかったのです。多分、沙羅に一目惚れしたということを象徴するフィクション話でしょうね】

 

そこで、つくるはメールを送り、彼女を食事に誘った。

「その感触と刺激の意味」を確かめるために。しかし、実際は沙羅から意外な方向に話が進められ確かめることはできなかった。

 

つくるは薄いハイボールを静かにすすりながら、

「それが起こったのはもう大昔のことだし、できることならそんな記憶は消し去ってしまいたかった」と話すと

それに反して、沙羅は、なぜかつくるの高校時代の仲良し五人組のグループの話を聞きたがった。

「カラフルな四人と色を持たない多崎つくる。」

 

つくるは高校時代に所属していた当時、五人組に組み込まれたことを嬉しくかつ誇らしく思っていた。

が、自分がいつかその親密な共同体からこぼれ落ち、あるいははじき飛ばされ、一人あとに取り残されるのではないかという怯えを、彼は常に心の底に持っていた。みんなと別れて一人になると、暗い不吉な岩が、引き潮で海面に姿を現すように、そんな不安がよく頭をもたげた。

 

高校時代の具体的な質問を沙羅からしつこくたずねられた。

そして、四人の友人たちからある日、「我々はみんなもうお前とは顔を合わせたくないし、口を聞きたくもない」と告げられた。理由は一切説明してもらえなかった。原因を探るとか、誤解を修整するとかいう以前に、つくるはうまく立ち上がれないくらいに大きなショックを受けていた。

「自分の中で何かが切れてしまったような気がした。真相がどのようなものであれ、それが僕の救いになるとは思えなかった。そういう確信のようなものがあった。」と語った。

 

そして、大学二年生の7月から翌年の1月まで自らの命を絶つことは彼にとって、何より筋の通ったことに思えた。「あの時死んでおけばよかったのかもしれない」とつくるはよく考えた。

 

沙羅:「あなたは東京で一人も友だちを作らなかったの?」

つくるは「うまく友達が作れなかったんだ。どうしてか」と答えているが、それはストーリーの中を読めばおかしいだろうと気づく。

 

というのも実際、大学で友達になった「灰田文紹」という男と知り合い、つくるの部屋に来るようになっているはずなのだ(これも幻とかフィクション話でないのなら)。

 

灰田の趣味の一つがクラシック音楽鑑賞で、好んで聴くのは主に器楽曲と室内楽と声楽曲だった。そして、あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つくるは気づいた。題名は知らない、作曲者も知らない、でも静かな「哀切」に満ちた音楽だ。つくるは読んでいた本のページから目を上げ、これは何という曲なのかと灰田に尋ねた。

 

「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』」です。「一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば『田園風景が人の心に呼び起こす、理由ない哀しみ』」

 

つくる:「僕の知っている女の子がよくその曲を弾いていたな。高校生の時クラスメートだった、上手下手は判断できない。でも耳にするたび美しい曲だと思った。なんて言えばいいんだろう?穏やかな哀しみに満ちていて、それでいてセンチメンタルじゃない」」

 

つくるは、この曲を演奏しているシロの姿が彼の脳裏に、びっくりするほど鮮やかに、立体的に浮かび上がってきた。後ろに端正に束ねられた彼女の黒い髪と、譜面を見つめる真剣な眼差し。鍵盤の上に置かれた十本の長く美しい指。ペダルを踏む二本の足は、普段のシロからは想像もできないような力強さを秘め、的確だった。そしてふくらはぎは釉薬が塗られた陶器のように白くつるりとしていた。何か演奏してくれと頼まれると、彼女はよくその曲を弾いた「ル・マル・デュ・ペイ」。田園が人の心に呼び起こす理由のない哀しみ、ホームシック、あるいはメランコリー。

 

名古屋での日々は次第に過去のものに、いくぶん異質さを感じさせるものになっていった。それは間違いなく、灰田という新しい友人がもたらしてくれた前進だった。

 

【私は『ル・マル・デュ・ペイ』が結びつけた、3人=つくる・シロ・灰田の関係がこの小説のタイトル「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」であるところの「彼の巡礼の年」に収斂されていると思うのです。つまり、つくるの関係した『ル・マル・デュ・ペイ』が、まさしく「彼」の「巡礼の年」になるのではないかと考えました。】

 

「彼らは二人とも、ある時点でつくるの人生から去っていった。その理由も告げず、どこまでも唐突に。いや、去っていったというのではない。彼を切り捨て置き去りにしたという方が近いだろう。それはいうまでもなくつくるの心を傷つけたし、その傷跡は今でも残っている。でも結局のところ、真の意味で傷を負っていたのは、つくるよりはむしろその二人の方だったのではないか。俺は内容のない空しい人間かもしれない」とつくるは思う。

「しかしこうして中身を欠いていればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見出してくれた人々もいたのだ。つくるは自分が空虚であることをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。」とつくるは回想しています。

 

【ストーリー的には沙羅との恋の行方が気になりますが、沙羅と『ル・マル・デュ・ペイ』とは結びつく箇所は全くなく、ここから「彼の巡礼の年」からすると彼女は小説の華ではありますが、結局は脇役にすぎないのではないかと思います。つくると沙羅の関係がどうなろうと小説の主題からすればどうでもいいことのように思えてきます。】

 

さて、そんなある晩、つくるは不思議な性夢を見たのだ。

それまでにも、四人から絶縁されて以来、何度もシロとクロと交わる性夢を見るようになっていた。

 

その日の夢でもいつも同じ年代の16歳か17歳のシロとクロが生まれたままの姿でベッドの中にいた。つくるも全裸だった。そして彼の両脇にピタリと寄り添っていた。二人の乳房と太ももは、つくるの身体に押しつけられていた。二人の肌の滑らかさと温もりを、つくるは鮮やかに感じ取ることができた。そして彼女たちの指と舌先は無言のまま、つくるの身体を貪るようにまさぐった。

女たちの指先は優しく細く、繊細だった。四つの手と、二十の指先、それらは闇から生まれた視覚を持たない滑らかな生き物たちのように、つくるの全身を隈無く徘徊し、刺激した。そこには彼がこれまでに感じたことのない激しい心の震えがあった。手足は痺れたままで、指一本持ち上げることができない。女たちの肉体がつくるの全身にしなやかにまとわりつき、絡んだ。クロの乳房は豊満で柔らかだった。シロのそれは小ぶりだったが、乳首は丸い小石みたいに堅くなっていた。長い執拗な愛嫵の後で、彼女たちのうちの一人のヴァギナの中に彼は入っていた。相手はシロだった。彼女はつくるの上にまたがり、彼の硬く直立した性器を手にとって、手際よく自分の中に導いた。それはまるで真空に吸い込まれるように、何の抵抗もなく彼女の中に入った。それを少し落ち着かせ、息を整えてから、彼女は複雑な図形を宙に描くようにゆっくり上半身を回転させ、腰をくねらせた。普段のシロからは考えられない大胆な動きだ。

そして、シロにとってもクロにとっても、それは極めて当然な物事の流れであるようだった。愛撫をするのは二人一緒だが、つくるが挿入する相手はシロなのだ。なぜシロなんだろう?

そのさきを考える余裕もなくシロの動きはだんだん速く、大きくなった。彼はシロの中に激しく射精していた。しかし、不思議なことに射精を実際に受け止めたのは、なんと「灰田」だったのである。

射精したあとも、つくるの勃起は収まらなかった。シロの温かく湿った性器の感触はまだ生々しくそこに残っていた。まるで現実の性行為を体験した直後のように。夢と想像との境目が、想像とリアリティの境目がまだうまく見きわめられない。その間ずっと彼の頭にはシンプルな一つのメロディーが繰り返し流れていた。

それがリストの「ル・マル・デュ・ペイ」の主題であることに思い当たったのは、あとになってからだった。巡礼の年、第一年、スイス、田園の風景が人の心に喚起する理由のない哀しみ、ホームシック、あるいはメランコリー。

 

その後、灰田の存在が突然途絶えてしまう。その空白(すなわち彼とのさまざまな会話・軽やかな笑い声・彼の好きな音楽・独特のユーモアや的確な引用・彼のつくる食事・おいしいコーヒーで満たされていた)を、つくるは日常生活の中に見出すことになった。つくるはその年下の友人を、おそらく他の何にも増して必要としていたのだ。

 

一方、つくるから灰田に一体何を与えることができただろう?

おれは結局のところ、一人ぼっちになるように運命付けられていたのかもしれない。人々はみんな彼の元にやってきて、やがて去っていく、彼らはつくるの中に何かを求めるのだが、それがうまく見つからず、見つかっても気に入らずあきらめて(失望または腹を立てて)立ち去っていくようだ。彼らはある日、出し抜けに姿を消してしまう。説明もなく、まともな別れの挨拶さえなく、温かい血の通っている、まだ静かに脈を打っている絆を、鋭い無音の大鉈ですっぱり断ち切るみたいに。自分の中には根本的に、何かしら人をガッカリさせるものがあるに違いない。「色彩を欠いた多崎つくる」と彼はいった。

 

その夜、つくるは不思議な夢を見た。それは激しい「嫉妬」に苛まれるという予知夢(のちに現実化するのだが)だった。

自分が恋焦がれている女性が、他の男の腕に抱かれていると知った時に感じる感情。羨ましさ、妬ましさ、悔しさ、やり場のないフラストレーションと怒り。

その夢の中では一人の女性を何より強く求めていた。夢の中の彼女は特別な能力があり、肉体と心を分離することができる。「肉体か心のどちらか一つならあなたに差し出せる」と彼女は言う。「でも両方は手に入れられないのでどちらかを選んでほしいの。もう一つは他の誰かにあげることになるから」と女は言う。しかし、つくるには両方必要なので、身体が悲鳴を上げることになった。

 

これが「嫉妬」というものだと初めて理解した。そして直感したのは、女の身体か心のどちらかまたは両方を誰かが彼の手から奪い取ろうととしている。嫉妬とは、世界で最も絶望的な牢獄だった。つくるの心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさしく嫉妬の本質なのだ。

この夢はいったい何を意味しているのだろう?

予告なのだろうか、それとも象徴的なメッセージなのだろうか、それは何かを自分に教えようとしているのだろうか?

 

かつて、夜に見た不思議な夢で「嫉妬」の感情をを生まれて初めて体験した。そして夜が明けた時、死の直前まで行った5ヶ月にわたる暗黒の日々をやり過ごしていた。

多分、夢というかたちをとって彼の内部を通過して行った、あの焼けつくような生の感情が、それまで彼を執拗に支配していた死への憧憬を相殺し、打ち消してしまったのだろう。あとに残ったのは「諦観」に似た静かな思いだけだった。それは色を欠いた、凪のように中立的な感情だった。

 

空き家になった古い大きな家屋につくるは一人ぽつんと座り、巨大な古い柱時計が時を刻む虚な音にじっと耳を澄ませていた。口を閉ざし、目を逸らすことなく、針が進んでいく様子をただ見つめていた。そして薄い膜のようなもので感情を幾重にも包み込み、心を空白に留めたまま、一時間ごとに着実に年老いていった。

 

四人組から絶縁される以前とは、いろんな意味合いで、少し違う人間になってしまったとつくるは思う。例えば自分が他人にとって取るに足らない、つまらない人間だと感じることが多くなったかもしれない。沙羅は「あなたは取るに足らない人間でもないし、つまらない人間でもないと思う」と言ってくれたのに・・・。

 

名古屋から戻って沙羅に報告しようと、夜の7時に彼女の携帯に電話を入れたが、

留守電になっていたので伝言を入れておいた。沙羅から折電があったのは翌日の昼だった。

そして、会う約束をした後で、胸に微かな異物感が残っていることに気付いた。改めて沙羅の折電の話の内容、彼女の声の印象、間合いの取り方、そこには何か違う点は見出せなかった。そしてその時には食欲も失せていた。

 

名古屋での報告をした沙羅と別れた後、暗い妄想癖を抑えきれなくなる。「俺の中には、何かしら曲がったもの、歪んだものが潜んでいるのかもしれない。俺には表の顔からは想像もできないような裏の顔があるのかもしれない。その暗い裏側はやがていつか表側を凌駕し、すっぽりと呑みこんんでしまうのかもしれない。(この話は、「騎士団長殺し」に出てくる「白いスバルフォレスターの男」に似てような気がしたのである)

 

 

 

 

別れたあと、考えに耽りながら、沙羅がどんなことを考えているのかわからないし、自分が考えていることを沙羅に話すわけにはいかなかった。何があろうと自分以外には出せない種類の物事がある。帰りの電車の中でつくるの頭の中にあったのはそういう事柄だった。

 

つくるは、翌日の朝、プールで泳ぎながらおおむね沙羅のことを考えていた。彼女の顔を思い浮かべ、彼女の身体を思い浮かべ、彼女とうまく一体になれなかったことを思った。「あなたの中で何かがつっかえていて、それが自然な流れを堰き止めているのかもしれない」と彼女は言った。そうかもしれないと、つくるは思う。

 

沙羅は彼が求めている数少ないものの一つだ。まだ揺らぎのない確信を持つところまではいかないが、彼はその二歳年上の女性にかなり強く心を惹かれている。彼女に会うたびに、その思いは強いものになっていった。そして今では彼女を手に入れるためにはいろんなものを犠牲にしてもいいと考えている。そんな強い生の感情を抱くのは、彼としては珍しいことだった。それでもーどうしてだろうーいざとなるとことは順調に運ばない。何かが現れて流れを阻害することになる。「ゆっくり時間をかければいい。私は待てるから」と沙羅は言った。でも話はそれほど簡単ではないはずだ。人は日々移動を続け、日々その立つ位置を変えている。次にどんなことが持ち上がるか、それは誰にもわからない。

 

ヘルシンキに経つ前に、沙羅からの誘いを断り、旅立つ数日前に偶然、沙羅と男が楽しそうに笑いながら腕を組んで歩くところを見せつけられる。

その直後にはひっそりとした哀しみだけが残った。胸の左側が、尖った刃物で切られたようにキリキリと痛んだ。生暖かい出血の感触もあった。多分それは血なのだろう。そんな痛みを感じるのは久しぶりのことだ。

 

大学二年生の夏、四人の親しい友人たちに切り捨てられて以来かもしれない。彼は目を閉じ、水に体を浮かせるように、しばらくその痛みの世界を漂っていた。痛みがある方がまだいいのだ、彼はそう考えようとした。本当にまずいのは痛みさえ感じられないことだ。

さまざまな音が一つに混じり合い、耳の奥できんという鋭いノイズになった。それはどこまでも深い沈黙の中でしか聴き取ることのできない特殊なノイズだ。外から聞こえて来るものではなく、彼自身が臓器の内側から生み出している音だ。人は固有の音を持って生きているのだが、実際にそれを耳にする機会はほとんどない。つくるが目を開けた時、世界の形がいくらか変化してしまったように思えた。

 

全てがほんの少しずついびつに歪んで見えた。その輪郭はあやふやで、正しい立体感を与えられていないし、縮尺も間違っている。彼は何度か深く呼吸をし、少しずつ気持ちを落ち着けた。

彼が感じている心の痛みは「嫉妬」のもたらすものではなかった。「嫉妬」がどういうものかつくるは知っていた。一度だけそれを生々しく体験したことがあるが、その時の感触は今でも身体に残っている。どれほど苦しいものか、どれほど救いのないものかもわかっているが、今感じているのは、そのような苦しみではなかった。

 

彼が感じるのはただの「哀しみ」だった。そこにあるのは「物理的な痛み」にすぎないので、つくるにはそれがありがたかった。

 

つくるにとって大きなショックだったのは、沙羅がその時、心から相手の男に嬉しそうな顔をしていたことだった。顔全体で大きく笑っていたのだ。

つくるといるときには開けっぴろげな表情を顔に浮かべたことはなかった。紗羅がつくるに見せる表情は、いつも涼しげにコントロールされ、そのことが何より厳しく切なくつくるの胸を裂いた。

 

フィンランドへの旅支度のあと。部屋で、静かなメランコリックな曲である「ル・マル・デュ・ペイ」を聴いていると忘れようとした沙羅が思い出された。激しい痛みではないが胸の疼きが蘇ってきた。あくまで痛みの記憶だった。そこでつくるは自分に言い聞かせた「しかたないじゃないか、もともと空っぽであったものが、再び空っぽになっただけだ。誰に苦情を申し立てられるだろう?みんなが、つくるがどれくらい空っぽであるかを確認し、それを確認し終えるとどこかに去っていく。後には、空っぽの、さらにより空っぽになったつくるが再び一人で残される。それだけのことではないか。

 

それでもときにはささやかな記念品を残してくれる人もいる。

灰田が「巡礼の年」の箱入りレコードを残してくれた。つくるはその音楽を愛し、灰田につながることができている。

それはさらにシロにもつながっていたのだ。

散り散りになった3人の人間を一つに結びつける儚いほど細い血脈だったが、そこには今でも赤い生きた血が流れているのだ。音楽の力がそれを可能にしているのだ。彼はその音楽を聴くたびに、とりわけ「ル・マル・デュ・ペイ」のトラックに耳を傾けるたびに、二人のことを鮮やかに思い出すことになる。時には彼らが今も自分のすぐそばにいて、密やかに呼吸しているようにも感じられる。

 

フィンランドから戻った日に沙羅に電話をかけた折、留守電にメッセージを残さなかった。沙羅から折電があり、まずその点を叱責された。そこから、つくるは意図しないまま沙羅に他に男がいるような気がすることを仄めかしてしまう。

結局、沙羅は観念したかのように3日だけ時間が欲しい、さらに「その日に食事をしましょう。そしてそこでいろんなお話をしましょう。正直に。それでいい?」とつくるに伝える。

 

その夜につくるは長い奇妙な夢を見た。彼はピアノの前に座り、ソナタを弾いていた。ピアノの脇には艶のないタイトな黒いドレスを着た女がいた。その場所では、あらゆるものが白と黒のグラデーションで構成されているようだった。それ以外の色彩は目につかない。

ピアノ・ソナタは誰が作曲したものかはわからないが、とにかく長大な曲だった。全く初見の曲だったが、つくるは譜面を一見するだけで、そこに表現されている世界のあり方を瞬時に理解し、それを音に変えることができた。まさに目のくらむような素晴らしい体験だった。

しかし残念ながら、彼の前にいる聴衆はそのようには考えていないらしかった。彼らは退屈し苛立っているように見えた。彼らの動かす椅子の音や、咳払いの音が彼の耳に届いた。なんということだろう、人々はこの音楽の価値を全く理解していないのだ。彼らには、この音楽の優れた本質を読み取る能力を持ち合わせていないため、やがて人々のグロテスクなまでに増幅され誇張された騒音と咳払いと不満の呻きだけだった。

そして、つくるは楽譜を捲る黒衣の女性の手に指が六本あることに突然気がつくのだが、彼女が誰かはわからなかった。

【何か象徴的な夢ではないでしょうか。色彩のない世界で、つくるがピアノを弾くが、中身の空っぽの自分の弾く曲は聴衆を苛立たせるだけだった、また、六本指の女は、まるでシロと灰田がオーバーラップした存在であるかのようだ】

 

フィンランドでクロが「沙羅さんを手に入れなさい。君には彼女が必要なんだよ。どんなことがあっても手放しちゃいけない。君には欠けているものは何もない。自信と勇気を持ちなさい。君には必要なものはそれだけだよ」と言ってくれた。

しかし、つくるは沙羅が誰かの裸の腕に抱かれているかもしれない、いや誰かではなく、つくるはその人物を実際見ているのだ。そこで沙羅は幸福そうな顔をしていた。綺麗な歯ならびが笑顔の中からこぼれていた。こんな気持ちを抱えたまま生きていくわけにはいかないと、つくるは思った。たとえそれがあと三日のことで合ったとしても。

 

そこで、つくるは何気に沙羅に電話を入れてしまうのだった。

沙羅は、午前四時の突然の電話に迷惑そうだったが、「やれやれ、そんな時間が実際にあったことすら知らなかったな。ところで、どんな要件なの?」

つくる:「君のことが本当に好きだし、心から君を欲しいと思っている」【それよりまず、つくるは、「他に男がいるか」と沙羅に問いただしたことをまず取り消すべきではなかったのか?】

沙羅:「頭がうまく回転してないから。前にも言ったけどあと三日待ってくれる」

それに対して、つくるは「でも三日しか待てない」だった。

それでも沙羅は、最後に「おやすみ。安心してゆっくり眠りなさい」と言ってくれた。

 

それにもかかわらず、沙羅と約束した日の前日、唐突に彼女に電話して3回のコール音の途中で我にかえり受話器を置いてしまうという突拍子のない行為をしてしまう。

そして、ラザール・ベルマンの演奏する「巡礼の年」をターンテーブルに載せ針を落とし、その音楽に耳を澄ませたのだ。カティサークのグラスを傾け、スコッチ・ウイスキーの香りを味わいながら。

そこに突然電話のベルが鳴る、それが沙羅からであることは間違いない。受話器を取るべきか悩んだが、12回のコールが続く間つくるは迷っていた、ベルはやがて止み、沈黙が後に続いた。

再び音楽を掛け直し、それに集中した。

15分後にまた電話のベルが鳴ったが、つくるはまた受話器を取らなかった。

 

それなのに、つくるは思った「君の声が聞きたい。他の何よりも聞きたい」でも今は話すことができないんだ。

「明日、沙羅は俺ではなく、もう一人の男を選ぶかもしれない」目を閉じてそう思った。「彼女にとってはそれが正しい選択なのかもしれない。相手の男がどういう人間なのか、二人がどのような関係を結んでいるのか、どれくらい長くつき合ってきたのか、つくるには知りようがない。」

「言えるのは、つくるから今差し出せるものは、とてもわずかしかなく、それも限られた量と種類のものだ。そして内容は、取るに足らないものなので、本気で欲しがる人はいないだろう。」

 

「いずれにせよ、明日、沙羅がおれを選ばなかったら、俺は本当に死んでしまうだろう、現実的なのか比喩的に死ぬのか大して変わりはない。おれが死ぬことには変わりはない、色彩を持たない田崎つくるは完全に色を失い、この世から密かに消えていく。」

「でも大したことじゃない」とつくるは自分に言い聞かせる。実際に起こったとしても、それはただの物理的な現象に過ぎない。

曲が終わり、沈黙が降りる、それだけのことじゃないかとつくるは考える。

 

しかし、彼の心は沙羅を求めていた。「そんな風に、心から誰かを求められるというのは、なんて素晴らしいことだろう?」とつくるには、初めてのことのように強く実感した。

もちろん、全てが素晴らしい訳ではない。同時に胸の痛み・息苦しさ・恐れ・暗い揺れ戻しがある。

しかし、そのようなキツさでさえ、愛おしさの大事な一部となっていた。

 

フィンランドでクロが「沙羅を手に入れないと、もう誰も手に入れられないかもしれない」と言ってくれたことはその通りだろうけど、当然のことだが、つくる一人で決められることではない。与えるべきものがあれば、受け入れてくれるものがあるのだ。

 

そして、いずれにせよすべては明日のことだ。もし沙羅が俺を選び、受け入れてくれるなら、すぐにでも結婚を申し込もう。そして今の自分に差し出せるだけのものを、そっくり差し出そう。

全てが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ。

つくる:「僕らはあの頃(高校時代)何かを強く信じていたしいたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」

彼は心を沈め、目を閉じて眠りについた。実質的に小説はここで終わり、沙羅との行方は不明のままだ。

 

【残念ながらラストのつくるの行動からは矛盾しか見えてきません。沙羅と結婚したいという割には、彼女のことを思いやっているように見えるだけで自己中心的なわがままな思いが感じられてしまうのです。

ラザール・ベルマンの演奏する「巡礼の年」を、沙羅に唐突に電話した後に聴いていた訳ですが、その中の「ル・マル・デュ・ペイ」の「哀切」に満ちた楽曲は、シロと灰田との別離を意味していました、ここでこの曲が象徴しているのは沙羅とも別離が待っているともとれます、そしてこれが「彼の巡礼の年」を意味する訳です。

 

最後に私は、沙羅の付き合ってる他の男のことについては、村上春樹の難解な解釈はさておいて、やはりどう考えてもつくるの側には「嫉妬」があると思います。要は、愛情と嫉妬の間で苦しむ男のお話であまりにもチープです。これであれば沙羅のせいでは全くないわけだし、逆に彼女にそうさせているつくるの側の問題ということになるわけだし、結局は男女間のことを、つくるが如何様にしても変えられるわけではないものなのを理解しているようで理解していなかったようですね。

15年前の5ヶ月間にわたって生死の狭間を生きぬいたつくるが、最後に最愛だと心に決めた沙羅との破局が象徴されていたストーリーだったと私は思います。】