『絶望を希望に変える経済学』 アビジット・V・バナジー & エステル・デュフロ著 村井章子訳 (2020年4月17日第1刷)

 

 

 

第3章 自由貿易はいいことか?①  (第3章は①から③まで)

 

 

2018年3月初めにトランプ大統領は、鉄鋼とアルミニウムの輸入品に追加関税を導入する大統領令に署名した。周りを取り囲んでいた鉄鋼労働者が拍手する映像が全世界に流されている。

 

その直後にIGMパネルは、専門会議のメンバーである一流大学の教授陣(共和党支持者もいれば民主党支持者もいる)に質問調査を行った。 「鉄鋼とアルミに対する追加関税でアメリカ人の生活水準は上がると思うか」 という質問に対し、65% が 「まったく思わない」 と強く否定し、残りも 「思わない」 と答えている。 「そう思う」 はおろか、 「どちらとも言えない」 と答えた人さえいなかった。

 

さらに、 「エアコン、自動車、クッキーなどの製品に新たな追加的に関税をかけるのは、国内メーカーの生産意欲を高めるよい政策だと思うか」 という質問に対しても、全員が 「まったく思わない」 か 「思わない」 と答えた。

 

自由主義経済の旗手であるポール・クルーグマンが自由貿易推進の立場をとるのは当然だが、ジョージ・W・ブッシュ大統領の下で経済諮問委員会(CEA)の委員長を務め、何かとクルーグマンに反対の立場をとるグレゴリー・マンキューも、同意見だったのである。

 

対照的にアメリカ国内で行った貿易に関する世論調査では意見が割れ、どちらかと言えば自由貿易に反対する人が多かった。関税率を引き上げて国内メーカーの生産意欲を高める政策には54%が賛成し、反対したのは25%に過ぎなかった。

 

経済学者は貿易の利点を語りたがる。自由貿易は利益になるというのは、経済学における最古の命題の一つだ。デビット・リカードが2世紀前に説明したとおり、貿易によってどの国も比較優位を持つことに特化できるため、貿易が行われている地域では収入の合計が増える。そして、貿易で利益を上げた 「勝ち組」 の利益合計は、損をした 「負け組」 の損失合計を必ず上回る。以来200年間、この原理の基本的な論理そのものはほとんどの経済学者が受け入れている。

 

だが一般の人々は、自由貿易が議論の余地なくいいものだとは思っていない。貿易が利益をもたらすことは知っているが、苦痛をもたらすことも知っている。安い品物が外国から入ってくるのは結構だが、価格競争に負けてしまう国内生産者のことを考えれば、貿易のメリットも打ち消されようというものだ。私たちが行った調査では、レギュラー回答者の42%が、アメリカが中国と貿易をすれば、国内の低技能労働者が打撃を受けると答えた (そうは思わないと答えたのは21%にとどまった)。

 

一般の人々は単に無知なのか、それとも経済学者が見落としていることに直感的に気づいているのだろうか。

 

 

■   スタニスワフ・ウラムの要求

スタニスワフ・ウラムは、水爆の発明者の一人としても知られる数学者・物理学者である。あるときウラムは経済学界の重鎮で20世紀最高の経済学者の一人であるポール・サミュエルソンに、挑戦的な要求をした。 「あらゆる社会科学分野の中で、真理であり、かつ自明でない命題は何か、教えてほしい」 というのである。

 

これに応じてサミュエルソンが持ち出したのが、国際貿易理論の柱となっているあの比較優位である。このときのサミュエルソンの言い分が傑作だ。 「これが論理的に正しいことは、数学者の前で改めて論じる必要はあるまい。またこの理論が自明でないことは、何千人ものきわめて優秀な人間によって確かめられている。彼らは独力ではこの理論を考案できなかったうえ、説明されても理解できなかったのだから」。

 

比較優位 [comparative advantage] の概念を簡単に言うと、どの国も相対的に自分が得意とすることをやるべきだ、ということに尽きる。この概念がいかにすばらしいものかを理解するには、絶対的優位 [absolute advantage] と対比するのがよいだろう。

 

絶対優位はわかりやすい。ブドウはスコットランドでは育たない。一方、フランスにはスコッチウィスキーの製造に欠かせないピート(泥炭)がない。よってフランスはワインを作ってスコットランドに輸出し、スコットランドはウィスキーを作ってフランスに輸出することが理に適う。

 

だが1つの国が、たとえば今日の中国のような国が、大方の国よりも何でもうまく作れるとしたら、どうなるのか。中国があらゆる市場で一人勝ちし、他の国には売れる物が何もなくなってしまうのだろうか。

 

リカードは1817年にこう主張した。たとえ中国(リカードの時代はポルトガルだった)が何でも他国よりもうまく作れるとしても、あらゆるものを売ることはできない。なぜなら買い手の国に売るものがなかったら、中国から買うためのお金がないことになるからだ。となれば、自由貿易をしたからといって19世紀のイギリスの産業がすべて衰退するわけではない。自由貿易のせいでイギリスのある産業が衰退したら、その産業は最も生産性が低かったということになる。

 

この論拠に基づき、リカードはこう結論づけた。たとえポルトガルがワインも毛織物もイギリスよりもうまく作れるとしても、両国が貿易をするようになれば、それぞれの国が比較優位を持つ産業に特化するようになる。ある産業が比較優位を持つとは、自国の他の産業と比べて生産性が高いことを意味する。

 

ポルトガルではワイン、イギリスでは毛織物がこれに該当する。どちらの国も相対的に得意とするものを作り、残りは買う (得意でないものを作って資源を無駄にしない)。こうすれば、それぞれの国の国民が消費しうる財の価値合計が国民総生産(GNP)に加わることになる。

 

すべての市場を同時に考えない限り貿易を考えることはできない理由を見抜いたところが、リカードの鋭いところだ。中国はどの市場でも勝つことはできる。だがすべての市場で勝つことはできないのである。

 

言うまでもなく、GNPが(イギリスとポルトガルの両方で)増えたからと言って、損をする人がいないわけではない。リカードの理論は、生産に必要なのは労働力のみであり、あらゆる労働者は同じである、よって経済が豊かになれば全員がその恩恵を受ける、という前提に立っている。だが生産には労働力だけでなく資本も必要だとなったとたん、話はそう単純ではなくなる。サミュエルソンがまだ25歳だった1941年に発表した論文であきらかにしたアイデアは、以後、国際貿易を考える際のベースになった。

 

両国が貿易をする限りにおいて、労働力が豊富な国は労働集約型の財の製造に特化し、資本集約型の財からは手を引くだろう。そうすれば、貿易がまったく行われていないか規制されている場合に比べて労働需要は拡大し、したがって賃金は上昇するはずだ。逆に資本が相対的に豊富な国では、資本需要が拡大して資本価格が上昇(賃金は下落)するはずだ。

 

労働力が豊富な国はおおむね貧しい国が多く、かつ労働者は雇用主よりも貧しいのがふつうであるから、自由貿易は貧困国にとって好ましい影響をもたらし、賃金格差を減らすと考えられる。逆もまた成り立つ。したがってアメリカと中国が貿易を行えば、中国の労働者の賃金は上昇し、アメリカの労働者の賃金は下落するはずだ。

 

だからと言って、アメリカの労働者の生活が悪化したままになるわけではない。サミュエルソンはその後に発表した論文で、自由貿易はGNPを押し上げるので、その恩恵はすべての人に行き渡ると述べた。つまり、政府が自由貿易の勝ち組に税金をかけ、それを負け組に再分配するなら、アメリカの労働者の生活も向上するという。問題は、税金を再分配するというこの条件だ。これでは、労働者の命運は、政府のお情け次第ということになる。

 

 

■   美は真であり、真は美である

ストルパー = サミュエルソン定理(先ほど紹介した理論)は美しい。だがこの定理は真なのだろうか。この定理は2つのことを意味しており、1つは明確かつ好ましく、もう1つは好ましくない。すなわち、貿易を行うとどの国でもGNPは拡大し、貧困国では不平等が縮小する。一方、富裕国では不平等が拡大する (再分配が行われる前は)。ところが、現実を見るとそうはなっていない。

 

中国とインドは、貿易主導で成長を遂げた国としてもてはやされている。中国は1978年に改革開放政策を導入した。門戸開放から40年度の現在、中国は輸出大国となり、アメリカから経済大国ナンバーワンの座を奪おうとしている。

 

インドでは1991年まで政府が経済の中枢を掌握していた。輸入には許可が必要で、その許可はなかなか下りない。そのうえ輸入業者は輸入関税を払わなければならない。その結果、輸入品の価格は原産国の4倍にもなっていた。

 

インド経済の転換点となった1991年は、サダム・フセインのクウェート侵攻を受けて第一次湾岸戦争が勃発した年である。その結果、沿岸諸国からの石油の輸出が止まり、原油価格は天井知らずに上昇した。このことがインドに与えた影響は大きい。そのうえインド人出稼ぎ労働者が中東から引き揚げてきたため、本国送金もぱったり途絶え、外貨準備が大幅に減ってしまう。

 

インドはやむなくIMFに支援を求めるが、IMFのほうはこの機会を待ちかまえていた。インドは1940年代、50年代の反市場イデオロギーに固執し、市場経済に移行していない最後の大国だったのである。IMFが持ち出した条件は、インドには必要とする資金は提供するが、門戸を開放し、貿易を行わなければならない。インド政府に選択肢はなかった。輸出・輸入許可制度は廃止され、輸入関税はただちに引き下げられた。平均90%近かったのが、35%まで引き下げられたのである。

 

こんなことをしたらインド経済は崩壊すると予想した人は少なくない。高い関税障壁に守られたインドの産業は、世界の効率的な競争相手と伍して行く力はないから、壊滅的打撃を受けるだろう、云々。

 

驚くべきことに、これらの悲観的な予想は当たらなかった。インドのGNPは1992~2004年には年6%のペースで伸び、2000年代半ばに7.5%を記録し、それ以降ほぼこのペースで成長している。

 

となればインドは貿易理論の教えるとおりになったみごとな例の中に数えてよいのだろうか。それとも、正反対の例とみなすべきなのだろうか。一方で、経済成長のおかげで過渡期をスムーズに乗り切ることもできた。しかし他方で、成長が加速するまでに門戸開放から10年以上かかっている。これは、いささか期待を裏切るものだったと言わざるを得ない。

 

 

■   語り得ぬことについては沈黙せねばならない

この議論に答えを出すことはできない。複雑なのは、貿易が1980年代から徐々に自由化されたいたことだ。1991年は、それが大幅にペースアップしたにすぎない。劇的な離陸をするためには、何かビックバンのようなものが必要なのだろうか。

 

だが経済学者は、この手の問いを 「わからない」 で済ますことはしない。この問題は、インドだけの問題ではないからだ。ある種の社会主義から資本主義への移行とともに、インドの経済成長率が大きく変化したことは事実である。1980年代前半のインドの成長率は4%前後だったが、現在は8%近い。このような変化はめずらしいし、変化が維持されていることは、もっとめずらしい。

 

しかし同時に、不平等も顕著に拡大している。同様のことが、おそらくは一段と顕著に中国で1979年に、韓国で1960年代前半に、ベトナムで1990年代に起きた。これらの国で自由化前に行われていた厳格な国家統制経済が、不平等の軽減にきわめて効果的であったことはまちがない。ただしそのために経済成長は犠牲になった。

 

インドがまだ維持している関税障壁による保護をなくすことはどれほど重要なのか。貿易というものをそれまでしたことがない国にとって、関税はどの程度貿易の妨げになるのか。貿易は成長を加速させるのか。不平等にはどのような影響があるのか。トランプ関税はアメリカを成長路線から脱線させたのか。

 

これらの質問の答を探すとき、経済学者は国同士を比較する手法を採ることが多い。たとえばインドが1991年に貿易を自由化し、他の国はしなかった場合、どちらのグループが1991年直後に成長が加速するか、絶対値または1991年以前との相対値で比較するのである。

 

この問題については多くの論文が書かれている。研究から導き出された答は、貿易が国内総生産(GDP)に大きなプラス効果をもたすとしたものから、懐疑的なものまでかなりの振れ幅があるものの、大きなマイナス効果をもたらすとした報告はほぼ皆無だった。

 

一部の研究が懐疑的な結論にいたった原因は大きく分けて3つある。第一は、逆の因果関係の可能性だ。インドが貿易を自由化し、他の国が自由化しなかったという事実は、インドがすでに過渡期にさしかかっていて、自由化をしなかったとしても比較対照国より早いペースで成長したことの表れとも考えられる。言い換えれば、成長が貿易自由化を促したのであって、その逆ではないかもしれない。

 

第二は、原因因子を見落とした可能性だ。インドの貿易自由化は、大きな変革の一部に過ぎない。たとえば政府が産業界にあれこれ 「指導」 することはなくなった。また、産業界に対する官僚の姿勢や政治家の態度が変わったことも大きい。こうした変化と貿易自由化をきっぱりと切り離して評価するのは不可能である。

 

第三は、データのうちどれが正確に貿易自由化を表しているのかを見きわめるのはむずかしいことだ。どの国も一気に全面自由化するわけではなく、どこをどの程度自由化するかは国によって異なる。となれば、国同士を比較してどの国の自由化が進んでいるかを決めるのは困難だ。

 

これらの理由から国同士の比較には問題が多い。国同士の比較を行う方法は、最初にどんな大胆な前提を立てるかによって無数に存在するのである。

 

ストルパー = サミュエルソン定理のもう1つの項目、すなわち不平等についても同じことが言える。貧困国が貿易自由化に踏み切ると、ほんとうに不平等が減るのか。こちらについては、国同士の比較研究はあまり多くない。貿易論を専門とする経済学者は、パイが大きくなることに関心があっても、パイをどう分けられるかには関心がないからだ。サミュエルソンが、すくなくとも富裕国では、貿易の恩恵は労働者を犠牲にしてもたらされると警告したにもかかわらず。

 

1985~2000年にメキシコ、コロンビア、ブラジル、インド、アルゼンチン、チリが門戸を開放し、全面的に関税率を引き下げた。するとこれらの国すべてで同時期に賃金格差の拡大が認められた。そのタイミングからして、貿易自由化と何らかの関係があると考えられる。

 

たとえば1985~87年に、メキシコは輸入割当制度の範囲を大幅に縮小すると同時に、輸入関税も大幅に引き下げされている。すると1978~90年にブルーカラー労働者の賃金は15%落ち込む一方で、ホワイトカラー労働者の賃金は15%増えた。

 

これと同じパターン、すなわち貿易自由化後に低技能労働者に比して高技能労働者の賃金が上昇し、その他の面でも不平等が拡大するというパターンは、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、インドでも見られた。

 

そして中国が1980年代を通じて徐々に門戸開放を進め、最終的に2001年にWTOに加盟するまでの間に、同国の不平等は猛烈な勢いで進行したのである。世界不平等データベース(WID)によると、1978年には最貧層50%と最富裕層10%はそれぞれ中国の総所得の27%を占めていた。両者の差は1978年から拡大し始め、2015年には最貧層50%が中国の所得に占める比率は15%に過ぎず、最富裕層10%は41%を占めるにいたっている。

 

言うまでもなく、相関関係と因果関係はまったくちがう。おそらくグローバル化それ自体が不平等を拡大させたわけではないだろう。貿易自由化が単独で実行された例はなく、どの国でも貿易改革は幅広い改革パッケージの一部だった。たとえばコロンビアでは1990年と91年に抜本的な貿易改革が実行されたが、時を同じくして労働市場規制が緩和され、労働市場の流動性が大幅に高まっている。

 

また、メキシコを始めとする中南米諸国は、中国とほぼ同時期に市場開放に踏み切っている。このため彼らは自由貿易の開始当初から、自国よりも労働力が豊富な中国との競争に直面することになった。中南米の労働者が割を喰ったのはそれが一因だったと考えられる。

 

以上のように、国同士の比較だけで、貿易と経済成長や不平等との関係について結論を下すのはむずかしい。経済成長にせよ、不平等にせよ、貿易以外の多くの要因の影響を受ける。貿易はその1つに過ぎないし、ひょっとすると原因ではなく結果なのかもしれない。

 

しかしここに、ストルパー = サミュエルソン定理に疑問を投げかけるみごとな研究があるので、紹介したい。

 

 

■   あってはならない事実

国同士の比較ではなく、同じ国の中のさまざまな地域を比較する場合には、貿易の影響を曖昧にするさまざまな潜在的要因をかなりの程度排除することができる。問題は貿易を扱う関係上、貿易理論の中心的な命題は経済におけるすべての市場と地域にまたがっていることだ。

 

ストルパー = サミュエルソン定理が前提とする世界では、同じ技能を持つ労働者の賃金は同一ということになっている。だからこそ、外国との競争が原因で解雇されたペンシルベニアの鉄鋼労働者は、すぐさまモンタナかミズーリの製鉄所で仕事に就ける、と言えるのである。同じ技能を持つ労働者の賃金は、ほどなく同一水準に収斂するはずだという。

 

もしこれがほんとうだとしたら、貿易の影響を知るためには経済全体の比較をするほかない。ペンシルベニアの労働者とモンタナやミズーリの労働者を比べても意味がないことになる。彼らの賃金はみな同じだからだ。

 

したがって逆説的なことだが、貿易理論の前提を信じる限りにおいて、それをテストすることはまず不可能だ。なぜなら、いま述べたように貿易の影響をまずまず正確に評価できるのは一国のレベルのみということになるからだ。しかし国同士の比較に多くの難点があることは、前段で説明したとおりである。

 

だが移民を取り上げた第2章で示したように、労働市場というものは硬直的になりがちである。ほかへ移ったほうがよいとわかっているときでさえ、人々は移動したがならい。その結果、経済全体で賃金が自動的に同一水準に収斂するといったことにはならない。同じ国の中であっても、実際にはたくさんの小さな経済が営まれている。そして貿易政策の変更がそれぞれの経済に与える影響がちがうなら、それらの比較から学べるものは多いはずだ。

 

若手経済学者のペティア・トパロヴァは、MITの博士課程に在学中だった頃、このアイデアを真剣に検討する。そしてインドが1991年に大規模な貿易自由化を行ったときにインド国内で何が起きたかを調査し、重要な論文を書き上げる。

 

この研究で判明したのは、一口に 「インドの貿易自由化」 と言っても、貿易政策に加えられた変更は多種多様であって、一国の中でも地域や産業によって受ける影響はさまざまだということである。このため、ゆくゆくはすべての関税がほぼ同じ水準まで引き下げられるとしても、その影響は産業によって大きく異なる。

 

トパロヴァは、インド国内の地区ごとに自由化の影響をどの程度受けたかを調べた。たとえばある地区の主要産品が鉄鋼その他の工業製品で、輸入関税がほぼ100%から40%まで引き下げられた場合には、自由化の影響を 「強く受けた」 とする。穀物が主要産品の地区で、関税があまり変化がなければ、影響は 「ほとんどない」 ということになる。

 

このような影響判定基準に従って、1991年の前と後について全地区を調査した結果、国全体の貧困率は1990年代~2000年代に急速に下がったことがわかった。1991年には約35%だったのが、2012年には15%になっている。

 

だがこのバラ色の全体像とは裏腹に、貿易自由化の影響を強く受けた地区では貧困率の低下のペースがあきらかに遅いことがわかった。ストルパー = サミュエルソン定理が示唆することとは反対に、貿易自由化の影響を強く受けたところほど、貧困率の低下にブレーキがかかったのである。その後の調査では、貿易自由化の影響を強く受けた地区における児童労働も、他地区に比べてなかなか減らないことがわかった。

 

だがトパロヴァの研究報告は、経済学界で手ひどく叩かれた。調査手法は正しいとしても結論はまちがいだ、と酷評されたのである。貿易が貧困を増やすなど、あり得るはずがない。貿易は貧困国の貧困層に恩恵をもたらすと理論は結論づけているのだから、調査で集めたデータがまちがっているのだ。トパロヴァの論文は一流の経済専門誌からも門前払いを喰わされた。今日では多くの研究がさまざまな状況にトパロヴァの手法を応用しており、コロンビア、ブラジル、アメリカ(以下で取り上げる)でも同じ結果が得られている。論文掲載誌で最優秀論文賞を獲得し、経済学界でトパロヴァの名誉が回復されたのは、ようやく数年後になってからだった。

 

 

■   硬直的な経済

トパロヴァが常々言っていたのは、貿易自由化で甚だしい不利益を被る人がいると主張するつもりは毛頭ない、ということである。そもそも同じ国の中のさまざまな地域を比較しただけだから、結論として言えるのは、ある地域(貿易の影響を強く受ける地域)は他地域ほど貧困が減らない、ということだけである。すなわち、自由化という上げ潮はすべての船を浮かばせるにしても、一部の船は他の船よりよく浮かぶ可能性があるということだ。

 

それにトパロヴァの研究は、インド全体で不平等が拡大したなどとはまったく主張していない。ある地区では他の地区より不平等が拡大したと指摘しただけである。実際には、自由化の影響を強く受ける地域は、自由化の時点では他地域よりいくらか裕福であることが多い。そのため自由化後に貧困がスムーズに減らなくとも、むしろ国全体の不平等の縮小には貢献していることもある。

 

にもかかわらず、貿易論を専門とする経済学者たちがトパロヴァの論文に脅威を感じたのは、理由がある。伝統的な理論における貿易の恩恵は、リソース(労働者、資本)の再分配に依拠している。ところが貿易自由化の影響を強く受ける地域とあまり受けない地域とで差があることをトパロヴァは発見した。

 

ということはつまり、リソースが当初考えられていたほどたやすくは移動しないことを意味する。人も資本も機会を追いかけて機敏に移動するという見方を捨てなければならないとしたら、貿易はよいものだという信念を持ち続けることはできなくなってしまう。

 

労働者がなかなか他地域へ移動しないとすれば、ある産業から別の産業にもなかなか移らないと考えるのが妥当だろう。インドでは、貿易自由化が貧困削減にマイナスに作用することをトパロヴァは示したが、このことは労働市場にはより極端な形で現れる。というのも、厳格な労働法により労働者の解雇が困難で、不採算企業の市場からの退場も進まないため、元気な企業がなかなか取って代わることができないからだ。

 

さらに、資本もなかなか移動しない。銀行は不採算企業への融資打ち切りを渋るうえ、好調な企業への新規融資にも及び腰だ。融資担当者は自分がゴーサインを出した融資が焦げ付いた場合の責任を取らされることを極端に恐れるため、何も決断しようとしないのである。そこで、過去に誰かが下した決断をそのまま踏襲することになる。

 

唯一の例外が、実際に融資が不良債権になりかかったときである。このとき銀行は何をするかと言うと、さらに追い貸しをするのである。それで古い債務を返済させ、債務不履行の悪夢を先送りし、将来に何か幸運が起きることをひたすら願う。これを銀行業界では 「自動継続」 融資と言う。一見すると申し分のないバランスシートを誇っていた銀行が突如として破綻する原因の多くは、これだ。

 

硬直的な貸し出しは、本来ならとっくに退場しているべき企業が粘り続ける現象を生み出す。それはすなわち、新規参入者の資金調達が困難であることも意味する。とりわけ、不確実性が高い状況(たとえば貿易自由化の直後など)で、そうなりやすい。そのような状況では、融資担当者はますますリスクテークを嫌うからだ。

 

このように経済にはさまざまな形で硬直性がつきまとうことを考えると、国外から大々的に競争相手が押し寄せるといった悪いニュースが到来した場合には、好機到来と歓迎し最善の使途にリソースを移動しようとするよりも、身を潜めて避難し、問題が頭の上を通り過ぎてしまうことを願うほうが、ありそうに思われる。かくしてレイオフが実施され、定年退職した労働者の補充はされず、賃金水準は下がり始めるというわけだ。

 

これは極端なケースかもしれないが、トパロヴァがインドで発見したいくつかのデータは、これに似た状況を示している。まず、貿易自由化の影響を強く受けた地域からの移住はほとんど見られなかった。また同一地域内でさえ、産業間のリソースの移動はなかなか進まなかった。

 

一段と衝撃的なのは、同じ企業内でもリソースの移転が進まなかったことである。インドの多くの企業は、複数の製品を製造している。となれば、安価な輸入品と競合する製品は製造を打つ切り、不利益を被らない製品に注力すればよさそうに思える。労働法で解雇がむずかしい場合でも、企業内での配置転換までは禁じられていない。にもかかわらずトパロヴァは、輸入品と太刀打ちできない製品の製造を打ち切った企業の例を発見できなかった。

 

 

②につづく