「VioletFizz」終演後記録 脚本のスランプについての追記 | 人様に傷つけられるような安いプライドは持ち合わせてございません。

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プロを目指し爆走中の劇団「Z・A」の主宰木田博貴のブログ。
いろんな事を日々綴るつもり、「Z・A」の最新情報なんかも載せる予定。

おはようございます
晴れるかなと思ったらすぐに曇ってくる曖昧な季節ですね
女心と秋の~ってやつですな
まぁ女性に限らず気持ちなんて変わり行くものですよ
そんなもんそんなもん
昨日受け入れていた人が急に批判し始めたり
今までさんざん批判していた人が近づいてきたり
あまり人が変わるのは気にしない
自分もコロコロ変わるから
変わるけど筋だけは通してると思ってるから
他人も自分の芯を通してるんだろうと思うようにしてる
なるべくね(笑)

さて、今日は先週に続き関東でのお仕事なので、新幹線に乗りつつブログを書いてます

それでは今日は「VioletFizz」終演後について
少し思い出したことがあるので、書き足しておこうと思います

以前にも脚本のスランプについて書いたんだけど、その理由を原因を色々と俺なりに考えてみたんだけど
色んな要素が重なったのかなと思うんですな

まずは、「ブランク」
今年の3月までは「マクベス」に集中していたので、ほとんど自分で執筆していない時期があったんだよね
思い出すだけでも、昨年の後半は
「闇夜の三日月丸」「広くて素敵な宇宙じゃないか」「メディア」「オペラ座の怪人」
オリジナルは「闇夜の三日月」以来書いてないのだよ
「メディア」「オペラ座の怪人」は原作をアレンジしてるだけだし
「広くて~」は成井さんのまま
つまり長いこと脚本を書いていなかったから、錆び付いたってのはあると思う
ピアニストが1日弾かないと取り戻すのに何日もかかるって言うじゃない
あれと似てるのかな、と
ちょうどその時期からブログも更新しなくなっていってるしね(笑)
書くことに対するブランクが一つ

もう一つが「題材に囚われすぎた」こと
これも以前に書いたけど、当初決めた設定に縛られ過ぎて、発想が拡がらなかったことが一つの原因
「こう終わらせないといけない」
「この台詞を言わせないといけない」
そんな自分で思い込んだ制約に囚われすぎた
本来自分の書き方は、大筋は決まってるけど、自分が各々の登場人物になったつもりで会話を作っていくから、その場その場で物語や主張が生まれて、当初予定していた終わり方とは違うかたちになることが多く
そこを忘れてゴールを決めすぎたことが悪かったかな

それから昨日思い出したのは「プレッシャー」
これは楽しみにしてくれているファンから受けるものってのもあるけど
今回は別のプレッシャーもあって
ちょうど脚本を執筆する時期に、静岡の稽古が始まり
そこでも少しずつ脚本が配られていく
ペースはそれほど違わないけど、プロの書く脚本をリアルタイムで渡され、読み
当然比べてしまうよね
「この展開上手いな」
とか
「こういう会話の面白さは自分には書けないな」とか
でも、そこで少し混乱して
「俺もこんな脚本を書かないといけないかも」
とどこかで思っていたのはあると思う
だから、本当にこれは面白いのかな?あの人だったらどうするんだろう?
とか考えすぎて自滅してた感じかなぁ

プレッシャーは他にもあって
脚本を執筆していない時期に色んな作品(舞台以外にも多数)見る時間があって
そういった作品と比べてしまっていたところはある
もちろん良い作品と比べて負けない位面白いものを書こうと言う意識は大事なんだけど
それは脚本家としての「欲」であって
何よりも優先すべきは登場人物たちが自由に生きているかどうか
例えそれが物語としてつまらなくても、登場人物に嘘をつかせたくはないと言うのが俺の理想なので
その理想と、書いている現実が違っていて
心のどこかで違和感を感じていたんだと思う

その証拠に今手掛けている脚本たちは、上記の原因から解放され
いや、乗り越えることが出来たおかげでイキイキと書くことができている

またスランプはいつか来るのかもしれないけど、少なくとも少し解決しやすくはなったかも

もし、同じようなことを感じている人は参考にしてくれれば、かなと思います


と言うことで、今日はまた脚本のスランプについて書かせてもらいましたよ
そろそろ配役や演出についても書いていきたいですな

でも今日はこの辺で
そろそろ新横浜かな



おし、更新!!!