第二次大戦終了後80年が経った。
1945年、米軍の爆撃によって主要大都市は焦土と化し、おまけに人間が絶対にやってはいけない原爆を二発も落とされて、「無条件降伏」を受け入れて、「戦後」が始まった。
多くの人が亡くなった後、生き残った人々は、さらに生き残りをかけて食物と居場所を求め、必死に懸命に生きた。命が助かることだけが目的だった。
しかし、徐々に復興が叶う中、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、経済は急速に良くなり始めた。
1960年には池田勇人内閣による「所得倍増論」がぶち上げられて、64年には東京オリンピックを行われ、経済はさらに急成長して68年にはGDPがアメリカに次ぐ世界第2位になったが、これは日本人がよく働いた結果に他ならなかった。
人々は、その労働の代償に、冷蔵庫や洗濯機を買い求め、さらにはテレビやクーラーや自動車と言った、考えようによっては生活必需品ではないものも求め、懸命に働いた。
この時代、親たちが必死で働く姿を目にしている子どもたちは、学校でも一生懸命学んで成績を良くすることが正しいと信じた。またより良い仕事に就くためには大学を出る必要があると強く思い込んだ。公立高校全盛の時代だった。
それはその通りだった。社会的評価の高い大学を卒業すれば、良い就職先を見つけられ、周囲からも「敬意」を受けることができた。
「早稲田ですか、慶應ですか、東大ですか、一橋ですか」などということで人間の価値を決めることがほぼ当たり前の時代だった。
日本のしていた経済活動の主体は、今も同じく製品輸出である。自動車、造船、製鉄・・・、その他多くは工業技術に基づく産品である。そしてこれを作っているのが、あるいはそのための会社の営業や事務作業をするのが、上から下までの「労働者」だった。
ふつう、高学歴を得ようとするとは、この労働者としての「上」を目指すことであった。
もちろん純粋な意味で研究者を目指す者もいたが、それは生活の豊かさを求めない選択である場合が多かった。
また医師、弁護士などに代表される「資格」を取ろうとする者もいた。
しかし一般においては、よく勉強して世間的に評価が高い学歴を得て、良い会社に就職して、そこで地位を上げることが、予め気づくと気づかないに関わらず、その「目的」だった。
そして、人々はなんの疑問も抱かずにその流れに従った。「価値観」を共有した。
ある程度資金に余力がある人はこう考えた。
高学歴を得るためには名門中学に入学する必要がある。そのためには進学塾に通わせる必要がある。場合によっては家庭教師をつける必要もある。
なんとか無事に名門中学に入学すれば、そこの教科内容についていくために、あるいは独自に大学受験の準備をするために、そのための予備校や塾にも通う。
で、こうした結果東大などに合格するが、よく考えてみると、人間として大切な自然体験や、友人との交際、あるいは自身の好奇心の追求といった実際的な体験機会をほとんど持たずに、ただ成績だけを上げるために忍耐努力してきた自分を知る。
その一方で、自分がすることができた「努力」をすることができない者たちを「どうしようもないバカ」と完全に見下すようになる。そしてそれはやがて「虚しい」ことであると知る年齢になるが。
さて、80年代にさらに経済は成長し、ついに90年代にはバブル崩壊に至る。酷い目に遭ったのは不動産と金融資産を動かしていた連中だった。
もうすでに国民の多くの生活は豊かで、ローンながら家を持ち、車を持ち、おまけに別荘を持ったりする者も出るようになった。レジャーもブームになった。
しかし、気がつけば「男女共同参画」で女性が社会で働くことが多くなり、その結果子どもの世話をよく見られなくなって「少子化」した。
同時に、忘れてはならないことだが、世はインターネットの時代になり、人々は多くの時間をそこに費すようになった。人々の暇つぶしのためにスポーツなどの娯楽も急拡大した。子どもが夢中になって「頭脳崩壊」するゲームも現れた。
平和である。80年間戦火の苦しみを受けることがない。経済も成長して、ハンディキャップがなければ何かの仕事をして生きていくことも可能な時代になった。
生き残ることに懸命だった戦後復興期、より良い生活を求めて働き続けた高度成長期、その後バブル崩壊するもなんとか経済を維持しているが、国民の生活は徐々に苦しくなり、にも関わらず人手不足で外国人労働者が多く流入し、一方で暇つぶしの「娯楽」が蔓延過剰になっているのが現在。
この大人の社会の有り様を肌で感じている子どもたちにもはや学問に打ち込む社会的動機はない。
あえて言えば、「人より劣りたくない」、「世間並みでいたい」というそもそもの日本人らしい思惟習慣だけ。
人より賢くなってビジネスを始めて大金持ちになろうと思う者も少ない。
心の底から「世の中のために学ばん」とする者は稀であろう。
すると、そこにあるとするのは「好奇心」だけである。
「好奇心」だけがモチベーションになる。
しかし、この「好奇心」には、単なる外界の対象に向けての好奇心に留まっているのでは足りない。
そうではなくて、それに反応して、新たな展開や、思考や、発見や実践を通じて知的に成長している自分のアタマのハタラキの実感を好奇の対象にする、つまり、過去現在未来においてこの世で唯一の存在である自分自身をより良くするための「人体実験」をオモロイと思うという『好奇心』につなげることが肝要になる。
すると、それに最も相応しい機会を作ることの一つが「学問」であることがわかる。
学問は自分のアタマをヨくするためにするものであることがわかる。
戦争がなかった江戸時代の会読の目的は、徳を高めることだったと言う。
そしてそれが明治以降の発展の基の一つになった。
そんなこと子どもに言っても通じないが、何かをすることを通じて自分の成長を実感認識することは、どのような時代においても最高に有意義でそして愉快なことであると示唆することは可能だと思う。