私は、学年名簿から成績上位優秀者の家を自転車で確認して回ったが、その「調査結果」は、そのほとんどが、父親が会社員であり、一戸建ての家に住んでいることであり、アパートに住んでいるのは母子家庭の一人だけだった。公務員は宿舎に住んでいるのでそれと知れた。また商店の家の子どもも含まれていなかった。一戸建ての家の子どもが成績上位になりやすい、公務員や会社員の家の子どもが成績が良い。この「事実」は、子ども心ながら、訳のわからぬ不思議な感触を与えたが、逆に父親が会社員で、一戸建ての家に住んでいるのに自分の成績が悪いのはなぜかわからなかった。
三学期は期末試験が一度だけだった。
私は稚拙ながらそれなりに努力したが、成績は悔しいことに4が3つに3が4つに2が2つだった。単純換算28。これでも飛躍的な成績の向上だったが、前が悪すぎた。これでは32群受験に必要な内申点の10点以下の成績であった。英数国は全て3の成績で、4がついたのは理科社会と音楽だった。2は体育と美術。これは明らかに担当教師に睨まれている教科だった。
この結果、これまでの勉強法では全く不完全であることが判明し、特に英数国の対処は先行き暗かった。また内申点取りは、点数だけではないことが身に染みてわかった。あれほど努力した英語は、90点以上と思って返ってきた答案は68点だった。これは、やけに厳しく採点され、スナダと同じ答えであってもちょっとした綴り字ミスなどがあると全て×にされたからだった。この教師には、壁新聞記事の教師インタビューで、出身校を尋ねた時、「勘弁してくれ」と言ったので、それをその言葉通りに新聞に載せたことなどから嫌われていた。まあできたつもりの数学は泣きたいくらいミスの連続だった。国語は漢字をバッチリ押さえて70点以上得点したが、それより得点を伸ばすにはどうしたら良いかわからなかった。
自室水槽内のエンゼルフィッシュは、どう言うわけか、何度産卵しても孵ることがなかった。
何が悪いのか。今ならなんとかできたであろうが、流石に中学2年でのエンゼルフィッシュ繁殖は難しかった。
そうこうするうち、なぜかオスがメスを突っつくようになり、ハラビレの付け根を損傷したメスは他界した。
これまでの努力が全て水のアワ。おまけに英数国は絶望的。
お先真っ暗。最悪の気分で、春休み、年初収入で買ったブラームスを蹲って繰り返し聴いて自分を慰めていると、父親が、
「お前は本当に変わっているな。こんなものを聴いてどこが楽しいのだ」と口にした。
商家出身の父親には、息子がクラッシック音楽を鑑賞するなぞ理解できない姿だった。
もう完全反抗期、この頃はもう親が何を話しかけても「別に」としか答えなかった。
そうこうしていると、ある日外から「カッパー!」と声がするので部屋の小窓を開けると、そこにいたのは自転車に跨ったスナダだった。