渡邉恒雄と池田大作 | JOKER.松永暢史のブログ

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年末。いろいろのことが動いている。止まらずに動いている。

新しい時代のアスペクトが見えている人、それを追いかけて知ろうとしている人、けれどもその結果なんだかワケがわからなくなってしまっている人、またそういうことに無関心な人もいることだろう。

SNSの力が大きくなっていると言うけれど、その情報内容を分析的に読み取るには、「判断力」が必要である。

その「判断力」の元は「体験」であり、「体験」の元は好奇心的、あるいは偶発的経験の集積である。

元読売新聞社社主で主筆の渡邉恒雄氏が亡くなった。1926年生まれで98歳だったと言う。第二次大戦中に東大哲学科に入学し、学徒動員を受けた後復学し、一度共産党に入党したが、1947年に離党。それからなんと5年を経て52年に東大新聞研究所を終了して読売新聞に入社した。その間に何があったのか想像すれば限りがない。そしてその後、言うまでもなく、戦後政治の「フィクサー」とも言える活動を、多くの政治家と交わり合うことによって、マスメディア、そしてスポーツを駆使・活用して行い続けた。「ポダム」こと正力松太郎氏はすでにCIAエージェントであったことが明らかになっているが、渡邊氏もそうであるとはこれからも米公開文書に現れないと予想される。彼は靖国神社反対を唱え、親中派でもあったと言う。類まれなる文章力を誇った氏の言語力の元になったのは、若き日のカントなどのドイツ哲学の日本語訳の読解によるところが大きいと思う。彼は主筆として読売新聞の発行部数を世界一に押し上げた。

2023年に亡くなったとされる池田大作氏は、1928年生まれ。氏は、トルストイやゲーテといった文学作品の翻訳を熟読することによって、これまた類い稀なる弁論力、文章力を身につけた。47年に戸田城聖師に出逢って創価学会に入会し、その信者数を爆発的に増やした。これまた著書は数えきれないほど多数で、その哲学は理不尽に苦しい生活をする人たちを惹きつけた。

ついでになるが、元日本共産党中央委員会議長の不破哲三氏は1930年生まれ。この人は東大理学部物理学科卒業で、旧制一高在学中の47年に共産党入党。赤旗の主筆で140冊以上の著作を誇り、理念はあるが余儀なく貧しい生活を選択せざるを得なかった人々に支持された。

言うまでもなく渡邉恒雄氏が、そのネットワークの広がりから言えば、最もその力を顕現させた人と言えるだろうが、この三人の、日本語文章力、あるいはそのことによる社会観・世界観によって、多くの読者を「ファン」として惹きつけて自己組織拡大を実現することに前代未聞の能力を発揮した人物たちの共通点は、第二次大戦にその若き日を粉々にされた体験と、帝大出身者による高度な翻訳文献を完全に読み切る能力を有したことと、戦後日本の一般大衆の「夢」あるいは「モード」のあり方を、確実に了解・予見・熟知していたところであると言えると思う。単なる「文章家」を超えて、多くの人を思想的に「魅了」し、「政治家」そして、組織指導者をして、その激務に関わらず、長命であることは驚くべきことだと思わざるを得ない。登山が趣味だった不破は94歳で未だ存命中である。これはこの人たち全員が、自分の健康について、確実に配慮が行き届いていた結果だと言える。

関係ないが、2019年に87歳で他界したジャニー喜多川氏は、1931年生まれであった。この人は「富」は築いたが、「言論者」ではなかった。

以上は、大衆を「操作」することに大きく成功した人たちの系譜である。

時代は移る。留まることなく移ってゆく。