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最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

法衣を脱いだ真言密教・仏教徒が説く、精神修養にて日々を最高の自分で過ごす為のブログです
変化と向上のための実践を徹底追求しています
魂の成長を求め、心を浄化し、混沌の世で最高を生きましょう

みなさんこんにちは、緒川賢治です

 

毎日暑いですね

 

連日の猛暑ですが、考えようによっては、良いことにもなります

 

灼熱の太陽パワーをたっぷりと頂ける

 

根性が鍛えられる

 

涼しいものがより涼しく感じられる

 

などなど

 

ただですね、熱中症が例年より多くテレビで話題になっています

 

熱中症には気をつけたいものです

 

ただですね、なぜ熱中症になりやすくなったのか、というところを考えてみると、昔は体が強かったんでしょうかね

 

私のお話になりますが、部活で空手やっていまして、その他、自主トレも膨大な量やっていましたし、真夏にサウナスーツ着て炎天下で二時間くらい平気で走っていましたし、走る前に一時間くらい全力シャドーや筋トレもしていました

 

そして、その当時は水分をあまり摂らないのが良いとされていましたので、ほとんど水は飲みませんでしたね

 

今はですね、メリハリをつけて飲んでいます

 

基本的には熱いコーヒーを大きなマグカップに並々注いで飲みますね

 

冷たい水はあまり体に良くないんですね

 

そして、それは、クーラーの効いた部屋でさらに良くなくなります

 

ただですね、車の中とかですね、カフェとかでですね、ちょっとした一時を冷たいものを飲んだり涼んだりというのは気持ち良いんですよね

 

これが、年がら年中、家とか職場とか、屋内にいる間はクーラーガンガンに効かせて冷たいものをがぶ飲みしたり、灼熱の屋外で飲料水をガンガン飲んでいたりすると、体はものすごく熱に弱い体質になります

 

塩分濃度とか言いますが、やはり、体の調整機能というか、飲む量が適切でないといけないんですよね

 

暑いのがどれだけ平気かで、水分摂取量は変わります

 

現代社会でこういったお話をするのはちょっと気が引けはするのですが、まあ、大雑把に言うと、クーラー病である場合が多いのではないでしょうか

 

 

少々関係のないお話が長くなってしまいましたが、本題に入ります

 

 

進化をやめると退化する

 

常に変化しますが、一定の横ばいのレベルの変化にも、上昇のパワーが必要になります

 

変化している中で落ち着くということは、変化についていっていないということになり、取り残されます

 

日常生活の安定という点で考えてみると、まあ、周囲や環境の動きに合わせて順応するのが求められますから、やはり、本当の意味での進化というものは出来なくなります

 

開拓精神というか、そういうものが必要となりますが、やはり、日常でのルーティンとか、人付き合いとか、仕事とか、そういったことで時間の捻出がなかなかできません

 

究極的におすすめするのが、徹底的な認識能力の増強というやつですが、これがですね、目の前のことで必要な処理能力に集中すると、認識の解放はどんどん小さくなります

 

これがですね、気がついたら忘れるくらい、日常の思考や行動というのは目の前の処理や目的遂行に集中します

 

これもですね、思考や行動の成長というものが磨かれるならばいいのですが、なかなか、普通の習慣づいたパターンにはまってしまうと、その中でしか磨かれません

 

ちょっと視野を広げるというのは、そのタイミングでしかできないんですが、出来ること以上のことを、潜在意識で求めるというのが分かりやすいかと思いますが、どこまで認識力を開放して広げるかというのがカギとなります

 

目の前の行動や思考の習慣というのは、頭の回転と情報処理と身のこなしと手先の器用さやコミュニケーション力をレベルアップすることで改善していけますし、センスを磨くというのも有効ではありますが、これら全てに個人個人の限界があります

 

理想的なのは全てにおいて、レベルアップして、環境から人間性から友人から何から何までガラっと短期間で変えていきたいというところなのですが、実際はこの世のシステムにおいては可能なことですが、自分がそうなりたいと思っても、なかなか難しいです

 

何故かというと、一言で言ってしまうと、やることが多いから、ということになります

 

モグラたたきゲームみたいに、あれをやっている間に、これが衰退し、これをやっている間に、それを忘れたり、というところの繰り返しとなります

 

一つの大きな難問というのがありますが、これはですね、相対する二つのテーマをどのようにして、総括レベルアップできるか

 

世間での強さとリーダーシップの発揮において、あらゆる現場で必要とされるものは、人に言うことを聞かせる強さです

 

そして、影響力と実力です

 

優しさは、強さが無いと単なる弱者になります

 

スピリチュアルを極めるならば、徹底的な優しさの探究となります

 

心を磨くために必要なことを全て実践するということは、仏にそのままなれるような心がけを習慣づけるということです

 

私は精神世界と自己啓発を徹底的に追求していますので、ある程度は世間において強引に見えるくらいではありますが、スピリチュアル的な順応の仕方をしていますが、一般的な会話を一般的な人たちとする場合は、どうしても、スピリチュアル的な要素を増やせば増やすほど、いじられ役になりやすくなったり、上から目線で話されたり、気が弱くて優しい変わり者的な扱いになります

 

ここで、さらに追求するならば、自分に向けられるすべての感情や言葉は受け取らなければ、相手にそのまま帰っていく、というところに行き着きますが、実際問題としては、全部が全部そうなってしまうと、呪い返しみたいなところにばかり目が行ってしまう可能性があります

 

こんなことは、自分に嫉妬して来たり悪意を持ってくる人たちが勝手に思って跳ね返ったものを受け取っているくらいのレベルでこっちは何も気づかないところで行われているくらいがちょうどいいんですよね

 

じゃあ、逆にですね、一般的な世間での強さというものも磨かないといけないので、普通に自分の強引さとかあらゆる人生経験とかを駆使したり、気が強くなるよう習慣づけたり、問題解決などの頼りがいとか世話焼きとか、人を引っ張って人から尊敬されて付いてこられるような人間を目指しているとですね、スピリチュアル要素が半減以下となります

 

こういったことは基本となりますが、まあ、多々ある中の一部として、あれもこれもと日々目まぐるしくやっていると、必ずたくさんのあらゆることが、退化しているんですね

 

何かをやっている間に他のことが退化しますから、成長率というものをガンガンに上げていないといけません

 

それを可能にするのは、想像力と認識力となります

 

どれだけ気づきという形で開拓するか、そこに入り込むか、そのままステップアップするか、グイグイ見えない世界を飲み込むくらいの勢いで、攻める感じでしょうかね

 

それでも、やはり、気がついたら忘れている、他のことばかりに集中してしまうんですが

 

日々のあらゆるサイクルの繰り返しの中で、あるする持つの精度をどこまで進化させることができるかということで、しめさせていただきたいと思います

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

 

 

 

みなさんこんばんは、緒川賢治です

 

飲み過ぎた日の真実がだいぶ明らかになりました

 

年配の大先輩の頭を、お経を大声で唱えながらクシャクシャ撫でていたらしいです

 

そして、解散後は、えらく興奮して、これからまた自分はどこかに行くということを宣言して足早に去ったということです

 

恐らくそのままどこかに座り込んだまま、眠ってしまったんでしょう

 

あと、歩きながら吐いた記憶も少しあります

 

記憶の断片が徐々につながっていく時、不安と後悔と、真実の完成に近づく安堵感が同居して、最後は、まあ仕方ないということで開き直りです

 

ちょっと個人的などうでもよいお話が長くなりましたが、本題に入ります

 

今のままでいいのか、いやまずい、というところから、新しい自分自身を探す旅へと向かいます

 

これがどれだけ本気なのかが、未来を左右していきます

 

そこで立ちはだかるのが、コンフォートゾーンに留まろうという力であり、仏教で言うと、真理に逆らう常住を求めるところであり、この状態はまさに、無明から目覚めるのを拒む凡夫の境地であると言えます

 

今のままでは嫌だ

 

しかし、変わるのが怖い、というか、変えることができない

 

だらだらと、怠け心に任せて、乗り越えるべき壁の前で座って迷っています

 

ということは、今のままでもいいのか、というところで迷っていることになります

 

人生なんてこんなもんだろう、求めすぎも良くないし、自分の現実を受け入れて納得して生きるのが良いのかもしれないと

 

しかし、今の状況は本当に嫌だし苦しいし

 

という感じになるのでしょうかね

 

ここで、はっきりしていることがあります

 

どこまで本気なのかということです

 

気持ちの面では本気であっても、動けないレベルならば、それまでのことだということになりますね

 

何が何でも道を切り開いていかないといけないということになると、死に物狂いで頑張ることになるでしょう

 

しかし、これも本当の意味ではまだまだ断言ができない状態です

 

できることだけを必死に頑張っても、もしかしたら、変化を起こすには足りないかもしれない

 

自分のこれまでの経験の範囲内でしか行動できないならば、いかなる努力も同じことの繰り返しを量と負荷だけを変えて行っているだけかもしれません

 

しかし、本当の意味で何が何でもというところまで行くと、新たな試みを、自分の能力やキャパシティを超えたレベルで求めるようになります

 

何が何でも今すぐにでも全てを飛躍させないといけないとなると、自分の限界を作っているに違いない知識や経験すら捨てるくらいの行動を起こすことでしょう

 

これが、危機感が本物になる瞬間であり、全ての第一歩となります

 

しかしながら、実際の生活を考えるとですね、やはり、徐々に学びながら、たくさんの保険的な要素で自分を守りながらとなりますので、大変と言えば大変ですね

 

まあ、みんな頑張ってコツコツと生きているんだからという中で、自分なりに頑張ろうというのが精いっぱいとなります

 

ただですね、ここが、変われるか変われないか、変えれるか変えれないか、の違いとなるんですね

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

 

 

 

みなさんこんにちは、緒川賢治です

 

昨晩、街中で飲み過ぎて記憶が飛んでしまい、どうやって帰ったかも覚えていなくて、今日は自己嫌悪の一日でした

 

ただですね、この自己嫌悪というものがどのようなメカニズムでどのように出てくるのかというところもじっくり観察するとですね、これがとてつもなく大きな意義のある壁だということも分かってきます

 

この壁を乗り越えよ

 

自己嫌悪の中で反省して過ちを繰り返さないように学ぶということなのでしょうが、いやいや、この自己嫌悪こそ、自分自身のリミッターであるということを認識しないといけません

 

自己嫌悪に負けるな

 

自分を沈ませて大人しくさせる諸悪の根源にもなり得る、つまり、成長を止める力である自己嫌悪のマインドの仕組みを理解して乗り越えることで、方向転換こそすれども落ち込むことはないということが分かります

 

さて、この壁を乗り越える力というものは、何でも学びと理解に変える、成長欲がカギを握っています

 

ただ単に、成長という言葉通りに理解していると、ただ何か能力を伸ばすとか、人間性を高めるための考え方を身につけるとか、そういったことばかりになりますが、もっともっと大きな可能性というか潜在意識なども含めての成長欲となると、この壮大なパワーは人知で測ることができないほど巨大なものとなります

 

何もかもを飲み込み、何もかもを成長へのステップとし、全ては一つであるかの如く、いかなる失敗も自分の内なるちっぽけなものとして笑って済ませるくらいの力となります

 

これがですね、意図的なマインドセットとか、知識から入る学びでなどはなく、本当の意味での自分自身そのものの存在の、魂そのものの本来の在り方による成長というか、超自然回帰的な本来の在り方に近づくことになります

 

成長欲というのが全てのありのままの根源から来ていまして、ここに思い込みとか小さな常識とかそういった型にはまったものはその根源に蓋をするようなものです

 

ただですね、自分がどうなりたいのか、自分はこれからどうしていきたいのか、そこだけは見失わないように気をつけてですね、やはり、失敗を失敗としてただ笑って済ませるのではなく、将来なりたい自分の方向性の中に飲み込んで乗り越えて、別の力に変えていきたいということですね

 

飲み込んで乗り越えることと、ごまかして忘れることの違いというものがあります

 

これはですね、この両者には大きな違いがあります

 

成長欲の法則に従っているのはどちらか

 

ここに気づけば、成長するために必要な要素というものが分かるようになります

 

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは、緒川賢治です

 

最近ですね、何が正しくて何が間違っていて、何が良くて何が悪いのかが分からないレベルまで来てしまい、優柔不断の極致の中で自分の意思というものが弱くなっていて方向性すらつかめなくなってきています

 

これは何故なのか

 

限定的判断というものを完全に取っ払うというテーマを確認していたためです

 

しかし、この方法には、とてつもない利点があります

 

より正確な中道的判断というものができるようになります

 

知識と人生経験に基づいた判断というものは、ある意味マニュアルと同じようなものであり、確かに的確ではありますが、長い目で広範囲に考えた場合、あまりにも限定的であり、目先の物事や現時点での未来予想などには有効ですが、本当の意味での自由な応用にはつながりませんので、時代や常識の変化で淘汰される可能性があります

 

この方法において得られる恩恵は何でしょうか

 

より良い判断を選択する余地が常に残っていることです

 

無常というものは、生き物のように岐路が無数に分裂しています

 

このたくさんの選択肢においてより良い道を生きるためには、徹底的にトライ&エラーを繰り返すのが実際には一番良い方法となります

 

ただし、トライ&エラーにも限度があります

 

あとは、本人の資質や意識や精神の自由度によって差が出ます

 

そこで、限定的判断と言えるようなものを徹底的に取っ払うという一つの方法に行き着きます

 

 

このお話は、最終的には物事が上手くいく方法につながるお話となりますが、というよりは、自意識や願望以外の部分においてその恩恵を受け入れやすくするという形となります

 

けっこう驚くような法則が確かにあるというのを実感できるかもしれません

 

確かに何かがあるな、というような程度でしか説明はできませんが、いろんな面でのバランスによりますが、あらゆる方向への有効な作用というのが確かに起こるのを感じることができます

 

物事が上手くいく場合、自分の意思や努力によるものにこの世の見えない力が加わって物事に変化が起きています

 

自分の人生や生活においてラッキーだと思うこととアンラッキーだと思う出来事を振り返ってみると、ラッキーだと思うことは偶然としか説明のつけようがない場合が多々あると思います

 

アンラッキーだと思うことは、本当の偶然的事故か運命的な何かか、自分自身の日頃の在り方によるものだというのが分かりやすいです

 

未来と過去についてというものを基盤にして、善悪についてとか、幸不幸や、進化衰退、生死など、その対比の中にははっきりとした法則があります

 

今在るものと、変化するもの、という、そこに何を求めるか、というのが物事が上手くいく方法の基本です

 

ここに限定的判断というものを入れ込むということは、どういう結果を生んでいくかということを常に意識すると、優柔不断の中に究極の選択を見出すこともできますし、その限定的判断自体をも正しく生かしていくことができます

 

 

本日はここまで

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

みなさんこんばんは、緒川賢治です

 

随分と間が開いてしまいましたが、またぼちぼちブログを書いていこうと思います

 

このブログについてですが、いろいろと思うところがありまして、そろそろですが、もっと明確な方向性を出していくべきなのかと思い、検討しています

 

自分を振り返ってみて、また、自分の人生というものを見つめ直してみて、もっともっと、強烈なメッセージを配信出来ればなと思っていまして、まだまだ自分自身の未熟さを思い知りながらもがいているところです

 

もう今年も後半に突入しました

 

長い人生ですが、大事なのは今だということを痛烈に実感しています

 

昨年末に引っ越しまして、生活環境が良くなりましたが、昨年末の引っ越しが今を作っています

 

じゃあ、今この瞬間が、未来という来たる未知なるまだ見ぬ今という瞬間をどのように作り出していくのか

 

それは、まさに今何をどうやってどのように今在るのか、ということに他なりません

 

法の創造という言い方が分かりやすいですかね

 

物事を創造していく

 

自分自身という宇宙が物事を創造していく

 

これは、万物の原理です

 

塵から大宇宙まで、無数の自分自身という自分を含めた何かが、もしくは何か達が相互に縁を作り、物事をあらゆる形で創造していく

 

これは本当に今しかないんですね

 

といいながら、やることが多すぎて、先延ばしが山積みとなっている私です

 

最近ですね、興味深い本を手あたり次第買っていますが、読まないまま積み重なった状態になっています

 

うーんまずい、実にまずい

 

しかしですね、そんな中でも、力強い芯を持ち続ける

 

これが金剛心です

 

しかし、塵や雲に覆われてしまい、心や認識や精神が曇ったまま、時間だけが過ぎていく

 

人間はたくさん忘れて衰退する生き物です

 

いえ、万物はそうなのではないでしょうか

 

しかしですね、同時に、本当に同時にですが、衰退の一面のまさに対極では、進化のエネルギーがガンガンに効いています

 

網の目のようなたくさんの縁の岐路を、どのように突き進むか

 

上がっては落ち上がっては落ち、しかしそれも、上下なんて無い、ただ突き進んでいるだけで、表面的なものはいつでもひっくり返ります

 

というわけで、長くなりましたが、下半期も、徹底的に頑張っていきたいと思います

 

自分の心を細部まで観察せよ

 

これを極めると、この世が生き物だということに気づき、物事の変化を水の流れのように感じることができます

 

でもですね、自分という現実は、まあ、厳しいもんだと思いましょうかね

 

ちょうどいい具合に自分という個性が個々に存在しているという事実

 

可もなく不可もなく、いや、どちらかというと、ちょっと下の方かなと

 

もしも私が誰々だったら、確かにそれは素晴らしいかもしれませんが、まあ、どんな偉人と比べても、その人になってもしっくりこないと思いますから、やはり、自分自身が全てとなるのでしょうかね

 

傲慢且つ謙虚

 

裏表はそれで一つですね

 

話が支離滅裂となってしまいましたので、そろそろこの辺で

 

 

おやすみなさい

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます