呆れてものが言えないとはこのことである。
10日、天野成美先生主催の『宇宙の摂理の秘伝 日本の超古代文明カタカムナ文化世界にを広める会』に参列した。
それは、ここのところ考えられないほどブッ飛んだオモロイ「会」だった。
小泉進次郎の「誤用」を許せば、本当に「sexy」なものだった。
笑うことを旨とする「冗談作家」にとって、密かにこんなに「笑える」ものは滅多になかった。
そこでは、マジの「ストリッパーたち」が、マジで「ストリップ」を演出した。
失礼失礼。会の帰宅直後、「冗談」で書いているのである。
トップバッターは、筑波大名誉教授の板野肯三先生のなんとも言えぬ「韜晦芸」。
「こんなことを理系学者的に言うことは憚れますのですが・・・」
まずこの「レトリック」にうっとりするが、古代文明に深い省察をこめて語る。
これはカタカムナレトリック的な「魔術」と言ってもよい。
この表現力には痺れた。最初に言うが、今回この人物に接したことほど大きなことはなかった。
すると、「間狂言」役で大黒屋真由さんの身体ストレッチパフォーマンス。ご存知の通り、私は気質的に全体パフォーマスにアウトサイダーする者なので、これに「同調」せずに「観察」する。
次は私のお恥ずかし講演。
言っていることは、「ダマされるなよ、上がバカな連中がいるからこそ成り立っている「ヤクザ積分社会」。カタカムナ音読を通じて子どもたちを創造力・感性に優れる、しかも支配者言語にダマされぬ未来カタカムナ人にしよう」と言う訴え。
講師控えコーナーの左には板野先生。右には「トリ役」の羽賀ヒカル先生。誠に失礼ながら、上から下まで全て観察してしまうのは密かにいつも通りの「作家」の仕事である。実は「道化=Joker」であることができるだけ正直間接的伝わるように仕向けようとするが、それが私の「礼儀」でもある。
次の登壇は天野先生。これはこのイベントを企画した母親の「所信表明」。カタカムナを「文化」として伝えたいと言う確信的表明とそのオーガナイズの実践。私はこのなんの「得」にもならないはずの、いささか面倒くさ過ぎることを実行する人物に、密かに実母同様の「敬慕」の念を抱く。これは、今は、宇野先生に、その「匂い」に直勘させられた思いと同様のものであるとも言えるかもしれない。「大切なものだから伝えざるを得ない」―この母親的感性には頭を下げざるを得ない。
で、昼食休憩の後、キリロラ舞い歌う。これは単なる「舞」ではなくて「オモヒ」である。だからこそ、この会に「矛盾」しない。彼女が演出しているのは念じると言うことの大切さである。
間狂言―健康保証の大黒屋。
そして、本日のメインイベント。丸山修寛先生の、医学を遥かにぶち超えた、カタカムナを完全に立体化した講演である。この方面、この先達者を超える「後続」はなかなか出まいと思わせる。いったいこの人物は何者なのか?これまた「仕事上」、その使用レトリックに注視する。
間狂言―大黒屋ストレッチ。彼女のまるでお日様のような笑顔には屈せざるを得ない。
この後、いささか端折るが、今や自然食の大御所と言うべき大谷ゆみこ先生の、いささかも間違いがないであろうと思わせる縄文来の食の即座に雑穀が食べたくなるお話。
間狂言―大黒屋さん、本当にお疲れさま。
で、ついに「真打」登場羽賀ヒカル先生。おそらくこの人は会場最低年齢の若さで最初から慣れた話術でぶちかまし。
最後に、もはや「適役」と化した板野先生が、これまた絶妙のレトリックで締めた。
こんな会もあるのか。呆れてものも言えない。
でも、そこには「いのちの祭り」で得たのとはまた異なる明らかな「手応え」があった。