何事も、勇気が必要です
挑戦する勇気、決断する勇気、諦める勇気、立ち向かう勇気、受け入れる勇気、認める勇気、たくさんありますね
それは、まず自分自身がどう思いどう考えどう動くか、自分自身のこととして、その結果どうなるか、というのが基準になります
次に、身近な人達や、周囲の人達への影響というのがありまして、それにはある意味責任が伴います
次に、さらにそこから広がる社会への影響というのもあるかもしれません
次に、過去からの脱却という場合もありますし、そこには、過去のあらゆる因縁との軋轢のようなものもあるかもしれませんし、自分自身を位置付けている何かに立ち向かうことになるかもしれません
そしてまた、自分自身の持つ本質への挑戦となるか、変革か、過ちか、それでいて、それが向上への道しるべとなるか、その先がとてつもなく長いことを知ります
それでいて、時間が足りないのではないかという考えも起きるかもしれません
そうすると、また、今すぐに頑張らないといけないという、モチベーションが浮かぶかもしれませんし、失敗を恐れずにすぐに始める勇気が必要となってきます
結局のところ、勇気を持つということは、何らかの恐れに対してであり、それは希望的変化に対しても、失敗に対しても、同じことです
何を恐れているのでしょう
結果はプラスであれ、マイナスであれ、変化であり、その変化に対して、漠然と恐れます
そして、成功よりも失敗のイメージが漠然と大きくなります
たくさんの意味での安定を求める人間の本質は、諸行無常に抵抗します
受け身による状況の好転には大いに喜びますが、そんなことは、あまり起きません
勇気とは、その時その時、ちょっとの間だけ出すものであり、小出し的なイメージがあります
しかし、生きる信念、生かされている覚悟、その根底には、勇気が無いといけません
第一歩は勇気が起こします
その第一歩、そこからの一歩一歩、それが未来を作ります
絶望の中においては、勇気は生まれにくいかもしれません
しかしながら、絶望というゼロの中からこそ、勇気が最初の一歩を踏み出させてくれます
いかなる状況であってもそれがスタートとなるにはどうすればいいのか
自分の思いの奥底を感じることです
そこには、何が何でも何かをしないといけない動機があり、恐れている場合ではないことが分かるかもしれませんし、そこで生まれるやる気は勇気となります
ただ、もうダメだと諦める勇気が必要になるかもしれませんし、恐れを受け入れざるを得ない勇気が必要になるかもしれませんし、それは、一人一人の価値観や感受性の違いです
そこで一つ提案しましょう
状況が困難であれば困難であるほど、大きな勇気が必要であればあるほど、大きな価値がある、ということです
限界なんてありません
自分の話で恐縮ですが、訳ありで僧侶になった私は、社会経験のないまま30代で社会に飛び出しました
そして、加行を受けて還俗した僧侶はまともに生きていけない、というある種定説のようなものがあり、それに向かっての挑戦となります
まあそれはそれは大変です
大人に交じって大人として社会生活を送る子供みたいなものですから
さらに、何人かの霊能者から直接言われていたのが、脳の病気になるとか、ガンになるとか、そういうたぐいのことです
つい最近も、僧侶時代の先輩に数年ぶりに電話したら、「何とか生きているみだいだね、今病院にいるの?」という感じでした
まあ、これは、単なる迷信とか、僧侶時代の私のイメージなどもありますから参考にはなりにくいと思いますが、潰れる寸前で瀕死の状態から密教の世界に入門した私にとっては、還俗はかなり勇気のいることだったと思います
このあたりは、また機会を見て、改めてお話させていただこうかと思っておりますが
いつもお読みいただき、ありがとうございます