《がん治療》動き始めたジェットコースター ! | 帰ってきた『がん男(マン)』・ジウージョの右脳読書!

帰ってきた『がん男(マン)』・ジウージョの右脳読書!

2012年11月、《悪性リンパ腫》が発覚、約8か月の治療を終える。
最後の治療から丸3年の経過観察を終えた頃、再びあの病魔が…。
2016年8月、帰ってきた『がん男(マン)』の治療日記!

11月2日(金)
「オンタイムでの手術になります。手術室から連絡が入り次第、こちらも手術の準備に取りかかります」

手術が終わった後に戻ってくる部屋に通されて手術の手順を教えてもらった。それはまるで、秘密の救出作戦を始める前のブリーフィングといった様子だった。

点滴で眠くなる薬を投与してから局部麻酔、全身麻酔を併用して手術を行います。

そのため、局部麻酔をした記憶だけでなく、手術全体の記憶がないという患者さんも多いです。

痛がりのボクにとっては、うってつけの手術方法だと思った。


気になっていた陰部の剃毛のことも聞いてみた。
「剃毛についても、患者さんに眠ってもらってから行います」と担当の看護師さん。

下の毛を剃られるというのは、過去の経験からすると、剃る方も剃られる方も気まずいものがある。

剃毛を患者を眠らせた後にすることは、両者の気まずさを回避することができる良い方法だと思った。これは小さな改善かもしれないが、すばらしい改善だと思った。




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コンコンコン、とノックの音が聞こえる。
ドアを開けて入ってきた看護師さんが、
「寺本さんの手術は14時30分から行います」と告げる。

現在の時刻は13時50分、緊張感がさらに増していくのを感じた。

しばらくして、担当の麻酔医の先生が部屋にやってきた。
事前に記入していた麻酔に関する確認書の内容を確認し、今回の麻酔について説明をしてくれた。

その後、手術の担当看護師さんが補足説明を行う。
すべての説明を聞いた後、手渡された手術着に着替えた。



14時25分、いよいよ手術室への移動だ。
ストレッチャーで運ばれるものと思っていたが、点滴セットを押しながら歩いて手術室へ移動する。

「今は意識があるので、わざわざストレッチャーで運ぶ意味はないもんなぁ・・・」ちょっとした出来事にも感心してしまった。



いよいよ手術室に到着。
そこには担当医の先生と担当の看護師さんが待ちかまえていた。



「本人確認のため、お名前と生年月日をお願いいたします」

お決まりのやり取りは、さっさと済ませたい。

「寺本譲二、昭和44年8月27日生まれです」

すると意表をついて次の質問が投げかけられた。

「寺本さんは、今から何の手術を受けるんですか?」

ちょっぴり面食らいながら、たどたどしく…
「あのう、左の鼠径ヘルニア…じゃなくて、精巣腫瘍です(笑)」

そういって先生の顔をチラ見すると、見事に正解を答えた生徒を見るようにボクの顔に微笑みながらうなずき返してくれた。



いくつかの部屋を奥に進んでいくと目的の手術室に到着した。
看護師さんに指示され手術台に横になる。

「今から眠くなる点滴を始めますね」という言葉を聞きながら、手術室を見渡す。

手術室の天井のライトは、テレビドラマで見慣れたものよりも、より機能的に進化したような格好良さだったことに感動した。

感激するのも、つかの間、点滴の効果でボクは早くも眠りの世界に深く落ちていった。




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「・・・分かりますか。寺本さーん、分かりますか」
目が覚めると病室の天井が見えた。

「もしかして、もう手術は終わったの???」
まったく痛みも時間の経過も感じないまま手術は終わっていた。

下半身に意識を向けてみる。
下半身全体が一つの重い石でできているみたいだ。
全体的に痺れていて、腰から下の感覚がまったくない。

動かしたくても動かせないもどかしさと、腰の周辺が重くてストレスがハンパない。

井上雄彦先生のマンガ『リアル』に出てくる自転車事故で下半身麻痺となった高橋くんの苦悩を思い出した。
下半身の感覚がなくなることが、こんなに恐ろしく、ストレスフルだということが分かった。

不自由さを自覚すればするほど募っていくイライラ感。
なんともやりきれなくて、必死に眠りについた。

目が覚めたのは21時前。

夜勤を担当している看護師さんから「21時になったら、水を飲んでもいいと許可が出ています」とのこと。

そういえば、ボクは朝から一日中、何も口にしていなかった。

やっとのことで水を飲むことができた。
とてもうまかった。
朝から何も食べていなかったけど、水だけで満足できた。
一滴の水がこんなにも感動的にうまいなんて思わなかった。

ひと段落して右の太股を叩いてみた。
まだ痺れていて感覚が戻ってない。
結構長い時間、麻酔が効いているんだなぁ、と思った。



消灯時間の22時を迎えた。
うつらうつらとしながらも、再度、太股の感覚をテストする。
今度は少し叩かれている感覚があった。
麻酔が効れ始めていることを確認して深い眠りについた。



痛みにうなされて目が覚めた。全身が汗でびっしょり濡れていた。

太股テストをすると8割方感覚が戻っていることが分かった。
腰と手術で切った傷口、睾丸の辺りに激しい痛みがあった。
朝を迎えたのだと思っていたが、時計を見ると夜中の0時を回ったばかりだった。

「この痛みを耐えながら再度眠るのは不可能だ」と確信したボクは人生初のナースコールを押した。

駆けつけた看護師さんに痛み止めを頼む。
痛み止めは『座薬』だった。

若くてキレイな看護師さんに
「はい、もっと力を抜いて。大丈夫ですよ~」と声をかけられながら挿入される座薬は、複雑な心境だった。

しかし、この痛みから逃れられるなら羞恥心を捨て去ることは容易なことだった。
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痛み止めの座薬を入れてからも30分くらいは痛みに悶絶していたが、その後は朝までぐっすりと眠ることができた。



5時に目が覚めると昨夜の激痛が嘘のようだった。
まだ痛み止めが効いているのだと思った。

うつらうつらしながら7時を迎えると、朝食が運ばれてきた。



11月3日(土)朝食
パン(マーガリン、イチゴジャム)
野菜のソテー
オニオンスープ
牛乳
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長い長いラマダン(断食)を終え、久しぶりに口にした食事は超感動した。

内蔵を切除するような手術の場合、術後すぐに食事を食べたりできない。
しかし、今回の手術では、精巣の摘出とリンパ節の切除だったため食事を取ることができるのだそうだ。
理由を聞くと当たり前のことだが、そんなことを考えることも新鮮な経験の一つだった。



ボクは人生における新しい朝を迎えたと思った。

片方の睾丸を失い、新たに生きる希望を手に入れた。

詳しい検査結果は分からないが、これからはこのガンという病気と上手に付き合っていくことになるのだろう。

このジェットコースターが、ボクをどこへ導こうとしているのかは分からない。

途中で降りることなんてできない。

怖くて目を閉じたくなったとしても、しっかりと目を見開いて進行方向を見つめてみよう。

目を閉じて頭の中にイメージする恐怖は際限なく大きく膨らんでいく。

だから、たとえ怖くても目を閉じてはいけない。

恐怖に耐えてしっかりと目に飛び込んでくる光景を見届けていれば、必ず新しい道が開けてくるはずだ。

そう、しっかりと前を見続けていれば、道は必ず現れる。

ようこそ、絶叫コースターへ!!!