『絶望を希望に変える経済学』 アビジット・V・バナジー & エステル・デュフロ著 村井章子訳 (2020年4月17日第1刷)

 

 

 

第3章 自由貿易はいいことか?② (第3章は①から③まで)

 

 

①は、こちら

 

 

■   誰のための保護か

移動性の欠如にもかかわらず、リソースは最終的に移動する。そして輸出は、とりわけ東アジアの国々のめざましい躍進で主役級の役割を果たした。当時の富裕国が東アジアからの輸出を無邪気に歓迎したわけではない。

 

さまざまな基準や規則が輸入を締め出してきたことは、よく指摘されるとおりだ。たとえばカリフォルニアのアボカド農家はロビー活動を行い、メキシコ産のアボカドを1914年からなんと97年まで(カリフォルニア州だけは2007年まで)輸入禁止にすることに成功した。害虫の輸入を防ぐという理由からだが、メキシコは地続きで害虫はいくらでも自由に侵入できるのだから、理由にならない。

 

2008年に金融緩和が発生した際、食品医薬品局(FDA)が食品の安全性を理由に、発展途上国からの農産物の輸入を突然禁止した例がある。危機のせいで需要が減少したため、アメリカの生産農家にとっては輸入品を締め出すことが以前にも増して重要になったわけである。

 

そうは言っても、ほんとうに消費者の安全も守る基準(たとえば中国製玩具に鉛が含まれていたことがある)や、環境保護基準 (作物に対する農薬の使用など)、労働基準(児童労働の禁止など)が存在することは事実だ。多くの著名ブランドも、最近では規制を上回る独自の品質基準を守っていることを謳うようになった。こうした流れは、輸入品の参入を一段と困難にすると言えよう。

 

 

■   評判という高いハードル

第二の中国をめざす発展途上国にとっては、富裕国へ輸出する際の高いハードルがもう1つある。それは、グローバル市場で評判を確立することだ。

 

WTOは2006年に貿易のための援助(AfT)を発足させ、発展途上国の貿易を支援するさまざまなプログラムに2017年半ば時点で3000億ドル以上を支出している。こうした構想の背後にあるのは、貿易は貧困から抜け出す手段になるという信念だ。

 

この信念は果たして正しいのか。ある研究者チームはアメリカのNGOエイド・トゥー・アーティザン(ATA)の協力を得て、貿易はほんとうに貧困か抜け出す手段なのかどうかをテストすることにした。

 

2009年10月にATAはエジプトで標準的な手順に従って新規プログラムを開始した。まず、富裕国市場で人気の出そうな商品で、比較的工賃の安い国で作られているものを探す。エジプトの場合、理想的な商品としてカーペットが候補に挙がった。次にATAは支援対象として適切な地域を探し、アレキサンドリアから車で南東2時間の距離にあるフワ [Fuwwah] を選んだ。個性的なカーペットやラグを手がける小さな工房が数百も集まる町である。

 

支援地域が決まると、ATAは現地の仲介業者を探す。現地の事情にくわしく、注文をとってきて適切な工房に依頼するといった仕事をこなす。ATAとしては、数年間はエジプトにとどまるが、その後は仲介業者にプロジェクトの継続を委ねたい。だから、経験豊富で信頼できる仲介業者を見つけることが重要な意味を持つ。ハミス・カーペットという仲介会社があり、フワで作られたカーペットを長年扱ってきたが、そのほとんどが国内向けで、輸出はしていなかった。

 

ATAはハミスと手を組むことにし、どんなタイプのカーペットを作るかを決めると、買い手を探して注文を取り付ける仕事に取りかかる。これが大変だった。ATAはハミスのCEOにアメリカで研修を受けさせ、イタリア人デザイナーにラグのデザインを依頼し、ハミスが扱う製品をありとあらゆる見本市で展示し、知っている限りの輸入業者にも売り込みをかけた。

 

ビジネスは上向きになり、2012~14年には注文が次々に入るようになった。そしてプロジェクト発足から5年後には、累計受注高が15万ドルを突破する。ATAという外部組織からのプッシュがなければ、エジプトの仲介業者が輸出市場を開拓することなど、とてもできなかっただろう。

 

輸出市場への進出がこれほど困難なのはなぜだろうか。問題のかなりの部分は、外国の買い手にあるように思われる。買い手の多くは大手の小売事業者や名の通ったインターネット通販事業者である。こうした大手の買い手からすれば、エジプトの小さなカーペット製造業者から買うことは端的に言ってギャンブルだ。

 

買い手にとって最も重要なのはクオリティである。彼らの抱える顧客は欠点のない完璧な品物を求めている。それから、納期も重要だ。さらに、作り手にすべてのリスクを転嫁することは不可能だ。品質が悪かったり納期に遅れたりした場合に商品代金を払わないことは契約上もちろん可能だろう。だが富裕国の小売事業者や通販事業者の立場からすれば、評判を落とすリスクのほうがはるかに大きい (腹を立てた顧客がウェブのレヴュー欄に投稿することを考えてほしい)。また買い手が懲罰的な損害賠償規定を設けることも契約上は可能だが、小さなエジプトの町の工房からどうやって取り立てるのか。

 

1つ考えられるは、商品をかなり安く提供することだ。そうすれば消費者はこれだけ安いなら多少の欠点には目をつぶろう、思ってくれるかもしれない・・・・・・。残念ながらそうはいかない。多くの場合、消費者は信用できない品物には手を出さないからだ。そういう品物を買ってしまうと自分の貴重な時間が無駄になることを彼らはよく知っており、どれほど値段を下げたところで、その損害を容認できるほどにはならない。

 

たとえば、アマゾンは自社のサービスに対する評判を維持しようとたいへんな苦労をしている。ものによっては返品無用で返金し、消費者の時間のロスを防いでいる。そのためにも、全面的に信頼できるサプライヤーとだけ取引したい。理想的なのは取引実績のあるサプライヤーだが、最低でも製品やサービスに高い評価を得ているサプライヤーであることが条件だ。つまり消費者だけでなく売り手にとっても 「時は金なり」 なのである。

 

世界の不平等の構造がここに現れている。貧しい国で作られた手織りのカーペットや草木染のTシャツを買う欧米の消費者は、要するに作り手より裕福すぎる。

 

ここで中国の作り手とエジプトの作り手を比べてみよう。中国の平均月給は915ドル、エジプトは183ドルである。週40時間働くとして、中国人の時給は5ドル、エジプト人は1ドルになる。草木染のTシャツが1時間に一枚できるとして (とても手の込んだシャツだとする)、エジプトに発注すれば4ドル安く出来上がるわけだ。だが買う側からすれば、たとえ4ドル高くても品質がたしかなほうが断然いい。アマゾンはそのことをちゃんとわきまえている。中国に取引実績のある信頼できるサプライヤーがいるのに、なぜエジプトの知らないところと取引するリスクを冒す必要があるのか。

 

評判を確立する苦労を私たちが初めて知ったのは、1990年代後半に萌芽期にあったインドのソフトウェア産業を調査したときである。インドのソフトウェア産業は、最初は南部の都市のバンガロール周辺で発展した。インドのソフト開発企業は、顧客の要求に応じてカスタマイズされた製品を開発することに特化していた。たとえば企業から会計ソフトの発注があれば、標準品をカスタマイズするか、顧客のニーズに応じてゼロから開発する。

 

インドはソフト開発に関して多くの競争優位を備えていた。非常に評判の高い工科大学から優秀な学生が潤沢に供給されること、インターネット環境が整備されていること、英語が通用すること、アメリカと時差があるため顧客とはちがう時間帯で働けること、などだ。

 

1997~98年の冬に、私たちはインドのソフト開発会社のCEO100人以上に聞き取り調査をした。起業の経験と直近の2つのプロジェクトについて話してもらうためである。創業間もないスタートアップのCEOの生活は苦労が多い。顧客からは細かい要求が来る。できるだけその要求に沿ったソフトを開発するのだが、いざ納品すると、要求とちがうとクレームがつくことがたびたびあるという。実績のない企業との契約は、多くの場合作業量とは無関係の固定価格方式で、しかも買主が満足しなければ払われない形になっている。

 

買い手がこのタイプの契約を選ぶのは、遠国インドの無名のサプライヤーに発注するだけで大きなリスクなのだから、それ以上のリスクはごめんだという姿勢の表れだろう。その証拠に、インド企業が成熟し評判も上がってくると、固定価格方式の請負契約ではなく、原価加算方式の契約が結べるようになる。調査では、すでに顧客から仕事を請け負った実績があり、信頼関係が築かれている場合には、スタートアップでも原価加算方式で受注できることがわかった。

 

まだ世に知られておらず、したがって評判もないスタートアップには、とにかく資金力が必要である。バンガロールのIT産業を代表する企業として引き合いに出されるインフォシスは、1981年に7人のエンジニアが設立した。インフォシスは現在インドで第3位のソフトウェア企業だが、残りの二社がウィプロとタタ・コンサルタンシー・サービシズなのは偶然ではあるまい。もちろん、成功するためには資金以外のものも必要であり、ウィプロにもタタにも先見の明のある有能な人材がいた。だが資金力が強力な助けになったことも事実である。

 

 

■   名前がモノを言う

ブランドネームの価値は、競争を回避できることにある。作り手より買い手のほうが桁外れに裕福だという状況では、作り手は価格よりもクオリティに力を入れることが非常に重要になってくる。これだけでも未来の新規参入者にとっては高いハードルだが、さらに既存企業を出し抜くことを一段と困難にする要因がある。それは、最終価格のうちサプライヤーに支払われる金額の占める比率が次第に下がっていることだ。今日では、製品を買い手にとって魅力あるものにするためにさまざまな費用がかけられており、ブランディングと流通に関するコストが生産コストを上回ることもめずらしくない。多くの品目で、生産コストは小売価格の10~15%を占めるに過ぎない。それでも絶対額としてはそれなりのインパクトがあるかもしれないが、多くの研究が示すように、買い手が問題にするのは最終価格に占める比率なのである。

 

ある古典的な実験では、次のような結果が出ている。回答者に第一グループに15ドルの計算機を示し、車で20分のところにある店では5ドル安く売っていると情報を提供する。第二のグループには125ドルの計算機を示し、車で20分のところにある店では5ドル安く売っていると伝える。

 

どちらのケースでも20分行けば5ドル安いという条件は同じだ。だが結果は大きくちがった。 「回答者の68%は、15ドルの計算機を5ドル安く買うためなら車で20分走ると答えたが、125ドルの計算機の場合は29%にとどまった」 のである。となれば消費者は、7.5%安くなった程度ではそちらに乗り換えたりしないことになる。

 

ということは、中国の工場渡し価格が大幅に上昇すればともかく、少々上昇しても誰も気づかないということだ。しかも近い将来に大幅に上昇すると考えるべき理由は何もない。中国には、現在の賃金水準でいいから働きたいという貧しい人々が大勢いる。だから、中国の生産コストはかなりの期間にわたって低いままだろう。ベトナムやバングラデシュなど第二の中国をめざす国や、ローコストのサプライヤーの多くが、虎視眈々と付け入る機会をうかがっている。そう考えると、リベリアやハイチやコンゴがどれほど長く待たなければならないか、想像するだけで背筋が寒くなる。

 

以上のように、評判やブランドネームは途方もなく大きな役割を果たす。新規参入者がグローバル市場で成功し、シェアを獲得するのは至難の業だ。そこに労働市場の硬直性が加わると、ストルパー = サミュエルソン定理が依拠し自由貿易が促すとされる人と資金の自由な移動は、実際にはそううまく実現しなくなる。

 

 

■   グローバル市場で伍していくには

世界に打って出ようという新規参入者にとって、さらに高いハードルが待ち構えている。それは、問題になるのがその企業の評判だけではないということだ。日本の自動車は安定した品質で知られる。このような状況で日本の自動車メーカーが新規市場を開拓する場合、たとえば三菱自動車が1982年にアメリカに参入したケースでは、すでに日本メーカーが成功を収めているという事実のおかげで始めから有利な立場にあった。

 

これに対して、バングラデシュやブルンジの自動車メーカーは不利だ。たとえ厳格な基準に合格し、低価格で、レビューで高い評価を得ているとしても、誰も買おうとしないだろう。数年後にどうなるかわかったもんじゃない、と買い手は考えるだろう。ある意味で彼は正しい。その車がいかによくできていて乗り心地も耐久性もすぐれているかということは、何年も経ってようやくわかるものだ。トヨタも日産もホンダも、最初はそうだった。

 

低い呪いを打ち破るのは容易ではない。ここで役立つのが、強力なコネクションだ。誰か影響力のある人物が新規参入者を知っていて、あそこの製品はいいですよ、と保証し後ろ盾になってくれれば絶大な効果がある。欧米に住んで働いたことのある中国人が、祖国に帰って中国企業のグローバル進出に重要な役割を果たしているのは、けっして偶然ではない。彼らは自分自身の評判やコネクション活かし、買い手(その多くは彼らがかつて働いていた企業だったする)に売り込み、万事問題ないことを保証する。

 

サクセスストーリーの存在も、好循環を生み出すカギとなる。何かで決定的な成功を収めた企業に、たとえ新興企業であろうと買い手は群がるものだ。他社があの会社と取引を続けているのだから大丈夫だろう、と安心するのだろう。多くのスタートアップは、運よく最初の注文を獲得すると、それが低い期待の呪いを断ち切る大チャンスだと心得、最高の品物を納めるべく最善の努力をする。

 

だが命をかけて努力をしても、必ず報われるとは限らない。一社がいくらがんばっても、その国あるいは産業全体の評判も重要だ。ほんのすこし腐った卵が混ざっただけで、ある国やある産業全体の評判がガタ落ちになるという事態も起こりうる。このことをよく知っている政府は、品質をごまかした企業に重い罰を科すようになってきた。

 

企業・産業・国の評判が相互作用し、しかも脆くて崩れやすいという状況では、 「産業クラスター」 を形成することが最善の方法だとされる。産業クラスターとは、一定地域に特定分野の企業やそれを支援する組織などが集積された状況を指す。

 

中国には、さまざまな製品に特化した製造クラスターが多数存在する。靴下シティ、セーターシティ、靴シティ、といった具合だ。たとえば湖州にある子供服クラスターには1万社を超える企業が集中し、30万人以上が働いている。もちろんアメリカにも多くのクラスターが存在する。ボストンのバイオ・クラスター、ロサンゼルスに近いカールスバッドのゴルフ用品専門クラスター、ミシガンの時計クラスターなどだ。

 

インド南部の都市ティルプルの綿織物産業を支えているのは、請負業者だ。生産プロセスの1つまたは複数、ときには出荷までの全工程を請け負う下請業者だが、彼らは言わば黒子のような存在である。買い手は一握りのよく知られた仲介業者と契約し、仲介業者が下請業者に割り当てる。この生産モデルの利点は、個々の企業には大規模工場を建設する資金がなくとも、大口注文に応じられることだ。それぞれの下請業者は自分のところでできる限りの投資をし、あとのとりまとめは仲介業者に委ねる。ここにも、クラスターが必要な理由が存在する。

 

この生産モデルには、現在興味深い変化が現れている。オンライン・マーケットプレイスの二大企業アマゾンとアリババ(阿里巴巴)が、仲介業者に代わる役割を果たすようになってきたことだ。個別の生産者は仲介業者を経ずにアマゾンやアリババのサイトで販売し、もちろん価格も自分で決めてよく、さらにサイトにレビューを集めるなど個別に評判を確立することができる。レビューで星5つに近づけようと彼らは靴下や玩具を信じられないほど安値で売ったりする。そのうちたくさんのレビューを集め、星の数も確保したら、値段に上乗せできるだろうと考えているのだろう。言うまでもなく、揺るぎない評判を確立するまでには時間がかかる (永久に評判が得られない可能性もある)。それまでは、第三世界の無名の生産者がグローバル市場で伍していくのはまず不可能だ。どれほどよい製品を低価格で売り出しても、である。

 

 

■   2.4兆ドルの価値?

すでに論じたように、リソースというものは移動性に乏しい。とりわけ発展途上国でそう言える。また、輸出市場に参入するのはきわめて困難である。このため貿易自由化は、当初経済学者が予想したような劇的な効果をただちに生み出してはいない。賃金は上がるどころか下がっている。労働力が豊富な発展途上国では労働者は貿易の恩恵に与るはずなのに、必ずしもそうはなっていない。理由は、労働者が必要とするすべての要素、すわなち、資本、土地、経営者、起業家、そして他の労働者が効率的でなければならないのに、実際には古いものから新しいものへのシフトがなかなか進まないからである。

 

インドでは1991年に貿易が自由化されたが、輸出・輸入いずれについても突然大幅に増えるということはなかった。だが最終的には輸出入ともに増加し、いまやインドは中国やアメリカより貿易比率が高い。リソースも最終的には移動し、新しい製品が作られるようになった。既存の生産者も、必要な資材や部品を簡単に輸入できるようになったおかげで、グローバル市場で競争できる高品質の製品を作れるようになっている。インドの企業は、輸入品が安くなるとすぐに輸入品に切り替えるようになり、それを活かして新たな製品ラインの導入にも積極的になる。だがそうなるまでにはかなりの時間がかかった。

 

多くの政策担当者は、このプロセスを加速させるには 「輸出振興策」 を導入するのがいちばんだと考えている。戦後期の東アジア (日本、韓国、台湾)、そして最近では中国の成功は、たしかにさまざまな形の輸出振興策によるところが大きい。多くの専門家は、中国の場合は為替政策が輸出を後押ししたとみている。政府が2000年代を通じて人民元売りドル買いで元安を誘導したおかげで、中国製品の輸出競争力が高まったという。

 

2010年にポール・クルーグマンは、中国の政策を 「かつて主要国が推進した中で最も歪んだ為替政策」 だと批判した。中国の外貨準備はすでに2兆4000億ドルに達し、なお毎月300億ドルが流れ込んでいる。中国にはもともと買う以上に売る傾向があったと言ってよいだろう。このことはおそらく人民元相場を押し上げ、輸出の増加にブレーキをかけていたはずだ。政府の為替政策は、それを防ぐ役割を果たしたことになる。

 

輸出振興はほんとうによい経済政策なのだろうか。中国の政策が人民元建ての利益を増やし、輸出企業を助けたことはまちがいない (ドル建てで靴を売り、ドル高元安になれば、元で受け取る金額は増える)。輸出企業はドル建ての販売価格を低く抑えて外国人にたくさん買ってもらい、中国製品は安くて良質だという評判も確立できる。そうなれば資本を蓄積することも、雇用を増やすこともできるだろう。

 

その一方で犠牲になるのは中国の消費者だ。中国の人々は割高な輸入品を買わされることになる (自国通貨が弱い国のデメリットがこれだ)。では、元安誘導策がとられていなかったらどうなっていたか。これを推定するのは容易ではない。なぜなら、中国政府は輸出企業に有利な政策をほかにも採用している。現に2010年に元安誘導策を打ち切っても、中国の輸出競争力は健在だ。それに、たとえ輸出の伸びが減速したとしても、国内市場がそれを上回るペースで拡大し、その分を埋め合わせた可能性がある。今日でさえ、中国の輸出はGDPのおよそ20%を占めるに過ぎない。それ以外は国内市場向けである。

 

仮に輸出振興策が中国で効果があったとしても (その可能性は高い)、同じ戦略が他の国でうまくいくとは限らない。少なくとも、近い将来についてはそう言える。問題の一端は、中国自身にある。中国の成功とその巨大な規模が、他国の参入と成功を阻む。グローバル市場に打って出ることが平均的な貧困国にとってほんとうに未来につながる道なのか、疑問に感じざるを得ない。

 

 

■   チャイナ・ショック

J・D・ヴァンスの 『ヒルビリー・エレジ―』 はアメリカの繁栄から取り残された人々の嘆きを代弁する書だが、読んでいるうちに、この人たちにも責められるべき点があるのではないかとの著者の深い葛藤が感じられるようになる。

 

同書で語られるアパラチア山脈周辺地域の経済の空洞化は、中国との貿易が始まるのと時を同じくして起きた。貧しい人が打撃を受けるのはストルパー = サミュエルソン定理から予想できたことで、富裕国では労働者が割を喰うことになる。だが驚かされるのは、その地理的な集中だ。取り残された人々は、取り残された地域に住んでいるのである。

 

デビット・オーター、デビット・ドーン、ゴードン・ハンソンは①で取り上げたトパロヴァと同じ手法を使って、対中貿易が始まったときにアメリカに何が起きたかを調査している。1991~2013年にアメリカはいわゆるチャイナ・ショックに見舞われた。なにしろ世界の製造業に中国が占める割合は、1991年には2.3%だったのが、2013年には18.8%に拡大したのである。

 

オーター、ドーン、ハンソンは、この中国の躍進がアメリカの労働市場に与えた影響を調べるために 「チャイナ・ショック指数」 を開発した。アメリカの通勤圏ごとにチャイナ・ショックにさらされた度合いを示す指数である。通勤圏とは文字通り通勤が可能な範囲のことで、複数の郡で形成される。

 

チャイナ・ショック指数は、次のアイデアに基づいている。アメリカ以外の国への中国の輸出品のうち、ある特定の品目の価格がとくに高ければ、中国はその産業でおおむね成功していると考えてよい。よってその特定品目をアメリカ国内で生産している通勤圏は、他の品目を生産している通勤圏より打撃を受けやすい。チャイナ・ショック指数を算出するにあたっては、中国のEU向け輸出品を参照して品目別にウェイトをつけ、通勤圏ごとの産業構造が中国製品に対してどれほど脆弱かを示した。

 

チャイナ・ショックの影響をもろに受けた通勤圏では、他の通勤圏に比べ、製造業の雇用が大幅に減っていることがわかった。これは予想されたことだが、意外だったのは、労働者の移動がまったく見られないことである。つまり、新しい仕事に移る人がいない。打撃を受けた通勤圏の失業者数合計は、影響を受けた産業のみの失業者数を上回ることが多く、下回ることはめったになかった。これはおそらく、先ほど取り上げたクラスター効果がマイナスに作用したのだと考えられる。失業した人は節約するので、その通勤圏全体の経済活動が縮小してしまうのである。非製造業が雇用を増やして製造業の雇用減を埋め合わせる、というふうにもならない。これらの通勤圏では他より賃金水準も低下し、とくに低賃金労働者にその傾向が顕著だった。近隣の通勤圏はさほどチャイナ・ショックの影響を受けていないのに、労働者は移動しなかった。影響を受けた通勤圏の生産年齢人口は減っておらず、雇用だけが失われたのである。

 

こうした現象は、アメリカだけに見られるわけではない。スペイン、ノルウェー、ドイツでもチャイナ・ショックの影響で同じようなことが起きている。どのケースでも、経済の硬直性が罠を形成していた。

 

 

■   クラスターは悪か

先ほど触れたように、この問題は産業クラスターによって深刻化した可能性がある。産業クラスターを形成する合理的な理由はいくつもあるが、何か大きなショックに見舞われると、一地域に集中している企業すべてが影響を受ける可能性があることは潜在的なデメリットの1つだ。

 

インドのTシャツ・クラスター、ティンプルでは、2016年10~17年10月の1年間で輸出高が41%も減少した。ここから悪循環が始まる可能性は高い。失業した労働者は、店やレストランなどで地元にお金を落とさなくなる。持ち家の評価額もときに大幅に下がってしまう。周辺地区が衰退し始めると、住民すべてが貧しくなる。こうして町から活気が消え地域が荒れてくるのと並行して、地方税の課税ベースも壊滅的に縮小するため、公共サービス(水道、学校、照明、道路など)も切り詰められ、ついにはその地域はまったく魅力がなくなって再起不能に陥ってしまう。企業は引き揚げるか倒産し、代わりの企業はやって来ない。

 

インドや中国で見られたこの現象が、アメリカの製造業クラスターにもおおむね当てはまる。たとえばテネシー州は、家具から繊維製品まで、中国と直接競合する製品の製造クラスターを数多く抱えていた。企業は次々に倒産してクラスターが姿を消すと、町はゴーストタウンと化していく。だからと言ってクラスターはよくないと言うつもりはない。クラスター形成のメリットはきわめて大きいからだ。だがクラスターが崩壊したときにどういうことになるかは肝に銘じておくべきだろう。

 

 

③につづく