最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

法衣を脱いだ真言密教・仏教徒が説く、精神修養にて日々を最高の自分で過ごす為のブログです
変化と向上のための実践を徹底追求しています
魂の成長を求め、心を浄化し、混沌の世で最高を生きましょう

皆様、こんばんは。

GW楽しくゆっくりお過ごしでしょうか。


本年は最長12連休の方も多い一方、カレンダー通りで1日休みの2日飛石からの4連休の方も多いみたいですね。


どうも世の中、世界も国内もあらゆる方面で余裕の無い世界のようになっておりますので、1年間の3分の1が終わった今、新たな仕切り直しとして、ユターっと俯瞰と内観で今一度自分にとってのベストである、あるがままに存在する、というのを意識して、この世と自身との調和を図りたいところです。


さて、本題に入りましょう。

五相成身観というのは、金剛頂経に説かれている、悟りへの観念の手順書のようなものです。

四度加行の金剛界でもとても重要なものであります。

これ無くして、密教の道を生きることはできないと言っても過言ではないでしょう。


話を省略させて頂きますが、普段から私、満月との縁深く、満月からの強い無言のメッセージを受けること数え切れないほど、そして、数日前のこと、満月に数分間釘付けになり、そのまま月の光に包まれるような境地を味わいました。

そのまま、月を覆う薄い霧のような雲も晴れ、まさに月光との一体を味わい、また月から発せされる何らかの強い意志というものに繋がり、とても不思議な境地に身を委ねました。


ここでまた気づきです。

薄っすらと思ってはいたものの、月との縁深き繋がり、これは絶対だと確信を持ちました。


月に関しては、いろいろなことが言われております。

基地だとか、裏側は別世界とか、監視衛星だとか、世界の要人が生き来しているとか、真偽は定かではないのですが。


しかし、それを度外視して、まさに自分自身と月の繋がり、または、この数年間、何度も何度も強い訴えを発する月というものは、その在り方や形を抜きにして、それ以上の深い縁を私自身が感じております。


そして、なぜ五相成身観なのか。

それは、私は日頃から諸仏と如来を意識して、恒常的に問いかけをしております。

そして常に、大も小も無限の遍満だと思っております。


つまり、これぞ、そこに満月があるのなら、私と月は一体であり、それは無限であり本不生そのものの縁であるから、かるがゆえに、目の前に満月あらば、それ即ちその刹那に一瞬にして五相成身観となるなと、私は切に思います。


こういうことなのかなと。


次第や書物で教えるのは、言語化されたものであり、再現性はイメージしかない。


しかし、もしもそれをあるがままに実践できるのならば、そこには次第見ながら頭で考える必要すらない。


それがはっきりと分かった、いや、今の現時点では、そういう感じがした、ということにでもしておきましょうか。


いつもお読み頂きありがとうございます。

皆様、おはようございます。


かなり久しぶりとなりますが、近況報告致します。


これまで、毎年マラソンに参加したり、筋トレ等に励んだりしておりましたが、昨年、鼠径ヘルニア(脱腸)になり手術を受けまして、運動できなくなり、また、僧侶としての仕事の都合でマラソン参加も厳しくなり、何か打ち込めるものはないかと思っておりました。


ちょうど良いタイミングで、一昨年の夏より参加しておりましたフルコンタクト空手の練習(新極真会のシニアで楽しむ稽古)から、壮年一般部に正式に入門し、夏の九州大会出場がほぼ決まりまして、これからまた情熱を注げるものとの出会いとなり、願いの顕現は何らかの形となり必然として現れるものだと、改めて思った次第です。


現在、修験道と極真空手、この2本柱で己を磨き上げていきたいと思っております。


強くて優しい男、これはどういう男なのか、深く学んでこれから数年後、数十年後、どんな自分自身になっているのか、楽しみに生きたいと思います。

新年明けましておめでとうございます。

2026年、新たなる一年の幕開け。

全てが一新されますが、これまでの歴史の積み重ね、無数の軌道修正、広がる可能性、あらゆる変幻自在な御縁の中、いかなる世界が繰り広げられるのか、楽しんでまいりましょう。

昨年は、皆様、大変お世話になりました。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

時代を観る眼、世界を観る眼、人を感じる心、自らを導く魂、常に全力全開であるがままに過ごす、生きる、即ち住すことに身を任せ、日々精進したいと思います。

本年は、ありとあらゆる祈願、供養を始めとして、車祓い、各種瞑想、教学講習等にも力を入れていきたい所存でございます。

なぜ、苦しみが無くなるのか、救われるのか、その本質は、心にあり。
悩むとは何か。
なぜ現状が好転、暗転するのか。
その秘密、密教で体現するとともに、皆様にも共有させて頂きたいと思います。

2025年に引き続き激動の2026年、共に精進して、笑顔で生きましょう。

全てに感謝です。

合掌

皆様、こんにちは、緒川賢治です。

本日は、ちょっと密教の修法についてのお話をしたいと思います。

道場観というのが修法の次第にありまして、それがまた難しい。
そこで、実際にそういうのに特化した書物があるのかと探してみると、やはりあるんですよね。

しかし、あまり買う気は起きません。

挿絵見たら、あ、こんな感じか(ラン字の他の観念の図とか、大まかな仏界観想みたいな図とか)、という感じだったので、まあここは、個人個人の感覚で良いのではないかと。

しかし、チベットでは完全に観想のイメージが決まっているみたいなので、それも気になりますが。

道場観につきましては、私は一瞬で梵字から楼閣と本尊聖衆まで変化して浄土変で仕上げというイメージでやっておりまして、今30秒くらいかかってるので、何とか極めて5秒くらいを目指しているところです(もはや個人的趣味の世界☝️😅)。
あと、古代インドのお城とか宮殿とかもイメージとして調べて、より精度を上げていく。

道場観は入我我入の基盤でもあるので、じっくり修するのが大事です、ゆっくり焦らずに。
観想の文言読みながら力んだら意味が無いので。

もっと言うならば、須弥山の世界観も基盤として必要です。

そして、それは自身でもあるという観念があって、観想で自身である本尊を中心とした荘厳道場を築き上げることができるということです。

結界、結護もまた然り。

全ては心中にある。
心中は法界に遍満する。
ならば、道場観はどういうものになるか、それはそれぞれの行者次第ということになります。

お読み頂きありがとうございます。

「こんなことで悩まなくて良いんだ〜」

これ、阿弥陀如来の智恵なんですね。

明らかにして手放し、安堵の境地、即ち極楽浄土の心を得る。

難しく考えることはない、あらゆるところに如来の智恵はあるのです。