直近の衆院選で大勝した自民党、あまりにも酷い立憲民主党の無惨な敗退に、まさかここまでいくとは予想もしなかったであろう高市早苗も「うまいことババ(公明党)を引いてくれたわ」と小躍りしたことでしょう。

↑どうもこの顔をみると、漫画家・楳図かずお先生の蛇女を連想する、どう見ても爬虫類顔だろう(私だけの妄想)

 

高市のボスだった安倍晋三の遺言を実行しようと憲法改悪にまっしぐら、そこで日本の政治を壟断した安倍派の悪の系譜を遡ってみたい。

 

 

亡き安倍晋三の父親・安倍晋太郎(岳父に元内閣総理大臣の岸信介、義理の叔父は元内閣総理大臣の佐藤栄作)が1986年に清和会(安倍派)派閥の領袖となったのが1986年であった。

↑岸信介

 

そもそも、晋三の祖父・昭和の妖怪といわれた「岸信介」が安倍派を産むわけだが、安倍晋太郎にはしっかり派閥を維持することを言い付けてからというもの、岸のご威光は昭和・平成・令和にいたるまで引き継がれていくわけで、今後の日本もしっかりと呪縛しつづけることだろう。

↑岸信介と安倍晋太郎

まず、岸の集大成は、なんといっても「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の締結(新日米安保条約)です。

いうまでもなく敗戦国日本は平和憲法の中で「戦争放棄」を高らかに宣言してきたわけですが、安保締結時は、世界の共産主義との戦いが「日本列島をアメリカの浮沈空母として使用しましょう」と取り決めたのがこの条約なのです。

今、沖縄が米軍基地の問題で解決のつかない泥沼に陥っているのもそもそもはこれが発端なのであり、岸の置き土産は日本を今でも苦しめているわけなのです。

 

さて、敗戦後A級戦犯容疑者であった岸が東西冷戦の激化に伴いアメリカ・GHQの対日政策が大きく転換することで命拾いするのである。

アメリカ政府は日本を「共産主義に対する防波堤(日本人がどれだけ死のうが気にしないという考えは、B29による大量殺戮を行ったアメリカの考えらしく、基本的には今でも変わらない)」と位置づけ、旧体制側の人物を復権させたため、岸は戦犯不起訴となり、東條英機ら7名の処刑のなんと翌日の1948年(昭和23年)12月24日に巣鴨プリズンより釈放される(なんと悪運の強いことか)。

↑岸と佐藤栄作

拘置所で岸は、「侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある」として臨んだ。「

 

日本国憲法が発効した1947年には、日本を占領下に置いた連合国の主要国であるアメリカ合衆国の対日政策は、当時はじまっていた東西冷戦の中で日本を「反共の砦」とする方向に大きく舵が切られ始めていた。

岸は「真の日本独立を実現するためには、先ず保守合同で政局を安定させて、その勢いで政治的には『民族の魂が表現された憲法』を造って、自主防衛すべく、国民を守っていくために自立せねばならないのである。」と日本再建について述べた。

 

1955年(昭和30年)10月には左右両派に分裂していた日本社会党が再び合同したため、これに対抗して11月に新たに自由民主党が結成された。岸は同党の初代幹事長に、鳩山一郎は初代総裁に就任した。かくして「55年体制」が始まった。

 

そして岸信介が進めた新安保条約(60年安保)にはほとんどの日本人の「戦争」に対する拒否感が強かったことや、東條内閣の閣僚であった岸本人への反感があったことも影響し、「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの(令和の時代もなんら変わらんけど)」として、多くの市民が反対したのです。

↑東條内閣

 

その岸を援護したのが、電通の吉田秀雄朝日新聞社の笠信太郎らが主導した、在京新聞社7社である。1960年6月17日に共同で「議会政治を守れ」としたスローガンを掲げた社告を掲載した。この日は、警察側の暴力を不問にし、議論の本質を「暴力反対」にすり替えデモ隊だけを暴力として切り捨てたいわゆる「新聞が死んだ日」である。

 

結局、新日米安保条約を強行採決し、安保闘争を抑圧したが、総辞職に追い込まれた。

岸は首相退陣後も政界に強い影響力を保持し、日韓国交回復にも強く関与するわけで、 時の韓国大統領朴正煕もまた満州国軍将校として満州国と関わりを持ったことがあり、岸信介・椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫らとの旧満州人脈が威力を発揮した

なお、1963年、統一教会の熱烈な反共主義に目をつけた笹川良一は教団顧問となり、組織化に乗り出した。

 

1968年1月13日に統一教会教祖の文鮮明は大韓民国中央情報部(KCIA)の指示を受け、国際勝共連合を韓国で設立し、次いで同年4月1日、岸は文、笹川良一、児玉誉士夫らと協力して、日本でも国際勝共連合を設立した。

 

 日韓国交回復後、岸・椎名・瀬島らと日韓協力委員会を組織する。そして、日韓の反共政策を推進する過程で「統一協会」とも1973年(昭和48年)より親交を持ち「国際勝共連合」結成に協力、1984年(昭和59年)に関連団体「世界言論人会議」開催の議長を務めた際、米国で脱税容疑により投獄されていた教祖文鮮明の釈放を求める意見書をレーガン大統領(当時)に連名で送るなど、同教団が政界へ影響力を広げるにあたっての重要な役割を果たした。

 

1964年7月15日に統一教会は宗教法人の認可を受け、11月1日、教団本部を世田谷区代沢5丁目から、岸が女優の高峰三枝子に返却した渋谷区南平台町(当時)に移転。かつて首相公邸として使われていた建物は教団本部の建物となり、本部と岸の私邸は隣続きになった。信者たちは岸の私邸を訪れ始め、教団との密接な関係が生まれた[。教団本部が1965年8月23日に渋谷区松濤1丁目に移転してからも、岸は頻繁に統一教会の本部を訪れ、そこで教団が招いた韓国の国会議員や大学教授と面会することもあったという。

 

1973年4月8日、岸は教団本部を訪問、その当時の演説の内容は統一教会の公式文章で以下の通りに伝えられている。

ただいま、久保木会長から御紹介がありましたように、私はここへ今回から3度目だと思います。その前に実は、統一教会と私の奇しき因縁は、南平台で隣り合わせで住んでおりました若い青年たち、正体はよくわからないけれども、日曜日ごとに礼拝をされて、賛美歌の声が聞こえてくる。・・・

そうしたら・・・笹川君が統一教会に共鳴してこの運動の強化を念願して、私に、君の隣りにこういう者が来ているんだけれども、あれは私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君で、将来、日本のこの混乱の中に、それを救うべき大きな使命を持っている青年だと私は期待している。もっとも現在の数は非常に少なく、またずいぶん誤解もあり、親を泣かせるとマスコミも騒いでいる。そういう話を聞き、お隣りでもありましたので、聖日の礼拝の後に参りまして、お話したことがありました。人数もせいぜい二、三十人ではなかったかと思います。久保木君のお説教は・・・極めて情熱のこもったお話を聞きまして、非常に頼もしく私は考えたのです」と、この言葉こそ安倍晋三が祖父の築いた統一教会との因縁を守り続けた挙句に非業の死を遂げたというのは、なんとドラマティックなことだろうか。

 

 

1974年5月7日、統一教会の創始者の文鮮明の講演会「希望の日晩餐会」が東京都の帝国ホテルで開催され、名誉実行委員長は岸信介が務めた。岸の他に、安倍、福田赳夫大蔵大臣ら、40人もの自民党国会議員と財界の要人が出席した。なんとその場で福田は「アジアに偉大な指導者あらわる、その名は文鮮明」と挨拶したのだ。

岸は「どんなに良い人物でも、何もしないのでは仕方がない。ワルでも使い道によっては役に立つ」とかつて日本統一教会初代会長の久保木修己に語ったという。

1982年10月14日、統一教会がソウルの蚕室体育館で合同結婚式を開催した際に、岸は「天を中心とした理想と信念の下に教育しておられる。私が文鮮明先生を心より尊敬するゆえんであります」と書かれた祝電を送ったそうだ。

 

昭和54年の政界引退後も後継者の福田赳夫などを通じて自民党右派の象徴として政界に影響力を行使し、統一教会と連携して自主憲法やスパイ防止法の制定を画策した。また女婿の安倍晋太郎の首相就任を目指していた。

 

岸の言葉として「政治は力であり、金だ。」というものがある。岸内閣のころに金権政治の体質が始まったとする見方もあり、鳩山一郎は岸をさして「あんなに金に汚くてはいけない」と言っていたという。しかし岸は田中角栄の金の集め方を危険視しており、「金は濾過機を通せ」と語っていた。

金については、岸は緒方竹虎、正力松太郎などとともにアメリカ中央情報局(CIA)から膨大な資金提供を受けていた。岸に与えられたコードネームは明かされていないが、2007年に米国務省が日本を反共の砦とするべく岸信介内閣、池田勇人内閣および旧社会党右派を通じ、秘密資金を提供し秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めている。先に資金提供を要求したのは岸の方で、アメリカのアイゼンハワー政権は、一定の秘密資金援助や選挙のアドバイスを提供することをCIAに許可したとされ、この資金提供は1958年から60年代まで続けられていたという。

 

岸は死ぬまで自民党内でその影響力は衰えを見せず、事実上の安倍派(福田派)の元老であり、フィクサー、黒幕、昭和の妖怪とも呼ばれたわけだが、まさにその異名とともに、まさしく日本を戦前・戦中・戦後と自らの思うがままに国民を艱難辛苦に巻き込みながら、決して表向きにはその片鱗も見せることなく立ちまわった奇胎的人物であるといえる。

 

以上で明らかなことは、岸が築いてきた結果の清和会(福田派→安倍派)は、悪行三昧の統一教会にとって、なくてはならない日本政界の大きな楔であり続けてきたということだ。そして、それらを受け継ぎ高市は粛々と元安倍派の復活再生に邁進していくことだろう。