三姉妹 | JOKER.松永暢史のブログ

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おそらく、7歳4歳1歳の三姉妹。

「長女」は、その何でも映し出す鏡のような瞳で捉えたことに即座に反応して、それを自分の世界の「物語」に取り込む。そしてそれをまるで「ジプシー」の少女のように身体中で表現する。「自分勝手」の極まり。それが許されていた「一人の時」の自分の記憶がある。この少女のように、一切が「夢」であると確信しているような世界に、かつて自分も生きたことがあるような気もするが、少女の「ファンタジー能力」と同等の「飛躍」は、論理性を逸脱し切ることのできない「少年」には無理なことだったかもしれない。バカなふざけでは女に負けないが、せいぜい七つの海に君臨する「海賊」となる自分を夢見ることぐらいである。

「次女」は異なる。彼女は実に「状況」をよく捉えていて深く正確に反応する。「寛容」であることを表出することにより、他者からすり寄ってくる「道」を与える「魅力」を漂わせる。彼女なりに「安全」な場所を察知する。

「三女」はまだオムツが取れていない「ベイビー」。でもなぜかその「警戒心」の強さはどこからくるのか。彼女は安直にみだらな反応を返さない。警戒心は好奇心の「裏返し」。観察力の元を作る。「その場」全体の俯瞰につながり、これは「作家的視点」を与える。が、彼女はまだ長女の「お人形」である。

アホで自分勝手な男がいない世界では、女人的「平安」が持続される。「パクス・フェミニーナ」。お互いのことを慮り、尚且つ自由に自己主張するゆとりがあって、しかも楽しい。

これは『紫式部日記』に登場する女性達の世界と同じである。

女たちはかくも美しい。

自然に美しい。

この娘たちはいつ、『若草物語』―’Littele Girls’ by L・M・オルコットを読むことになるのだろうか。

もしこれに続いて、男の子が生まれると、女たちにいじられまくりの「ヘン」な男になる。

でもまた「娘」が生まれるとは限らない。

『細雪』―そこでは何が起こったのか。これを読むのも女兄弟がいない女性に勝る快感があろう。

三姉妹―教育環境設定コンサルタントとして、一つの「理想形」に見えた。

三兄弟?母親は「地獄」である。気が狂いそうになる。彼らはメチャメチャで「秩序」がない。